山本芳樹出演・プロデュース 音楽劇『モビール~僕と兄貴とジャックと豆の木~』開幕

忘れていた情景を蘇らせる小さな宝石のような舞台、音楽劇『モビール~僕と兄貴とジャックと豆の木~』開幕。
劇団スタジオライフの看板俳優として活躍する山本芳樹が、一人から少人数によるミュージカル(または音楽劇)のオリジナル作品を、生演奏で届けるために設立した「プティビジュー」プロデュースによる音楽劇『モビール~僕と兄貴とジャックと豆の木~』が、東京中野のテアトルBONBONで上演中だ(3月1日まで)。

音楽劇『モビール』は、斎藤栄作脚本・演出によるオリジナル作品。童話「ジャックと豆の木」をモチーフに、大人になり疎遠になっていた兄弟が、母親の死をきっかけに改めて互いを知っていく旅路を、ファンタジー要素たっぷりに描いた物語が展開されている。


テアトルBONBONの客席に座ると、舞台下手奥にゆらゆらと揺れる乳白色のモビールが目に入ってきた。モビールは紙や薄い木、金属などのパーツが糸や針金で吊るされ、空気の動きでバランスを取りながらゆっくりと動くオブジェだ。改めて調べてみると風や人の手で動くと予想もしない形になることから、「動く彫刻」とも呼ばれる非常に芸術性の高いものだそうだが、身近な素材で手作りすることも可能な、知育玩具としても親しまれているという。そして私は、舞台の隅で揺れるモビールを見ながらふいに「これ、家にもあった」と、すっかり忘れていた情景がふいに浮かんできたことに驚いていた。一応「応接間」と呼んでいたものの、単にアップライトピアノが置いてあっただけの狭い部屋の一角に鎮座していた、いまや古い映画やドラマのなかでしか見たことがない人がほとんどだろう黒電話の上で、静かに動き続けていたモビール。あれはいつ頃まで揺れていて、いったいいつ処分したのだろう……。これはそんな、日常のなかに当たり前にあったのに、いつか記憶の彼方へと沈んでいたものを、思い出させてくれる作品だった。

出演キャストは僅かに四人。中心になっているのは、颯爽と社会で働く弟と、その社会への適応力を欠いている兄と、二人の母、そしてネコのジャックだ。けれども登場人物はその何倍もいて、キャストたちはそれぞれの役柄を演じ分け、過去といま(現代)と、更に場所を行き来する物語のなかを生きていく。全体にもファンタジーホームコメディを名乗るだけのことはあり、思わず吹き出してしまうものから、馬鹿馬鹿しすぎて苦笑してしまう(褒めている)ものまで、笑いもふんだんに散りばめられていて、肉親の死を扱っていつつも、心が重くなる描写はとても少ない。

そんな舞台から浮かび上がるのは、それぞれのルーツと、現在の在り様とは異なる過去の姿と、だからこそ愛おしい人と人との関わりだ。思えば子供の頃に、こうなりたいと願っていた、とまではいかなくても、漠然と抱いていた夢や、理想の大人にちゃんとなれている人はあまり多くないのではないだろうか。それどころか子供の頃に思っていたほど大人って、ある意味「大人」なわけではないし、家族も兄弟も姉妹も、独立すればその関係性は全く変わっていってむしろ当然だ。そう考えるとこの物語を「兄弟の再生を描く」といった言葉で語ってしまうのは、何か違う気がする。更には、確かに童話の「ジャックと豆の木」の通りに、鉢植えに植えた枝マメからはするすると芽が伸びていくものの、それは空へと登っていけるような大木では全くない。だから、誤解を恐れずに最短距離で語れば「あぶく銭は身につかない」という教訓物語である童話のテーマが、この作品とイコールになる訳でもないように感じる。

ただ前述したように、ふいに忘れていたものを思い出させる、一か所だけで吊るされているモビールが揺れる様と、そこに向かって伸びていく細い芽と、ラストに用意されたある場面とで、突然明らかになるバランスには、ハッとさせられる、心をつかむ鮮やかさがある。この展開は是非実際に舞台を観て欲しい、という以上に語ることはできないが、おそらく人によって受け取り方が異なるだろうし、それでいいのだと思う。ただ私には、このバランスがとても温かいものに感じられて、胸を満たす思いがした。作曲家の生演奏で届けられる、思えばとても贅沢な後藤浩明の音楽も雄弁で、限りなくミュージカル寄りの音楽劇として、登場人物たちの心情を伝えてくれていて、キャストそれぞれの歌い方、もっと言えば楽曲によっても異なる歌唱が、それこそモビールのように予想外の効果を生んでいく。たぶんオペラティックな歌唱を得意とする、ミュージカル俳優が朗々と歌ったとしたら、この効果は出ない(念のため、キャストが朗々と歌っていない、と言ってるわけではない)。脚本と、演出と、キャストの個性、そして数々のスタッフワーク。すべてが予想外の形を見せながら、とても不思議で、温かくて、味わいのある世界を広げていくモビールの魅力がここにある。

