舞台「末原拓馬奇譚庫」が、2025年1月22日から25日まで東京・Mixalive TOKYO Hall Mixaにて上演される。脚本・演出を手がけるのはもちろん末原拓馬。出演は橋本真一、前川優希、三上俊、藤井ともしり、そして末原拓馬。
今回、末原拓馬さんと盟友とも言える藤井としもりさんの対談が実現、出会い、お互いのこと、今回の公演のコンセプトなど多くのことを語っていただいた。
ーー藤井さんは元々おぼんろの劇団員と伺っています。末原さんから見た藤井さんと藤井さんから見た末原さん、お互いについてお願いします。
末原:劇団員の高橋倫平が「拓馬のいうことが難しい」みたいなことを言って、ちょっと間に入れる人を、”通訳”として連れてきたのが藤井としもりさんだった。意気投合して、家の近くまで行って話したり。劇団にいたときは僕たち二人でずっと話たり…相棒っていう感じがすごく強かった。今も、ちょこちょこ会ったりしてます。「今、こういう流れで今自分が演劇界に身を置いてるよ」っていう相談もできる、”外”だからこそすごく相談しやすいですね。
ーー藤井さんから見て末原さんはどんな感じでしょう。
藤井:最初に会ったときの印象はそれほどわかりづらいことを言うこともなかった。やってること、言ってることも僕らそんなに似ているとは思わないですけど、演劇家として向かってる方向だけは、もう100%近く合致してて。だからこそ、本当にお芝居の話しかしないし、時間が余ることもなく、むしろいつも時間が足りなくなるぐらいずっと芝居の話をしていられる人ですね。
ーー2人でお芝居の話するときは、延々話題が尽きることがない感じでしょうか?
末原:そうだね。
藤井:うんうん。
末原:芝居絡みの話、最近こんな話を考えてるんだみたいのを喋ってることはよくある。
ーー今回、作品名に末原さんのご自身の名前がついてますね。「末原拓馬奇譚庫」ホームページも確認しました。「自力で生き残ることのできない物語を集め奇譚庫に収めた」とありますが、ご自身の名前を作品名につけた意図は。
末原:責任を持つという気持ちはもちろんあります。”仮モノの場所”ではなく、自分の感性がそのまま出せる場所っていうイメージがすごくあります。おぼんろの場合、やっぱりおぼんろとしてのものを提出する立場があるけれども、末原拓馬自体も変化していく、あるいは変化した、変化したい…いろんな面があります。末原拓馬という名前がタイトルに入っている、つまり自分自身のどの部分を出してもいい場所としてやりたいイメージが強いかなと思います。
ーー藤井さんは今のお話を聞いてどう思われますか。
藤井:いつも彼と話をしていて、どうあるべきかっていうこと、やっぱり誰かの期待に応えることは彼の中ではとても大きな部分。自分の名前を冠した場所に僕を呼んでくれたなら、彼がやりたいことの手助けがしたい。もちろん願われている姿は美しいことだし正しいことだと思うんですけど、そのことが彼を大きく苦しめている瞬間も見てきました。彼が本当にやりたくて、しかもやりやすく、本当に楽しく書いてほしい、楽しくやってほしいといつも思っているので、そういう部分の手助けができる、応援になるんじゃないかなとは思ってますね。
ーー「自力で生き残ることのできない物語」が、一つのポイントかなと思うんです。ある方が「舞台、物語ってどんどんどんどん生まれてってどんどんどんどん消えちゃうんだよね」っていうことを言ってました。SNSなどで広まるのが早い、話題になるのは早いけど消え去るのも早い時代なのかなと思いますが、それについては、感じるところはありますか。
末原:それはものすごくありますね。その回転の速さ、消耗品、消費されるものとしての物語になってるのはすごくわかるし、生みの親みたいな立場からするとそれは非常に悲しいし、特に舞台は残りにくいものだから。あっという間に消えてしまう。物を作ってくっていうことにちょっと虚しさも…自力で生き残る、に関して言えば、”誰かのためにある物語”、つまり自然発生せざるを得なかった物語、文学がある。表現に関しては前者、”こういうものを求められている本当に”便利”な物語みたいなのがすごく多いし、我々が普段仕事にしてるのはそっち。しかし、我々の日常の中では人のために抱いていない感情はいっぱいある。吐き出してしまう言葉・物語には人のためではないものがいっぱいある。そういうものも自分の中にはすごくあるんですよ。ただ存在してほしいものであるから…そのための場所、ここを作ったのもあるかな。
ーーそういった物語を奇譚庫に収めることによって何かまた新たに生み出されるものもあるのかなと思うんですけど…。
