ゴツプロ!主宰 塚原大助インタビュー

ゴツプロ!の記念すべき第十回公演が12月に下北沢のザ・スズナリで開幕する。六年ぶりのメンバーだけでの公演。四年ぶりの台湾公演も行う。本公演は東京公演のほか、 【台湾・台北】北投アートフェスティバル (2024年12月27日~29日/ 2025年1月3日~5日台湾戯曲センター)への参加も決定。本作は、十回公演を迎えるゴツプロ!の軌跡や、北投アートフェスティバルの地である温泉街のことなど、等身大の思いを戦中の温泉街に織り交ぜながら、荒波に立ち向かい、海を渡ろうとガムシャラに生きる男6人の物語を描く。
東京夜光主宰の川名幸宏が脚本・演出を務め、ゴツプロ!メンバーの塚原大助、浜谷康幸、佐藤正和、泉知束、渡邊聡、そして44北川が出演。主宰の塚原大助さんのインタビューが実現、演劇を始めたきっかけや台湾との交流、公演のことについて語っていただいた。

ーープロフィールを拝見いたしました。高校時代はラグビー部、フォワードのキャプテンだったとか。

塚原:小学生のときに子供服のモデルをやったり、コマーシャルにも出たりしてました。うちの母もモデルっぽいことをやっていまして。そういうのにすごく興味があって、子供の頃から役者、俳優になりたいっていう思いはあったんですよね。でもやっぱりなかなか……家業がありましたし、親も”いやいやいやいや、役者は”っていう感じだったんです。それでもずっと、中高の時代も「役者をやりたい」って話はしていたんですけど、なかなかOKが出ず。で、僕は思い切って渡米しようと決めて。アメリカのマーシー・カレッジという大学に進学しまして、やはりそこでの経験……海外でいろんな国の人たちに出会い、本当に日本では経験できないような異文化に自分が入ってみて、改めて”人間”というものをすごく感じました。日本に帰国してからは、人というもの、人間が生きていることを自分の体と心を使って表現したいと思いが強くなったんです。で、早速父親を説き伏せて、子供の頃からやりたかったこと……「やっぱり役者になりたいっていうのがずっと消えない。演技をやりたい」という話をしました。

ーー海外、いろんなところを回られてますよね。アメリカ一周、インド一周、ジャマイカ、パキスタン、中国、ラオス……。

塚原:そうなんです。アメリカのカレッジに入学するまではずっとラグビーやってたり、中学からずっと寮生活で小さいコミュニティで生きてたわけで。渡米してからすごく、いろんな国の人に出会い、そこで50カ国ぐらい旅してる人に会ったんですよ。その人からいろんな話を聞いて……「世界にはこういう国があるんだよ」というような。その時から、いつか彼と同じように世界を旅したいと願うようになりました。アメリカから帰って役者になるって決めた時に、役者をやるってすごいことなんだろうなというのが自分の中にあって。役者をやる前にいろんな国に行き、いろんなことを経験しないとっていうのは自分の中にありましたから、役者になる前に「1年かけて旅をしてみるか」と、中国に行ったり、パキスタンに行ったり。それが役者になるための経験なのだと、イメージを抱きながら旅をしてきました。

ーー1年かけての旅が、今、糧になっているという感じでしょうか。

塚原:僕は今、下北沢を拠点にして舞台をやっていますが、下北沢と台湾でそれぞれ公演を打っていまして。今後は、台湾だけじゃなくてアジアの方にも僕たちゴツプロ!だけでなく、小劇場の演劇を持っていけるようになれればっていう感じですね。それでさっそく今、動いてるんですけど、そんな発想が生まれたきっかけは、10代後半から20代前半を海外で過ごしてたっていうことが大きいのかなと思っています。

ーーありがとうございます。ところでゴツプロ!という名前の由来はどこからきたのでしょうか。

塚原:本当は、なんかかっこいい名前を考えてたんです(笑)。でも全然思いつかなくて。当時、僕は「ふくふくや」という劇団にいまして、そこの座長で作家の山野海さんが、ゴツプロ!の1回目から6回目の脚本と演出をしてくださったんですよ。で、彼女に「劇団のネーミングを考えてるんだよね」みたいな相談をしたときに、「あんた顔がゴツゴツしてんだからゴツプロ!でいいじゃない」って言われて(笑)。「それってなんかかっこいいかも」ってなってね。本当にどうしようもない理由かもしれないけど、僕の顔のゴツゴツっぷりが由来になっています(笑)。

