2020年1月25日(土)~2月2日(日)新国立劇場小劇場にて、鈴木勝秀×る・ひまわり第3弾公演として、 濃密で贅沢な二人芝居『ウエアハウス-double-』と、3人の詩人の物語『る・ぽえ』を同時期上演。 第1弾では3つの話をオムニバスで、第2弾ではそこに W キャストを2組入れて、そして今回は同じ期間に、同じ舞台装置で全く異なる作品を上演するという、回を追うごとにハードルが上がる本シリーズの新たな挑戦が、この第3弾。
『ウエアハウス-double-』は、鈴木勝秀の26年に渡る実験的シリーズの最新作。これまで二人、三人、八人と人数や 設定を変えて上演され続けてきた本作に、今回は平野良と小林且弥という演技力に定評のある二人が挑む。これまでの『ウエアハウス』とは一味違った“切なさ”が魅力で、日々変化する「生」の臨場感が味わえる濃密な空間に誘う。
閉鎖された教会の地下にある「憩いの部屋」で活動する暗唱の会。各々が詩や小説、戯曲などを暗唱するサークルに参加しているヒガシヤマは、ある日、一人でアレン・ギンズバーグの長編詩「吠える」をひたすら練習していると、謎の男・ルイケが現れ・・・。
そして『る・ぽえ』は、3人の詩人、高村光太郎、萩原朔太郎、中原中也の物語をオムニバスで。実験的な稽古を繰り返し、これまで見せたことのない顔を見せる碓井将大、辻本祐樹、木ノ本嶺浩、林剛史、加藤啓。“詩”に触れる機会が少ない現代だからこそ、改めて“言葉”の持つ強さを感じられるような、三者三様の魂のこもった“言葉”を通して、3人の詩人の人生を描き出す。
「智恵子抄」――妻・智恵子が狂っていく様を、智恵子が亡くなった後の光太郎の目線で描く静かな愛の告白。 「月に吠える」――独自性を貫き、多趣味な性格で自己を形成し続けた朔太郎と友人たちのバカ騒ぎの日々。 「中也と秀雄」――パンクでロックな“告白者”中也は、親友に女を奪われたとき何を想ったのか。女からひも解く“告白者”の人生。
<『ウエアハウス-double-』>
取り壊し予定の教会の地下の一室で『エドワード・オールピー全集第2巻』を手に『動物園物語』の一節を暗唱している男・ルイケ(小林且弥)。それからイヤホンを耳にしている男・ヒガシヤマ(平野良)が『ギンズバーグ詩集』を開いている、詩を暗唱する。ギンズバーグは詩人で活動家。エドワード・オールピーは、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』1962年)が有名であるが、ここで登場する『動物園物語』(1958年)は彼の劇作家デビューの作品だ。ルイケは突然英語でヒガシヤマに話しかける、「It’s very hot today,isn’t it?」、唐突だ。それから互いに自己紹介、ルイケはバツイチ、独身、ヒガシヤマはサラリーマンで平社員、10歳の娘がいるが、妻とグルになって自分の居場所がない、作家になりたかったという設定。
密室でシュールな展開、ルイケは昔、覚えたことがある円周率を暗唱、しかも100桁近く!犬の吠える声が時折聞こえる。ギンズバーグの『吠える』の第3章を全力で暗唱するヒガシヤマ、ルイケは全力で拍手。ちなみに、このギンズバーグの『吠える』は彼の代表作と言われている。同性愛やドラッグなどを謳歌したライフスタイル、1950年代〜の約10年間はヒッピーなどから熱狂的な支持を受けたという。
思わぬ展開、冒頭で登場する『動物園物語』がベース。よくよく考えると人間は皆、異なり、違う背景、生い立ち、文化を持っている。分かりあおうとしても分かり合えないことがある。また、受け入れたくても受け入れられないこともある。不条理でシュール、彼らは多分、お互いに孤独、そしてどこまでいっても分かり合えない関係。そんなこんなをたった2人の俳優で見せていく、しかも何もない空間で。出てくるものは途中で買いにいった水ぐらいだが、ラスト近くは恐怖とも思えるぐらいなドラスティックで衝撃的なシーンが出てくる。「誰かいませんか!」と叫ぶヒガシヤマ・・・・・・・そして最後にまた『動物園物語』をヒガシヤマが暗唱する。ルイケを長身の小林且弥が演じているが、シンプルなファッションでやや猫背気味な立ち姿がより不気味に見せる。対する平野良は薄いブルーのシャツにベージュ色のスラックス姿、平凡な、ありふれた格好、極めて常識的な雰囲気を漂わせる。この対比で作品世界を見せる。
これをどう解釈するかは観客の自由だ。その自由さと何もない空間、犬の吠える声、途中、ヒガシヤマのスマホに「都内を通り魔が逃げ回っている」というお知らせが入る。都会の不気味さも相まって(しかも劇場が都会のど真ん中!)、そんな細かい仕掛けもなかなかにくい作品であった。
<『る・ぽえ』>
こちらは[智恵子抄]、[月に吠える]、[中也と秀雄]。