末原:それはやっぱりあるよね。今回、”決して気持ちよくない物語”とか、”わかんないその気持ち”みたいなものも入れてこうと思って。そういうものが、ちゃんと誰かに届くと思うと、次から次にそういうものを生み出せていけるし、そういうものを愛して集まる人が多いよっていうことも一つの物語、奇譚庫自体が一つの物語だといいなと思ったりするかもしれない。
ーー今の末原さんのお話を聞いて藤井さんはどう思われます。
藤井:エンターテイメントとしての演劇は、誰かが望んでいるアンサー、その答えを出してあげる、そのことで満足してもらう形がエンターテインメントとしては正しいと思っていて。その見たいと思ってるものを提供することに価値があるっていう部分と、アーティストとして、誰かが見たいからじゃなく、自分が思ったことを表現するっていう部分がこの奇譚庫の中にあれば、もちろんそれは望まれてないものを出すことの恐怖があるので、そこと向き合っていきながら、どこまでがエンターテイメントでどこまでアートなのかっていうところを探っていかなきゃいけないと思うんです。そのバランスでイケるんであれば、本当の末原拓馬っていうんでしょうか、末原拓馬が書いた作品を世に出していくにあたって、愛される拓馬ではなく、彼が誰かを愛したいから書いていく物語のスタートとして切れれば、いいんじゃないかなっていう気持ちです。
ーーいくつかの物語がオムニバス的に次々と出てくる印象なんでしょうか?
末原:そうですね。オムニバス短編集と呼ばれるジャンルですね。
ーーそうしますと見てるお客様は「すごくよくわかる」とか、「これはよくわかんない」とかっていうのがあるかもしれない。
末原:そうですね。その雑多なものが世の中にあることを認めたいし、我々にもいろんな気持ちがあるよねっていうことを認めたい。シャワーのようにどんどんワーッと…強い言い方だけど、物語の渦みたいなものを作りたくて、そこにいることによってトランスしてくるいろんな話がどんどん来て、そこの状態に行けるといいなと思ってる。
ーーなかなか面白い企画だなと思うのですが、公演のこの形自体が、前からやりたいと思ってたんですか、それとも最近思いついた?
末原:前からやりたいと思っていました…思いついた物語がポコポコ出てきて、以前は一人芝居とかをやっていたり、道端でやったりとか、月1でちっちゃいところを借りてやっていたり、できたものはそこでどんどん出してたんだけど。最近の活動、予め物語として求められる形が決まってる場所が増えているから、ポコッとできたものをその場で出していく場所が、このままないと過去の短編も思いついた新しい短編もどこにもいかないんだな、空気に触れないまま終わっちゃうんだなと思ってすごい焦り、焦燥感があった。「今回、いよいよだな」みたいな気持ちがある。キャスティングもちょっと独特で。
ーー面白い座組ですね。
末原:うん。こういうどろっとした純度の高い、”末原拓馬の匂いがする人”だけを集めて、やりたいなとずっと思ってた。
ーーちなみに稽古には入ってるんですか?
末原:まだです。台本は過去に書いたものがいっぱいありまして、それを今だから1人芝居、2人芝居、3人芝居、4人芝居、5人芝居って5人でどんどん短編、短編、短編でやる、膨大な数だから、どういう組み合わせにしようか考え中。
ーー藤井さんは今の話を聞いて作品についての印象はどうでしょう。
藤井:拓馬が作って見せようとするものに対して、全くこれまで疑ってきたことも不安に思ったことも心配に思ったことも実のところはないので、このまま彼が納得いくところまで考えて、その手助けもできる限りして、それで上がってきたものであれば、しかもとてもたくさんのところでやっていらっしゃる方々と一緒にやれるので全然心配はしてないです。楽しみなだけですね。
ーー最後の質問ですが、公演PRを。
末原:いつも思うけどPRって難しいんだよなあ。誰が来るのかな…普段の僕の作品を知ってる人は、いつもと違うぞ、って面白がってもらえると思う。としもりさんとの超久しぶりの共演を喜んでくれる人もたくさんいるはず。あと、キャストファンも来ますよね。
ーーキャストファンは来ますよね。キャストファンで多分おぼんろとか知らない人はいると思うんですよね。
末原:いつもは、温かい気持ちになってもらいたいとか、プレゼントのような気持ちで物を作ってきている。今回は末原拓馬だから、もう思いのままに、日常の中で出てしまったものを、隠さず披露するっていう場所なので、洗練されてないし、雑多だし。パッケージングされている綺麗なものではないからある意味見に来たみんなの中にあるものとか、見せられないよねと思ってるものや見つかるだろうな、見つかるのかもな、ていうこと。そういうことに対してこっちはあまり気づかずに、作品を出せたらいいなと思っている。ここでないと見られなない奇譚庫、この前も2人で喋ってたんだけどエンタメじゃないみたいなことをいい感じにお伝えできるといいんだけどね。初めてPRしてみた。