ーー初めて知りました(笑)。

塚原:ですよね(笑)。ゴツプロ!のメンバー、今は6人ですけど、もうみんな、顔がごついというか、男っぽいというか。しかも「熱い昭和の男」って感じの、タフな芝居をやっている。なので顔だけじゃなくってお芝居の中身も含めて、イメージがピッタリ当てはまったんです。

ーー台湾との交流は、本多劇場さんが今年、やっていらっしゃいましたけど、それもこの流れと考えてよろしいでしょうか。

塚原:はい。ゴツプロ!が2018年から19年、20年と下北沢の本多劇場で公演をやりまして、その後に大阪、そして台北の烏梅劇院(ウーメイシアター)というところで公演を。それがきっかけで、日本と台湾で演劇を通した文化交流をやろうという話で盛り上がりました。烏梅劇院と本多劇場グループで姉妹劇場の提携を結んで、日本の劇団が台湾で公演ができる一方、台湾の劇団が本多劇場グループで、もっと公演ができるような、そういうことをやっていこうという動きがコロナ前ごろに浮かび上がったんです。また、台湾のスタッフで日本で働きたいっていう方たちもいらしたので、彼らも本多劇場で受け入れていこうっていう話が進んでいました。が、コロナでこの4年間、その話がストップしてしまいまして。ようやく最近になって僕らも今年12月に台湾へ行きますし、向こうからの劇団も先日小劇場B1でやったばかり。現在では台湾のスタッフも2人、本多劇場グループに就職しています。演劇を通した、台湾との文化交流がまた再開し、動き出したんだなっていう感じはしていますね。

ーー台湾は日本からも非常に近い国ですが、日本から近い国とは言っても実は正式な国交はないんですよね。

塚原:そうなんですよね。去年、台湾のドラマに出演させていただく機会がありまして、2ヶ月ぐらい向こうで撮影し、今年の8月にそれが台湾で放送されたんです。それが台湾人が初めて台湾の視点で第二次世界大戦を描いたっていう作品で。向こうの国内ではかなり注目をされたドラマだったんですね。僕もずっと演劇を通した交流はしてきたんですけど、それをきっかけに結構深く台湾と日本の繋がりを勉強させていただき、複雑なんですけど、より一層台湾という国……国自体もそうだし日本もそうだし。国交があったのに、田中角栄の時代に国交が断絶しちゃったんですよ。それでも、台湾に行った人ならすぐにわかると思いますけど、とても親日ですし、我々のことをすごく歓迎してくれる。そこにいろんな理由はあるでしょうが、今後も舞台を通して、日本と台湾のこの強い繋がりというものを表現していきたい……台湾人と日本人の繋がりというものをどんどん表現しつつ、歴史もそうですし、これからのこともそうですし、何かそういうことを伝えられればなと思っています。とはいえ、コロナ禍で4年間ずっと行けなかったんですけど。台湾のドラマに出演させていただいたり、この12月に北投アートフェスティバルに参加しますが、18年から20年まで3年やってきたときのスタッフたち、台湾側のスタッフが、ぜひゴツプロ!に来てもらいたいとおっしゃってくださったんです。アートフェスティバルを自分たちで主催して、そういう機関を作って……僕らの思い以上に台湾のみんなの思いがすごく強く、この演劇を通した交流を今後とも続けていこうということは、お互いの思いが重なり合っていることだと感じるので。これはもうぜひ今後とも実現して継続し、これをゴツプロ!だけではなく、本当に日本の優れた小劇場をもっともっと、台湾含めアジアの国々に展開していくことが今、僕らゴツプロ!がやれること。そこが僕らの強みかなとは思っています。今の僕らの世代で、どうやって小劇場を継承し、発展させていくかってことを今一度考えるような、大きな大きなプロジェクトなんです。

ーー特に台湾は日本とは文化的に親和性、近いところがありますね。

塚原:ええ。今まで僕らの舞台を向こうで上演してきたとき、字幕をつけるのですが、お客様の反応がすごく良かった。また、カルチャーが近いということも含め、お客様に響いている、笑って泣いて感動してくれる、日本の演劇は台湾含めてアジアでも通用するんだなっていうのは肌で感じました。

ーーこの12月に10作目、節目ですが、思い出、印象的なことは?

