《インタビュー》ダンスアーカイヴプロジェクト2020「踊る日本の私」監修 坂口勝彦

2020年9月30日(水)〜 10月1日(木)にダンスアーカイヴプロジェクト2020 プロジェクト大山 「踊る日本の私」、 東京ウィメンズプラザにて、そしてオンライン映像配信でも行う。
「踊る日本の私」は、1940年に上演された『日本』三部曲から想を得て、この度新たに創作されるダンス作品。
オリジナルの『日本』三部曲について、監修者の坂口勝彦氏に話を伺った。

日本を代表するモダンダンサーと新進の作曲家が集った90分の舞踊作品

—— まず、『日本』三部曲はどんな作品だったのでしょうか。

坂口:当時の代表的な舞踊家、江口隆哉、高田せい子、石井漠が、それぞれの舞踊団総出演で、上演しました。台本は舞踊評論家の光吉夏弥(戦後は児童文学家で知られます)。3作品は「創造」「東亜の歌」「前進の脈動」で、それぞれ、神国日本のルーツを称揚し、日本の中国支配を正当化し、戦時体制を強化する、という意図で書かれました。新進の作曲家、深井史郎、江文也、高木東六が作曲し、合わせて90分ほどの作品となりました。松本学が結成した日本文化中央連盟という団体が企画した「皇紀二千六百年奉祝芸能祭」という大きなイベントの中の、現代舞踊部門作品です。

[江口隆哉 当時40歳 舞踊家]
1930年代に宮操子と共に渡独、ドイツ表現主義舞踊を学んだ。帰国後江口・宮舞踊研究所を設立、モダンダンスの普及に多大の貢献をした。
[高田せい子 当時45歳 舞踊家]
帝国劇場歌劇部第一期生。夫となる高田雅夫と共に浅草オペラで活躍。後に高田舞踊研究所を設立、江口隆哉はじめ多くの後進を輩出した。
[石井漠 当時54歳 舞踊家]
帝国劇場歌劇部第一期生。1920年代に欧米で活動。帰国後は日本のモダンダンスの先駆者として国内、朝鮮、中国で公演した。
[光吉夏弥 当時35歳 舞踊評論家・絵本研究家]
1920年代より舞踊評論を行うと共に、精力的に海外の舞踊家を紹介する。児童書翻訳多数。「岩波の子供の本」シリーズを創立した。
[深井史郎 当時33歳 作曲家]
ストラヴィンスキー、ラヴェルの影響を受け、1933年に「5つのパロディ」を発表。また溝口健二の「残菊物語」など多くの映画音楽を作曲した。
[江文也 当時30歳 作曲家・声楽家]
台湾出身、長野県上田市で育つ。声楽家として頭角を現し、1936年ベルリンオリンピックの芸術競技に自作の管弦楽曲を出品。戦後は大陸に渡り、文革時は迫害を受けた。「東亜の歌」は「大地の歌」と改名され、「江文也全集」に収録されている。
[高木東六 当時36歳 作曲家]
東京音楽学校ピアノ科を卒業後フランスに留学、帰国後は作曲家として活躍した。クラシックのみならず、ポピュラー音楽も数多く手がけ、テレビ番組でも独特の辛口批評で人気を博した。
[松本学 当時53歳 元官僚]
1911年内務省入省。静岡県知事、警保局長、貴族院議員を歴任。1937年日本文化中央連盟常務理事就任。当該連盟が皇紀二千六百年記念事業を執り行った

残された写真・台本・楽譜・記事・批評から読み解く

—— すでに80年前ですが、資料が残されているのですか
坂口:日本文化中央連盟の機関誌『文化日本』に、企画の発表や途中経過、光吉夏弥の台本、それぞれの作家の言葉、そして総括等が載っています。舞台写真は、同団体が2年後に出した芸能祭の写真集などで数枚見られます。新聞や舞踊雑誌に掲載された批評でも部分的に舞台の様子がうかがえます。残念なことに、映像は今のところ見つかっていません。深井史郎と江文也の曲は楽譜が残っていて、深井作曲の「創造」は、ロシア・フィルハーモニー交響楽団が2004年に録音したCDで聞くことができます。
「創造」
https://youtu.be/PkyME8tdZ-4