ーーお菓子に例えると、ゴディバのチョコレートみたいな綺麗なものを求めてる人もいる反面、駄菓子屋さんに行く人もいると思うんです。駄菓子屋さんには自分にとって良さげなものもあるけれども、そうは思えない微妙なものもたくさんある。でもそういうものが一堂に会するっていうのは、駄菓子屋さんじゃないですけど、ある意味、それもエンタメなんじゃないかなと思うんですね。
末原:確かに。工場で出た切れ端みたいな、余ったところのやつをさ、チョコレートの余ったのやケーキの切れ端とかをまとめてやってくみたいな。
藤井:駄菓子屋で言うなら、スーパーボールが当たりますって言って、スーパーボールが壁に一面にいっぱい、くじみたいな。ちゃんと跳ね返って帰ってこないやつとかあった。周りがでこぼこになってて、当たらないんだけど…当たってもちゃんと返ってこないスーパーボールみたいな感じ。それは当たらないと手に入らないところにある。
末原:スーパーボールとしてどうなんだみたいなそういうものでもそれがやっぱり良かったりする。特別なのが手に入ったよみたいな。それは多分万人には受けないし、みんなが求めてもないし。大きくて綺麗で自分の手元に返ってくるスーパーボールがいいんだけど、きっとそうじゃないものを求めている人もいるし、きっとそうじゃないってことに気づいてない人もいると思う。そういうことに気付けるようなものに僕らがものすごく一生懸命になることで、こういうのもありかもって思ってもらえる。それを一生懸命取り組んで、みんなに愛されないかもしれないけど、僕らこういうものを愛してるんですって言って次に誰かの心を動かすことになれば、一番いい結果なのかなって。みんながスタンディングオベーションじゃなくてもいいし、誰かが舌打ちをしてもいいんだけど、それを僕らはあなたが舌打ちするようなものを一生懸命作っているんですよっていう姿を見てくれれば、それが一つの正解なのかなとは思いますね。これはあなたのためだけの物語かもしれないよって。
ーーそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それも全部あり。さっきスーパーボールの話出ましたけども、スーパーボールちゃんと跳ね返ってこないのはスーパーボールじゃないって思う人もいれば、ポーンと当てて、変なところに行っちゃったとか、潰れて足元に転がったりしても、それも受け入れられる人もいれば、「いやこれはさ」って思う人もいるかもしれないけど、それも全部ひっくるめてありという…。
末原:はねないスーパーボールの美しさ自体は存在している。これは絶対に全員の前に出す。王様に献上されるスーパーボールではない。「その子たちほっとくの?」やっぱり見せてあげたい気持ちはある、それが面白いと。長く続くシリーズになったらいいなと思っていますね。
ーー長い時間、ありがとうございました。公演を楽しみにしています。
<おぼんろ過去公演舞台写真(末原拓馬&藤井としもり)>
末原拓馬奇譚庫とは
本公演では、劇場内を「自力では生き残ることのできない物語たちを集め、収蔵し、語り継ぐための場所――奇譚庫」という設定のもと、奇譚庫に納められた数々の物語たちを5人の俳優たちが息もつかせぬ勢いで語っていく不思議な空間は、観客(庫訪者)に感動ばかりではなく新たな視点と感情をもたらし人生に深い余韻を残します。しかし、ここで語られる物語に触れた人は、もう元の語られる前の自分に戻ることはできない──。それほどに強烈で、心を揺さぶる奇譚が集結します。
概要
舞台『末原拓馬奇譚庫』
日程・会場:2025年1月22日〜25日にMixalive TOKYO B2F Hall Mixa
脚本・演出:末原拓馬(おぼんろ)
出演:橋本真一 / 前川優希 / 三上俊 / 藤井としもり / 末原拓馬
特設サイト:https://hall.mixalivetokyo.com/information/takuma_kitanko/
公式X:@takuma_kitanko
♯末原拓馬奇譚庫
公演に関するお問い合わせ
Mixalive TOKYOお問い合わせフォーム
https://www.mixalivetokyo.com/contact/
企画・制作:講談社
主催:講談社
取材・構成:高浩美