塚原:思い出はいっぱいあります。僕は40歳のときにゴツプロ!を立ち上げたんですが、ほとんどのメンバーが40代半ば。そんな歳になって新しく劇団やるってのもなかなかだし、みんな20年30年、小劇場で経験してきた人たちを集めて、本多劇場を目指そう、地方公演やろう、海外公演を実現しようっていうことを目標に掲げてきました。それが『三の糸』という3回目の公演で本多劇場、大阪公演、台北での公演が実現したっていうことはすごく我々にとって大きかったこと。本多劇場でやるのは若い頃からの目標でもあったので、それが実現して感無量でした。自分にとってはそこがターニングポイントだったというか、すごい大きな出来事だったのは確かです。あとは……やっぱりコロナですよね。2021年の本多劇場での公演『向こうの果て』で、ゴツプロ!に女性キャストが初めて出ていただくことになって、それも小泉今日子さんが。なのにそれが16回公演のうち13公演が中止に……。21年のゴールデンウィークでしたが、初日の夜に、当時の菅総理が緊急記者会見を開き、「もう人流を止めましょう」っていうことになって、運悪くその金曜日が初日だったんです。演劇のような人が集まるところはもう「無観客でやってください」っていうのが初日の夜に発表されてしまい、金土日しか公演ができなくなってしまった。その後の公演は生配信も企画としてやっていましたので、数回無観客で生配信をやり、あとは全部中止。何とも言えないむなしさだったり、悔しさだったり。あの頃は多くの人がそういうことを感じたと思うんですが、私自身も初めての経験でしたから、これは大きな出来事でしたよね。でもそれをきっかけに、それまでゴツプロ!は年に1回しか舞台公演してこなかったんですが、こういう緊急事態が起こったときにリスクが高い。だから、小さい劇場で少人数でやる公演もそれぞれがやっていこうじゃないかっていう発想が生まれたんです。今は年に5本から6本、その中で本多劇場で年に1回、ゴツプロ!全員が集まった公演をやる、これを本公演としています。そのほかでは今はOFF•OFFだったり、新宿シアタートップスであったり、「劇」小劇場であったり……少人数のプロデュース公演をメンバーそれぞれが立ち上げています。それもきっかけはやっぱりコロナ後。それと若手の育成の演劇部、今年で4期目なんですけど、コロナ中に本多さんといろんな話をしたところ「このままだと、劇団を立ち上げる若い子たちは本当にいなくなってしまう、劇団がなくなるってことは劇場がなくなる」って話を散々しました。「だったら、若い子たちに劇団を作ってもらおうじゃないか」と、何かそういうもの……すなわちゴツプロ!の演劇部が4年前から始まったんです。コロナのダメージは結構受けたものの、「このままじゃいけない、どうやったら演劇を盛り上げられるか活性化させられるか」っていうことをそれぞれが考えるようになった、見つめ直せたいい機会にもなったんじゃないのかな。この4年間で動いてきたことは、今でも力強く継続できているので、悪いこともあったけどいいこともあった、怪我の功名じゃないけど未だに繋がってるなっていう印象です。

ーーコロナがあったから、配信で演劇を見るのが広まり、コロナではなくても、北海道や沖縄に住んでる人は東京の下北沢まで行かれるわけではないので、そういう人たちが配信によって下北沢の本多劇場のお芝居が見られるのはいいいことだと思います。

塚原:そうですよね。KANGEKI XR、内田さんがやっている画期的配信プラットフォームとかもできてきているし。コロナ禍はダメージもあったけど、新しいものを生み出すっていうことに繋がっていったんだなってのは実感してます。

ーーところで、12月の公演が面白いタイトルですよね。

左から浜谷康幸(ゴツプロ!)、泉知束(ゴツプロ!)、川名幸宏、佐藤正和(ゴツプロ!)、塚原大助(ゴツプロ!)、渡邊聡(ゴツプロ!)、44北川(ゴツプロ!)。

塚原:そうですね。『たかが十年の祭り』、脚本家の川名幸宏くんは東京夜光という劇団の主宰でもあり脚本家、演出家でもありますが、彼と出会って、いろんな話をしました。例えばゴツプロ!の今までの経緯だったり、どういう思いでやってるかとか。これは台湾公演も決まっているので、台湾とはこういう交流があって今に繋がってるとか、そういうお話もさせてもらいました。川名くんはまだ30代半ばですが、僕ら40代後半から50代のこういうメンバーたちがやっていることに対し、彼はすごく刺激的だと言ってくれて。今まで大変だっただろうけど、やっぱりこれからの10年、ゴツプロ!がこれから何をやっていくか、見ていきたいと。今までのこともあり、これからどうするんだっていう未来に向けてのメッセージになるような作品になればいいなと思うんです。このあいだ、川名くんと一緒に台湾に行ってきて北投でのリサーチも2人でしてきましたが、川名くんはその時に初めて台湾に行ったそうなんです。で、現地の博物館や現地の人たちとお酒を飲みながら食事もしながらいろんな会話をしたときに、日本を出ると、国内外のことがわかったようで。そういうことも含めてやっぱりすごく敏感に感じてくれた。今後は、この作品もそうですが、作家にそういう機会を……台湾に一緒に行ってそこで異文化を体験し学んでもらう、日本だけの作品じゃなくて、単純に日本と台湾の作品でもいい。日本とアジアの作品でもいい。そういう作品を書ける脚本家たちが必要になってくるんじゃないかと。いい脚本が作れれば、そこに役者はついてきますしね。そういうことも含め、今後は日本と台湾で協力し合いながら、育成のような機会を設けていければなと思っています。