冒頭は「智恵子抄」を朗読している男たちが4人、中央の舞台の4隅でレモンを持っているが、投げたりしている。中央には椅子、そこには見えない智恵子が座っている、という設定。高村光太郎(辻本祐樹)がレモンを手にして登場する。「智恵子抄」の中に「レモン哀歌」がある、”そんなにもあなたはレモンを待つてゐた”という書き出し。高村光太郎と智恵子との愛を謳う詩として有名だ。舞台にいる俳優が「あなたはだんだんきれいになる」という。「智恵子抄」に書かれている一節であるが、この「智恵子抄」は智恵子没後に刊行されている。智恵子への愛が溢れている、シンプルな言葉。
それから場面は変わって[月に吠える]、萩原朔太郎(木ノ本嶺浩)の詩集で、この作品で彼は詩人として世に知られるようになった。舞台上でマジックを披露し、彼の周りには北原白秋(碓井将大)と室生犀星(林剛史)。この朔太郎が舞台上でマジックを披露、実際には朔太郎は昭和12年にマジシャンズ倶楽部に入会するほどの奇術好き。そんなエピソードからきている場面だ(実際には技術はイマイチだったとか)。彼の詩人としての出発は1913年(大正2年)に北原白秋の雑誌『朱欒』に初めて「みちゆき」ほか五編の詩を発表してから。また、萩原朔太郎は北原白秋と銭湯に行ったことがあり、朔太郎は白秋に片思いだったらしい、とのこと。また朔太郎は初めて室生犀星の詩を読んだ時に、心打たれ、ファンレターを送ったとのことだ。室生とは生涯の友となる。そんなことに思いを馳せながら、舞台を観ていると興味深い。そして実際に「月に吠える」の序文を北原白秋、跋文を室生犀星が書いている。またヨーロッパの新しい詩の傾向を知っていた森鴎外らからも絶賛された。また朔太郎は芥川龍之介とよく議論したことがあることが彼が遺したものからもわかる。そんな彼らのエピソードが象徴的に、作品タイトルの『る・ぽえ』の”ぽえ”、おもなる登場人物は詩人で、ポエム的なスケッチ、何もない空間で俳優陣が演じている。また。場面変わって高村光太郎と智恵子の話、舞台の隅に4人、中央には高村光太郎、詩を朗読。ここは智恵子が実際に生きていた時のことが描かれている。智恵子は舞台上には一切出てこない。それが一層、高村光太郎の智恵子への愛を示す。切なく、心が痛くなるような、しかし、智恵子抄に出てくる「レモン哀歌」、に象徴されるよう高村光太郎の彼女への愛が昇華されているのを改めて感じる。
そして『る・ぽえ』の最後のシーンは中原中也(碓井将大)、ウイスキー片手に「汚れちまった悲しみに」を口ずさんで登場、音楽はパンクロック。中原中也は中学生の頃に酒やタバコを覚えたそうで、酒乱だったそう。この場面はそんなエピソードを彷彿とさせる。それから小林秀雄(加藤啓)と富永太郎(林剛史)、江藤淳(木ノ本嶺浩)が舞台上に登場する。富永太郎は中原中也が『師』と仰いだ人物、江藤淳は文芸評論家である。小林秀雄との関係だが、実は長谷川泰子という女性と三角関係、それを彼らが代わる代わる語る。そして中原中也はその時の告白をする。当時、小林、長谷川は20代前半、中原中也に至っては19歳。長谷川泰子は中原中也と同棲していたが、のちに小林秀雄の元へと去っていく。中原中也は1937年に30歳の若さで死去している。「汚れちまった悲しみに・・・・・」、中原中也という人物像、子供の頃は軍医だった父親から期待され、スパルタ教育を施されていた。昔では当たり前な「体罰」も受けている。ロック音楽に合わせて中原中也は詩を歌うように語る場面もある。そんな彼の生涯の”スケッチ”、舞台を観ている側もキリキリとする。彼の没後、彼が遺した詩は高い評価を受けるが、生前は波乱万丈で、様々なことが彼の身に襲いかかる。その末路を思わせる舞台、これも”スケッチ”、より彼の姿が鮮明に見えてくる。そして再び、高村光太郎のシーン、有名な「レモン哀歌」で最初は聞き取れるかどうかの声で読んでいたが、そこから絶叫に近いほどの高ぶり。悲しみに満ちた、しかし、智恵子への愛に溢れた終わり方であった。
【公演概要】
公演名:『ウエアハウス-double-』
上演台本・演出:鈴木勝秀
出演:
平野良、小林且弥
日程:
<昼公演>1月26日(日)12時公演/29日(水)15時公演/2月1日(土)13時公演
<夜公演> 1 月 25 日(土)、27 日(月)、31 日(金)19 時公演/2 月 2 日(日)16 時公演
料金:8,000円(全席指定・税込)
公演名】:『る・ぽえ』
上演台本・演出:鈴木勝秀
出演:
碓井将大、辻本祐樹、木ノ本嶺浩、林剛史、加藤啓
日程:
<昼の部>1月25日(土)、31日(金)15時公演/2月2日(日)12時公演
<夜の部>1 月26日(日)16 時公演/1月28日(火)、29日(水)、30日(木)19 時公演/2月1日(土)18時公演
料金: 8,500円(全席指定・税込)