そんな世界を生きているキャストは三崎誠司の山本芳樹が、舞台に出ただけで視線をパッと引き付ける華のある持ち味を軸に、社会的に成功している大人である誠司が、忘れていた子供の頃、更にもっと以前のルーツをたどっていくことで、物語世界を進める役割りを果たしている。兄に苛立つのも最もだと思える序盤から、様々なことが見えてくる変化のなかで、終幕に向けての感情の起伏も美しく、この人のなかにあるいつまでも清新なものが、作品の軸を支えた。場面、場面での情感あるソロ歌唱も聞かせる。
一方、かなりやっかいだなぁと思わざるを得ない暮らしぶりをしている誠司の兄・凛太郎の天宮良は、そのやっかいさと、突然噴出するとある嗜好の振り幅の大きさでまず笑わせてくれる。またもうひとつ重要な役どころも演じるが、その時代色を感じさせる役の造形がおおらかで、忘れていたものを思い出させる作品の肝のひとつを、丁寧に表出する力になった。夢か現実かのファンタジー描写を持つ作品が、決して荒唐無稽な夢ではないと感じさせる実存感を高めている。
二人の母・花のまりゑは、花が亡くなることがドラマの発端なだけに、別の役柄でまず登場するが、たぶんにカリカチュア味の強い造形が絶品。花との演じ分けが大きな妙味を生んでいる。ミュージカル作品への出演も多い人だけに、演技面ばかりでなく歌い分けも鮮やかで、音楽面での貢献にも大きなものがある。こうなりたいと思い描いた大人に、ちゃんとなっているんだろうな、と思わせる演じる喜びにあふれた舞台姿が眩しかった。
そして、ネコのジャックの植本純米が、作品のファンタジー部分を双肩に担って躍動している。キャスト一人が何役も担う関係で、早替りの多い作品の、その早替えの時間をつなぐことを堂々と歌にしている、ある種人を食った展開が、植本の手にかかるとまろやかな可笑しみに変換されるのがいつもながらたいしたもの。時空を超える展開で、確かにこちらが思い込んでいたことを否定する台詞にも説得力があり、しっとりさせることもできるだろう場面で殊更エネルギッシュに歌うなど、演出の意図にもよく応えていた。

総じて、山本芳樹が自らプロデュースする作品をプティビジュー=小さな宝石と名付けた真意が伝わる、文字通り小さな宝石のような舞台で、それぞれの家族、子供時代、そして忘れていたものに想いを馳せられる、モビールをまた吊るしてみたくなる、観終わって誰かと語り合いたいオリジナル作品だった。

STORY
旅客機パイロットの三崎誠司(山本芳樹)は、スペインの港町マラガの路地裏を散策中に、三人の占い師に遭遇する。観光客相手に金を巻き上げるインチキと踏んだ誠司は相手にせずにその場を立ち去ろうとするが、占い師たちは金をとらず
「探し物はいずれ見つかるだろう」
とだけ言い残して姿を消した。
その直後電話が鳴り、兄の凛太郎(天宮良)から母・花(まりゑ)が亡くなったと知らされる誠司。
突然の訃報に動揺しながらも、葬儀代がないと言う兄に、まとまった金額を振込み大慌てで帰国した誠司だったが、出迎えた二日酔いの凛太郎から、悲しさのあまり酒を浴びるように飲み、前金も支払わないまま葬儀代を使い果たしたと聞かされて怒り心頭。逃げる凛太郎ともみ合ううち、割って入った葬儀屋に突き飛ばされ気を失ってしまう。
やがて目を覚ました誠司の前にいたのは、ジャック(植本純米)と名乗るオスかメスかもわからないネコだった。しかも凛太郎が酔っ払いながら食べていた枝マメをジャックが鉢植えに植えるとモヤシのような細い芽が生え、天高く伸びてゆく……
その芽の伸びた先には何があるのか、母の葬儀の行方は、そして占い師たちの残した言葉の真相とは?

<第一回公演レポ(2022年)>

スタジオライフ・山本芳樹ひとりミュージカル Yoshiki Yamamoto Solo Musical『ロートレック』、濃密な生き様、描くことは生きること。

概要
プティビジュープロデュース 音楽劇「mobile ~僕と兄貴とジャックと豆の木~」
日程・会場:2026年2月18日(水)~3月1日(日)東京都 テアトルBONBON
スタッフ
脚本・演出:斎藤栄作
作曲・演奏:後藤浩明
出演
天宮良 / 植本純米 / 山本芳樹 / まりゑ
公式サイト:https://yypetitbijou.com
公式X:https://x.com/yypetitbijou

レポ文・橘涼香/撮影・宮坂浩見