市村正親 & 鹿賀丈史 W主演 ミュージカル『生きる』 高野菜々(小田切とよ役) インタビュー

Daiwa House presentsミュージカル『生きる』が2023年、再々演を迎える。原作は1952年に公開された日本映画、監督は黒澤明、主演は志村喬。2005年発表の「史上最高の映画100本」にも選出されている名作。ミュージカルは初演は2019年、再演はコロナ禍真っ只中の2020年、それを経ての再再演。
主人公の渡辺勘治役は初演から続投の市村正親&鹿賀丈史。この渡辺勘治に大きなきっかけを与えることになる小田切とよ役を演じる高野菜々さんのインタビューが実現した。

ーーオファーを受けた感想をお願いいたします。

高野:正直、びっくりしました。2008年に音楽座ミュージカルに入団して、今まで音楽座ミュージカルの作品しか出演したことがなかったんです。外部出演は初めてなので、驚きはしましたけど、お声がけいただいた、そのお気持ちがとても嬉しかったですね。私自身も日本発のオリジナルの作品にずっと出演していますが、外部作品に参加させていただくのも日本発のオリジナルミュージカルというのはとてもありがたいなと…それで挑戦してみようと思いました。

ーー「生きる」は黒澤映画原作ですが、映画とミュージカル版を観た感想をお願いいたします。

高野:俳優1人1人の細やかさとか、表現とか、黒澤監督の打ち出す描写の切り取り方がもう、素晴らしくって。白黒作品なのに鮮やかに私に迫ってくるような感覚があったのはとても新鮮だなと、と感じました。あとミュージカル版では描かれてないんですけど、映画の最後で、渡辺課長の死によって、みんなで変えていこうと思うにもかかわらず、最終的には市役所に戻ると何も変わっていないという現状があり、その無常感…何も変わらないけれども、渡辺勘治の生き様、行動、彼の死というものは、きっと、少しでも影響があると信じたいと思わせるような、そういったラストの描写も素晴らしいなと思いました。映画の公開は1952年ですが「これが本当に戦後すぐの作品なのかな?」って思うくらいに、私にとっては新鮮でした。ミュージカル版は劇場に伺うことはできませんでしたが、いろんな方面からの評判を伺っていました。前回公演は配信もありましたし。『生きる』は黒澤明監督の作品の中ではミュージカルにする方法が思いつきづらい印象でしたが、今はミュージカルだからこそ、勘治の人生がより一層、描けているし、人はどうやって生きていくのか、価値観が全て変わってしまった今という時代に一人一人の生き方、エネルギー、混沌みたいなのが、歌、ダンス、曲があることによって、より一層表現できると思っています。渡辺勘治の人生、生きているようで死んでいるような感じも描かれていますし、黒澤映画に出てきた言い回し「命短し恋せよ乙女」の曲が持っている人生の虚しさとか輝きとか、そういうものが楽曲の中に含まれていたからこそ、言葉では語れない、楽曲が持つ美しさ、悲しみ、そういうものがとてもミュージカルでは迫ってくるものがあると感じました。

ーー今回、初の外部出演ということで、新しい発見とかありました?

高野:稽古初日にして宮本亞門さんに色々指摘されたんですよ。「あなたはミュージカルミュージカルしてる」って。「え?!」っと驚きました。音楽座ミュージカルを背負いすぎていたのかもしれません。だから「生きる」の現場で、やっぱり、アピールしなきゃとかいう気持ちが強かった。いい作品にしたいがために、「やらなきゃ、こうしなきゃ、ああしなきゃ」って色々、頭で考えて固めてやってたんでしょうね。でも自分の考える以上のものにはならなくって。それで私は全て形が決まっちゃっている状態で、それで亞門さんにお見せしていたんだと思うんです。終わって亞門さんのところにちょっとだけお話しに行ったら、「座ろうか」って言ってくださって。そこで仰っていたのは「きっと音楽座ミュージカルに所属してて、いろんな責任を感じてここにきてるでしょ、覚悟を持ってきてるでしょ」と。で、「それを全部捨てなさい」と。さらに「渡辺勘治役の市村さんと鹿賀さんと一緒にお芝居させて“いただいてる”と思っちゃだめ」と仰ってくださいまして、これは「その通りだな」と思いましたね。
この小田切とよは、視点を変えると少し子供っぽいっていうんでしょうか、考え方がクレイジーで、ぶっとんでて。普通では考えない選択、選び方をしている女性。だからこそ、私がここでいろんなことを考えたり、責任を持ってやる必要がある、目の前のことにぽんぽん反応するんじゃなくて、決まったレールの上でやっている、しかもそれを身につけているから、誰とも交じわれない、っていう状態になってるんだ、っていうことを気づかせていただきました。その日からそれを全て捨てたら、本当にその場で役が私を育ててくれるようになったんです。自分自身、せっかく音楽座ミュージカル以外の作品に出演させていただいているので、ある意味、新人のように目の前のことに感動しながら感激しながら楽しみながらこの稽古場を過ごし、そのまま本番に向かうことができたらと思います。役を演じるのではなくて、役のように生きてそのまま舞台上に生きるんだっていうことを感じたので、それは多分、音楽座ミュージカルに出演している時には気づけなかったことだと思うのでとてもありがたいなーと。