ーー最後にお客様へのメッセージを。ビジュアルがごついですね(笑)。

塚原:組体操のピラミッドを小学生のときぶりにやってみました(笑)。メンバー6人でピラミッドを組んでっていうすごいビジュアルになっちゃったんですけど(笑)。でも2018年以来、6年ぶりにメンバーだけで公演をします。19年からはゲストの方を招いて公演をしていたんですけど、ちょうど今回、1週間まるまるスズナリを初めて借りられたっていうのもありまして。ちょうど第10回公演ということも重なったわけですが、だったらもうメンバーだけで久しぶりにやってみようかという流れになったんです。タイミング的にも原点回帰じゃないですけど、やっぱりそういうことを見たかった、ゴツプロ!メンバーだけの公演が見たかったっていう声もすごく多く聞こえてきてましたから。こういうことって大事なんだなと実感もしています。久しぶりにメンバーだけでやると、また新たな化学反応が起きるだろうし、これはやってみないとわからないことですけど、またこれが未来に繋がっていく大きな出来事になるような気もしていて。でもやっぱりゴツプロ!らしく、暑苦しい50代のおじさんたちが汗水垂らして、一生懸命に生きている姿を見せたい。それによって同年代の方たちや、年齢の高い人もそうですし若い子たちも、明日からも頑張ろうって意気込める、それがゴツプロ!の原点だと思います。第10回目をメンバーだけでやって、新たな出発点となればと思っています。皆さんぜひ楽しみにしてください。あと、台湾はこれだけ近いのに知らないことが多い、これを知った上でどんなコミュニケーションが広がっていくのか、そこは今後の展開だと思います。何かそういうことも演劇としてやっていけたらいいなと思います。

ーーありがとうございました。公演を楽しみにしています。

イントロダクション
1940年代、戦中の温泉街”南ヶ沢温泉”。出兵を免れた初老の男たちが、今年も意気揚々と祭りの支度をしはじめた。
昭和初期の旅行ブームに乗って開発された温泉街。街を盛り上げようとつくられた祭りは今年で十回目を迎える。戦中、遊興禁止が叫ばれる中、国威高揚、戦死者鎮魂、あれやこれやと理由をつけて、昨年は開催にこぎつけた。さぁ今年もと意気込む男たち。ただ、戦局はあまりにも悪化の一途を辿っていた。
歴史も伝統もない、担い手も賛同者もいない、なにより、理由も理屈も見当たらない、たかが、十年の祭り。その祭り、無謀。
ゴツプロ!記念すべき第十回公演は、劇団員6名のみでお送りする、見えもしない光に向かって濁流を突き進む男たちの物語。
概要
東京
日程・会場:2024年12月18日〜12月22日 ザ・スズナリ
作・演出:川名幸宏
出演:塚原大助 浜谷康幸 佐藤正和 泉知束 渡邊聡 44北川
台湾・台北公演
北投アートフェスティバル参加作品
日程・会場:2024年12月27日(金)~29日(日) / 2025年1月3日(金)~5日(日) 台湾戯曲センター(台北市士林区文林路751号)
台湾公演主催:北投小戲節(北投アートフェスティバル)
脚本開発スポンサー|山峸製作設計
翻訳:張克柔 / 国際コーディネーター: 呂孟恂 / プロデューサー: 王政中 沈琬婷 / プロジェクトマネージャー : 袁浩程
お問い合わせ:staff@52pro.info


公式サイト: https://52pro.info/


協賛:株式会社ニューロードグループ ヘアークリアー / 株式会社イベント・レンジャーズ / make me me / BARBER-BAR
後援:SPC GLOBAL
企画・製作:ゴツプロ合同会社
主催:ゴツプロ合同会社 / 山峸製作設計

取材:高浩美
構成協力:佐藤たかし