遠藤周作・生誕100周年を記念し、『わたしが・棄てた・女』を原作とした音楽座ミュージカル「泣かないで」を東京他全国で上演。まずは町田市民ホールからスタート。
「日本のミュージカルもここまで来たのか」
ー1994年、音楽座ミュージカル「泣かないで」の初演を観劇した原作者の遠藤周作氏が産経新聞に書かれた言葉(花時計「日本のミュージカルの進展」 遠藤周作/産経新聞1994年5月11日(水)掲載)。昨年、原作者による未発表の戯曲版『わたしが・棄てた・女』が『小説新潮』に掲載された際も、弟子の加藤宗哉氏による文章に観劇時の様子が触れられている。
「ミュージカルの終盤、先生がごそごそと座席で動きはじめ、まもなく隣の夫人にハンカチを求めた。眼鏡をはずし、両眼を拭う。劇中、森田ミツの誤診が判明して同室の患者に別れを告げる場である。先生の体の動きはやまず、5分以上も続いたろうか、やがてミツが東京行の汽車には乗らず病院へ戻ってくると、こんどは私の体を肘で突ついた。貸してくれんか、ハンカチ……どうやら先の一枚はぐしょぐしょになったらしい。差しだすと、弁解する先生の声が聞こえた。……自分の作品でこんなに泣くとは、思わんかった(『小説新潮』 2022年2月号 戯曲版『わたしが・棄てた・女』の価値ー加藤宗哉氏著より抜粋)」
幕が開く、50代ぐらいであろうか1組の夫婦、白髪混じりの男性、名は吉岡努(安中淳也)、感慨深げな様子。そして時間は遡る。戦後の東京、復興へと足を踏み出した頃、エネルギーに満ちた昭和20年代。吉岡は貧乏大学生、真面目を絵に描いたような詰襟姿、だが、周囲の大学生たちは青春を謳歌しようと恋愛、遊びに忙しそう、「チャラい」という言葉がふさわしい。ひょんなことから雑誌の文通コーナー(令和では文通は皆無だが)で知り合った若い女性・森田ミツ(森彩香)と待ち合わせ。ところがミツの姿、三つ編みヘアーでどちらかというとダサい格好、吉岡は貧しいが故に野心を抱いていた、成功したい、いい女と出会いたい、この時代にありがちのごく普通な野心、よってミツのようなタイプは「お呼びでない」。たった一回の逢瀬、吉岡にとって彼女はつかの間の遊び相手で、一夜を共にすると姿を隠してしまう。ところがミツの方は吉岡に恋心を抱き、彼に再び会うことを糧に日々クリーニング店の仕事に精を出す。そんな折、彼女に病気の疑いが…それは当時不治の病と言われたハンセン病、彼女は施設にいくことになるが…というのが物語の大体の流れ。
登場する人たちは市井の人々、当時の世相もさりげなく見せる。吉岡は卒業後、とある会社に入社するが、高度経済成長期の”前夜”、会社でいい成績を残し、出世したい、吉岡が誰もいない時に部長の席に座ってふんぞりかえるところは、そんな時代の空気をそこはかとなく伝える。
原作のタイトルは『わたしが・棄てた・女』、”わたし”とは吉岡、棄てた女はミツのこと。確かに形としてはミツは吉岡に棄てられたかもしれない。それは吉岡の視点であってミツの視点ではない。ミツは吉岡への想いを生きる糧にしていた、棄てられたなどとは微塵も思っていない。病気の疑い、しかも不治の病、いっときは絶望の淵に立たされ号泣、「神様なんていない!」と叫ぶ姿は胸が痛い。だが、施設に行き、そこに生きる人々に触れ、しかも誤診だとわかり、施設を一旦はでたが、再び施設に戻ってくる。そこで生き生きと働くミツ、そんな彼女の姿を見て心が元気になる人々、ミツはただただ自分の想いのままに患者たちに尽くす。
その一方、吉岡の方は思い描いていた通りの人生を歩み始めていた。会社に入り、そこで出世のきっかけを掴み、自分の理想とするタイプの女性と結婚し、安定した生活を送ることが吉岡の望み、それは特別なものではなく、むしろ平凡な夢。
原作を知っていれば、またこのミュージカルを以前に観劇したことがあるなら、オチはわかっているが、観るたびに新しい発見がある。ミツは他者へ無償の愛を捧げる、とりわけハンセン病の施設で働く修道女たちにとってはミツは聖女のようにも見えていた。しかもミツは自分の気持ちの赴くままに、義務としてではなく、自分が心からやりたかったこと、それは誰かのために自分ができることをする。見た目は鈍臭いが、その内面は崇高な輝きに満ちている。
一方の吉岡は世俗的で現実的、時たまミツのことが脳裏をよぎるも、心に留めてはいない。美人で気立がよく、育ちも申し分ないマリ子(岡崎かのん)と職場結婚。そんな折に施設で働くスール・山形(高野菜々)から長い手紙が届く。いいようのない寂寥感に襲われる吉岡、その想いは生涯、消えることはない感覚。
キャッチーなメロディにレベルの高いダンス、歌、1幕での会社のシーン、クリーニング店でのシーン、ここのダンスは見応えあり。舞台上に大きな月、さまざまな色合いに変化、象徴的。また天井からのセット、時には雨、時には涙にも見える。想像力で様々なものに見える、これは演劇の力。
繰り返しの公演、その度に違った彩りと見えなかった側面が見えてくる音楽座ミュージカル、今年の10月から「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」を上演予定、初演から35周年!どんな景色が見えるのか、こちらも期待したい。
概要
音楽座ミュージカル「泣かないで」
ホームタウン公演
町田市民ホール
2023年 6月9日(金)18:30開演/6月10日(土)13:00開演 18:00開演/6月11日(日)13:00開演
大阪公演
オリックス劇場
2023年6月13日(火)18:00開演
名古屋公演
日本特殊陶業市民会館ビレッジホール
2023年6月21日(水)18:00開演
原作:遠藤周作『わたしが・棄てた・女』
オリジナルプロダクション総指揮:相川レイ子
脚本:相川タロー・ワームホールプロジェクト
演出:ワームホールプロジェクト
振付:杏奈・ワームホールプロジェクト
音楽:井上ヨシマサ・金子浩介・高田浩
美術:伊藤雅子 衣裳:原まさみ ヘアメイク:川村和枝
照明:塚本悟 音響:小幡亨 音楽監督:高田浩 歌唱指導:桑原英明
メインビジュアル:ニコラ・ド・クレシー ロゴデザイン:高橋信雅
次回公演
「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」
日程・会場
大阪
2023年10月3日 吹田市文化会館 メイシアター大ホール
東京
2023年10月27日〜11月5日 草月ホール
広島
2023年12月8・9日 JMSアステールプラザ大ホール
音楽座ミュージカルWebサイト:http://www.ongakuza-musical.com
©︎ヒューマンデザイン