ーー確かにとよは、ちょっと変わった子ですよね。

高野:そうそう。私も最初、どこに共感していいかわからなかった(笑)。

ーーちょっと非常識なところもあって(笑)

高野:ね(笑)。でも演出してもらうと、意外と素敵なんですよね、彼女の生き様って。例えば市役所に勤めて、そこにいれば安定だったり、安泰が得られるにもかかわらず、おもちゃを作る工場に行き、そこで働くって、普通の人だったらなかなか選ばない。でも彼女はきっと市役所という、全てが固まり切った、何も変わらない、全く新しいことが起きない、誰も変化しようとしない、このことに対してうんざりしていたんでしょうね。自分がワクワクすることってここにはないなってきっと感じたような気がするんです。そこからおもちゃを作ることで日本中の子供達と繋がっていたのかなと。誰かの評価ではなく、自分の心とまっすぐ向き合っている彼女はとても素敵な女性だなと…演じれば演じるほど、感じるようになりまして…とっても楽しいです。

ーー変わってるけど、自分に正直に生きてる感じですよね。

高野:そうですよね。心のままに、ですね。

撮影:引地信彦

ーー今、お稽古の真っ盛りだと思うのですが、お稽古の様子、共演の方々、ここのカンパニーはいろんな方がいらっしゃってバラエティに富んだ方々。共演の方々のことを含めつつ、お稽古の様子をお願いいたします。

高野:市村正親さんと鹿賀丈史さんとお芝居をさせていただいて、鹿賀さんは、稽古初日に「よろしくお願いします」ってお話ししたら、「自由にやっていいからね」って「なんでもいいからね」って仰って下さったんです。いろんなお稽古をさせていただく中で、「すごいな~」と思うのが、全く決めてかかっていらっしゃらないこと。というのは「勘治はこういう人だから」「こういうお芝居をした方がいいんだ」とか全部捨てていらして。その場に入ったときに一緒に演じていて“余白99%”みたいな感覚があるんです。でもそれって、まさに“生きる”ということなのかなって。生きていることと演技が乖離していたら全然共感できないですし。だから、鹿賀さんが舞台上にいるとまさに“息づいている”。先ほど、亞門さんに指摘されたって話しましたけど、そのとき仰っていたのが「演技をしていたり演じているということは、お客様からはパフォーマンスと理解されるから、客席から観ていると“あの人は上手だ”とか、“ここのシーンがあれだったよね”とか、審査員のように評価されちゃうよ」「でも、役柄そのものな人がそこに“生きて”いればそんなことはない。評価できるものではなくなる」ということ。鹿賀さんとお芝居させていただいていると、それを本当に強く感じてやまないんですよね。さらに、どうやったらあんな表現ができるんだろうと、憧れるくらい、役柄そのものでいらっしゃる。本当は「泣く」という演出がついているシーンでたとえ泣かなかったとしても「勘治」がそこにいるんですよ。私はそれについていくだけだな、とひしひし感じます。
市村さんは渡辺勘治という確固たる像をもっていらっしゃって。だから、市村さんからは「ここ、もっとこうやったらいいんじゃない」とアドバイスをもらえるんですよ。とよが市役所の人たちに対して退屈だからあだ名をつけていたというシーンがあるんですが、そこも最初は自分ひとりで楽しくなっているという表現をしていたんですね。そうしたら、亞門さんから「もっと勘治を巻き込んだほうがいい」と指示があって。それに対して市村さんも一緒にクリエイトしてくださるんです。鹿賀さん、市村さんお二人とも全然違う渡辺勘治で、全然違うボールを投げてくださるイメージですが、私はそれをテニスのように打ち返すというよりも、バントのような状態(笑)。私がなにかを作り出すというより、お二人が“嘘をつかずに”勘治でいてくれているから「私も小田切とよそのものでいなきゃな」と身が引き締まりますね。
他の共演者の方々では、実咲凜音さんは同い年ということもあって、すごく心強いです。平方元基さんは、去年ニューヨークに一年間いたときに共通の知り合いを通してお会いしてるんです。もともと平方さんも『マドモアゼル・モーツァルト』という音楽座ミュージカルの作品(東宝製作によるライセンス上演)に出ていらしたから、そこの演出助手の方とのご縁もあって。私が音楽座ミュージカル以外の作品に出たことがないので、平方さんが助けになってくれるだろうというお計らいでのご紹介でした。実際、『生きる』の稽古でもアドバイスをいただけて。今回、出演者の方々は私より年上の方がほとんど。そういう意味ではみなさんご経験をたくさんお持ちなので、稽古場はすごく温かい、和気あいあいとした雰囲気で皆さんがいらっしゃる。こんな短期間にもかかわらず親戚の集まりなのかな、って思ったくらい。その中で私はエッサ、ホイサと泳がせていただいています(笑)。

