新浄瑠璃 『百鬼丸』〜手塚治虫「どろろ」より〜 本当に大切なものは目には見えない。

2019年の1月、「どろろ」が再びアニメ化され、それに沿った舞台も上演された。手塚治虫の名作、時を超えて再び、メディアミックスされている。扉座のこの作品は3回目の上演、しかも新浄瑠璃、と銘打ってある。つまり、原作やアニメの「どろろ」に姿を似せているわけではない、ということがタイトルから推測できる。舞台の上手と下手に様々な楽器が置いてある。木の櫓のような枠組みが上手下手に配置されており、舞台の真ん中には何もない。ろうそくを持った集団が舞台上に、そして通路から2人、登場する。鉢巻をした男が大きな魚を抱えて登場、目の前のたらいに刀、「お宝だ!!!」と喜ぶ。そしてそのたらいには・・・・・・布で包まれた赤子が・・・・・・男はその赤子を見て驚愕する。

 

この赤子こそがタイトルロールにもなっている百鬼丸だ。男はどろろ、泥棒を生業としている。魚はどうも盗んだものらしかった。百鬼丸は身体の四十八カ所を失って生まれた。だから声はでない。しかし、心の声でどろろに話しかける。なぜ、そうなったか、父である醍醐景光は野心家で天下を取るために取引をした。その結果が百鬼丸、「出来そこない!」、川に流されてしまう百鬼丸、それをどろろが拾ったのだった。
原作ではどろろは少年のコソ泥(実は少女だった)、これを大人の男性に変更している。だからといって違和感はない。刀は百鬼丸の左腕に仕込まれている、という設定だが、舞台ではそこにはこだわっておらず、刀は百鬼丸の意思で縦横無尽に動き回る。どろろは百鬼丸とともに行動する。そして百鬼丸は妖怪を退治する毎に失われた体を一つずつ手に入れていく。

楽器は国際色豊かで、特に打楽器のバリエーションが多く、多彩な音を奏でる。無国籍な感覚に近い音であるが、これが場面毎に物語や心情を彩る。日本の戦国時代が物語の舞台であるが、音、衣装、「日本らしく」という呪縛にとらわれておらず、ファンタジックな、『これは寓話なのだ』という雰囲気を醸し出す。妖怪も京劇を彷彿とさせるものもあり、作品世界に合うテイストであれば、なんでもOKということであろう。義太夫もずっとのべつまくなし、ではなく要所要所で朗々と響く。”新浄瑠璃”と銘打っているが、そもそも浄瑠璃は三味線を伴奏にした語り物の音楽で室町時代に発達している。しかし、一方で浄瑠璃とは仏語で清浄で透明な瑠璃のこともさし、清浄なもののたとえでもある。

百鬼丸は目が見えない。心で見るより他にない。百鬼丸は妖怪を退治する毎に失われた身体の部分を取り戻していく。特に手をとり戻すシーンでは舞台後方にたくさんの「手」、それで印象付ける。
また、父である醍醐景光と母である安佐比の間にはその後、子供が生まれた。名は多宝丸、見目麗しい青年に成長、しかし、ひょんなことで多宝丸に百鬼丸のことを知られてしまう。こういった設定が物語に多重性をもたらす。さすが手塚治虫作品という他にない。
コロスのフォーメーション、コロスが手にする旗、それらがダイナミックに動き、エンターテイメント性を強くする。そして百鬼丸はついに目が見えるようになるが、彼の目に広がる世界は美しいものではなかった。彼にとっては見えない方がよかったのか、やはり見えた方がいいのか、この瞬間は観客も考えさせられる場面だ。
権力にこだわる醍醐景光、天下を取りたい、そのためには全てを賭ける、ドロドロとした野望、そのためには家族ですら、である。天下はそこまでして得るものなのか、もっと大事にすることがあるかもしれない、しかも大切なものは目には見えない。野望の先に見える景色は?色にたとえるなら何色なのか?原作が発表されたのは1967年のこと。扉座の「百鬼丸」は初演が2004年、再演が2009年、今年は2019年、奇しくも元号が変わったばかり、千秋楽は6月16日。ドラマチックな作品世界、響く言葉、ラスト近くはそれが圧倒的な勢いと迫力で迫ってくる。醍醐景光の最期、母はどうするのか?

原作の設定をベースにところどころ改変し、手塚治虫が描こうとしていた『芯』の部分に迫ろうとしている。いわゆる「2.5次元」と呼ばれているものは見た目を原作ビジュアルに寄せ込み、ストーリーもなるべく忠実に、というのが大半。ところが、この「百鬼丸」はそこにこだわらずに作品のテーマをどう見せるのか、どう表現するのか、という命題にひたすらこだわった結果の”新浄瑠璃”であり、タイトルも「どろろ」ではなく「百鬼丸」とし、この作品の哲学、倫理、心に肉迫しようとしている。いわゆる原作ものを舞台化する場合、実はそこにはルールはなく、ただひたすらに作品世界を、テーマを追求していけばよいのだ、というシンプルな結論。だから描き方に具体的な方法論はなく、自由。特に手塚治虫作品の場合は『芯』が深淵であったりする。実はなかなか手強い「どろろ」、何度でも上演でき、何度でも手を加えることができる作品、未来へつなげていける可能性を秘めている。

<あらすじ>
野心に燃える戦国武将・醍醐影光は、天下取りのために生まれてくる我が子の肉体の
四十八ヶ所を魔物たちに与える取引をする。
四十八ヶ所を失って生まれた赤子(百鬼丸)は川に流されながらも生き抜き、
運命的に出会ったコソ泥の男(どろろ)を供とし、奪われた肉体を取り戻すために
魔物を倒すたびに出る。
そして遂に母との再会を果たす百鬼丸。
しかしその再会は、百鬼丸やどろろに新たな悲劇をもたらしたのだった。
失われたものを、失われた時を、探しに……
母への恋慕に。
父への憎悪に。

【公演概要】
新浄瑠璃『百鬼丸』〜手塚治虫『どろろ』より〜
日程・場所:
2019年5月11日(土)~5月19日(日) 座・高円寺1
2019年6月14日(金) 美浜市民文化ホール
2019年6月16日(日) 厚木市文化ホール 大ホール
原作:手塚治虫
作・演出:横内謙介
制作:赤星明光 田中信也
票券:大原朱音 薗田砂枝
制作協力:手塚プロダクション
製作:(有)扉座
扉座公式HP:http://www.tobiraza.co.jp
取材・文:Hiromi Koh