立川志らく:作・演出「志らくひとり舞台」、友情喜劇「不幸の家族」、プチ不幸と心の機微と涙と笑い、独創的なスタイルで演じきる

好評の舞台、立川志らくの「志らくひとり舞台」が開幕した。ここで披露される演目は新作落語「不幸の伊三郎」の続編にあたる「不幸の家族」。主宰の劇団で公演した舞台を一人で演じる。自衛隊時代に赤旗を読む右翼と言われていた美濃部伊三郎と、同じく自衛隊時代にスーパースターだった並河虎吉との友情喜劇だ。
照明は落語の照明ではなく、演劇的なもの。舞台には講談で使用される釈台がある。扇子、手拭い、落語のようであり、そうではないような、そんなスタイルだ。


とにかく、ストーリーに引き込まれる。男同士の友情、しかし好きな女性が同じ、取り合いになるという展開。よくある設定かもしれないが、そうは言ってもドキドキ、「それからどうなるの?」とついつい前のめりになっていく。そして一人称で語る部分もあれば、語りの部分もある。その状況に応じた手法も効果的だ。
その女性が片方と結婚すれば、もう片方は当然ながら失恋する。微妙な空気感になることは想像に難くない。やがて失恋した方も所帯を持つ。そして月日は流れ・・・・・お互いにいい歳になってくる。美濃部と並河、美濃部は妻と死別し、再婚を考えており、一方の並河は離婚。時代設定は2025年の日本、世界大戦に突入寸前、という状況だ。


しかしそんな国際情勢は彼らにとっては関係のないこと、目の前の日常のプチ不幸の方が彼らにとって大きいことなのだ。そんなこんなを立川志らくがもちろん、たった一人で演じきる。物語の面白さもさることながら、描かれているちょっとしたこと、2025年という設定なので、出てくるちょっとしたネタが共感できたり、ちょっと笑えたり。寿司屋の名前から、話題に登る映画、ストーリーとはいまいち関係ないこういったネタでクスクスと笑えるが、立川志らくのセンスの良さなのであろう。

また落語では扇子がいろいろなものになるわけであるが、箸とかになるのはもちろん、スマホになったりするところは『今』を感じ、ストーリーの節目部分では洒落た音楽が流れる。落語なのか一人芝居なのか、こういったカテゴリー分けはナンセンス、それぞれのいいとこ取りの新しいライブエンターテイメント、そしてラスト近くでは楽器を自ら演奏する。ちょっと毒づいてみたり、笑いの部分もふんだんに、そしてほろっと涙もあり、とにかくあらゆる要素がこれでもか、というくらいにぎっしりと詰まっているが、過剰にならずに絶妙のさじ加減で観客を引っ張り込む。映像演出とか、そういったものは一切出てこない。基本、話術で魅せる、そしてシンプルだが奥の深い物語、見終わったあとは、少し温かな気分になれる。描かれている人間の心の機微、揺れ動く気持ち、思わず頷きたくなる瞬間、上演時間は1時間ちょい、その短い時間の中に人生と人情と友情と愛が凝縮、必見の舞台、残念ながら日程が短い。思い立ったら下北沢・本多劇場へ!

<立川志らく:コメント>
どんなに素晴らしい新作落語を作っても評価の上において古典落語を凌駕できない原因は、古典落語のスタイルの中でやっているからだと思います。座布団に座って扇子と手拭いを使って上下を切って喋るのは古典落語のスタイル。この問題を打破するために着物を現代的にアレンジしたり、高座の上で転がって見たり柳家花緑のようにスーツ姿で椅子に腰掛けて語ってみたり、いろいろありました。
私の出した答えは「落語はひとり話芸の元祖であり、極みである」です。だからあらゆるひとり芸の要素を駆使して表現してみました。講談で使用する釈台を用い、時には立ち上がってひとりコントの要素を入れ、ひとり芝居のように一人称で会話を成立させ、楽器の演奏を自ら行い、語りの部分も入れ、演劇のように音楽や照明も使い、勿論古典落語の上下を切る表現方法も使う。そして出来上がったのが新しい新作落語、つまり現代落語です。
初演は2016年の「不幸の伊三郎」。今回上演する「不幸の家族」は2016年に上演した志らく演出・脚本・主演、下町ダニーローズの「不幸の家族」の落語版です。初演は2017年。「不幸の伊三郎」の続編に当たります。
このあらゆるひとり芸の要素をベースにした現代落語は従来の落語ファンも落語としてそれほど違和感なく聴け、落語未体験のひとには古典落語のルールがないので新しいひとり演劇として観ることが出来ると評判になりました。ちなみに「不幸の家族」は平成30年度の文化庁芸術祭において優秀賞を受賞しました。

【公演概要】
タイトル:「志らくひとり舞台」
日程・場所:2019年4月22日、23日 本多劇場
作・演出:立川志らく
立川志らくHP:http://www.shiraku.net/

文:Hiromi Koh