ーーでは、最後にメッセージを。

高野 :私、お芝居させていただく中で鹿賀さん、市村さんお二人の生き様がここにあるなと感じているんです。私は、演じる人の心が剥き身になっていればいるほど舞台が美しく輝くんだと思うんです。お二人の中の、魂から湧き上がるような思いをこの作品にぶつけているのをまじまじと近くで感じさせていただいているので、生きている証ってこうなんだ、と近くで見ているからこそわかるんです。そもそも『生きる』の2023年版は今回を逃したらもう観られないわけで。コロナで舞台というものが不要不急のもの、と捉えられてしまった経験をしている私たちですが、やっぱり舞台って、物語って、普段お水を飲むくらい、絶対必要なものだと改めて思うんです。物語がないと私は生きていけないなと。『生きる』の2023年版に鹿賀さんと市村さんが賭けている想いというのも、とても感じています。お二人の中にある愛情、情念、いろんなものを踏まえてここに立っていらっしゃいます。それを見届けていただきたいし、見逃さないでほしいなと思います!

ーーありがとうございました。公演を楽しみにしています。

概要
日程・会場:
東京:2023年9月7日(木)~24日(日) 新国立劇場 中劇場
大阪:2023年9月29日(金)~10月1日(日) 梅田芸術劇場メインホール
キャスト
渡辺勘治(ダブルキャスト) 市村正親 /鹿賀丈史
渡辺光男 村井良大
小説家(ダブルキャスト) 平方元基/上原理生
小田切とよ 高野菜々(音楽座ミュージカル)
渡辺一枝 実咲凜音
組長 福井晶一
助役 鶴見辰吾
佐藤誓
重田千穂子
田村良太
治田敦、内田紳一郎、鎌田誠樹、齋藤桐人、高木裕和、松原剛志、森山大輔 あべこ、彩橋みゆ、飯野めぐみ、五十嵐可絵、河合篤子、隼海惺、原広実、森加織
齋藤信吾*、大倉杏菜* スウィング*
安立悠佑 高橋勝典
スタッフ
原作:黒澤明監督作品 「生きる」(脚本:黒澤明 橋本忍 小國英雄)
作曲&編曲:ジェイソン・ハウランド 脚本&歌詞:高橋知伽江 演出:宮本亞門
美術:二村周作、照明:佐藤啓、音響:山本浩一、衣装:宮本まさ江、 ヘアメイク:小沼みどり、映像:上田大樹、振付:宮本亞門 前田清実、 音楽監督補:鎭守めぐみ、指揮:森亮平、歌唱指導 板垣辰治、 稽古ピアノ兼音楽監督補助手:村井一帆、稽古ピアノ:安藤菜々子、 演出助手:伴 眞里子、舞台監督:加藤高
主催:ホリプロ TBS 東宝 WOWOW
後援:TBS ラジオ
特別協賛:大和ハウス工業
企画協力:黒澤プロダクション
企画制作:ホリプロ
公式サイト:https://horipro-stage.jp/stage/ikiru2023/

取材:高浩美
構成協力:佐藤たかし