幻の東京オリンピックと皇紀二千六百年祭

—— 戦争の時代ですね。
坂口:1940年は、アジアで最初のオリンピックとなるはずだった東京オリンピックの年です。泥沼化する日中戦争のために中止になりましたが、オリンピックに代わるスポーツイベントがいくつも国内で開催されました。そればかりか、この年は皇紀2600年、つまり神武天皇即位から2600年目ということですので、官も民も、祭祀的、政治的、文化的な様々なイベントを行いました。日本文化中央連盟も、この年にふさわしい事業を行うために立ち上げられた半官半民の団体です。この連盟が、日本精神の覚醒と発揚を意図して開催したイベントが「皇紀二千六百年奉祝芸能祭」で、一年にわたって音楽、演劇、舞踊、映画の分野からたくさんの作品が上演されました。

戦時下のダンス プロパガンダか芸術か

—— 『日本』三部曲のどういう点に関心がありますか。今振りかえる意味は何でしょうか。
坂口:戦時下という特殊な状況で依頼されたこの作品は、作者の意図の前に、国策に沿うようにひとつの意図が決められていて、それに沿うように作られました。その意図は戦時下としては凡庸なものですが、それぞれの舞踊家がどう反応したのかに関心があります。どのような作品を作ったのかは、資料が乏しいので推測するしかないのですが、それぞれの舞踊団が総出演で大がかりな作品を作っているのですから、決して手を抜いた作品ではなくて、本気で作っているはずです。その本気さを知りたいと思います。また、台本を書いた光吉夏弥は、外国のダンスを紹介する第一人者でしたから、バレエ・リュス、バレエ・スエドワ、クルト・ヨースなど、20世紀の始まりを代表する舞踊家の要素も果敢に取り入れました。それぞれの舞踊家がそれをどう受け止めて振付を作ったのか、とても興味があるところです。
[バレエ・リュス]
ロシアの興行師セルゲイ・ディアギレフが創設したバレエ団。1909年にパリで旗揚げし、欧米を席巻。一流の画家や作曲家を積極的に起用し、ダンスのみならず20世紀の芸術全般に大きな影響を与えた。29年にディアギレフが亡くなった際、光吉夏弥は『三田文学』に追悼文を寄せた。
[バレエ・スエドワ]
スウェーデンの資産家/芸術愛好家のロルフ・ド・マレが、バレエ・リュスを手本に創設したバレエ団。1920〜25年、パリ・シャンゼリゼ劇場を拠点に極めて前衛的な活動を展開した。世界中を旅して回ったマレは日本にも3度訪れており、光吉とも交流があったと見られる。
[クルト・ヨース]
ドイツの振付家。1932年、ロルフ・ド・マレが主催する国際振付コンクールにて反戦をテーマにした「緑のテーブル」で1等を受賞、当時留学中であった江口隆哉はこの舞台を見ていた。翌年、ナチス台頭によりイギリスに亡命。37年に来日公演を予定していたものの、実現しなかった。

日本モダンダンスの戦前と戦後を結ぶミッシングリンク

坂口:戦時下に舞踊家たちは様々な形でダンスを続けていました。でも、映画や演劇ほどには、戦時下でのダンスの様子は明らかにされていませんし、その戦争責任もほとんど語られません。1度限りで2度と上演されなかったこの作品は、重要な作品として見られることはあまりないのですが、石井漠、江口隆哉・宮操子、高田せい子たちがどう取り組んだのかを知ることは、かれらの戦前と戦後を結ぶミッシングリンクとなるはずです。この作品を含むこの時期のダンスを精査することで、ようやく、日本のダンスでの戦前と戦後の連続性や断絶について語ることができるようになりますし、戦争責任を受け止めることもできるでしょう。また、芸能祭という形で国家の意志が芸術や文化に介入する事例としても、検証する意味があります。

(画像出典:同盟グラフ編纂部『奉祝紀元二千六百年』皇道振興会、1941年)

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<チケット購入者限定公開 オンラインレクチャー:坂口勝彦 『日本』三部曲とはなにか?>

戦時下日本のダンスの研究者であり、本公演の監修を務める坂口勝彦氏が、日中戦争の只中に上演された『日本』三部曲の背景をたっぷり語ります。舞台を見るだけでは知り得ない情報や貴重資料が満載。「踊る日本の私」がもっと面白くなるレクチャー、公演前にぜひお楽しみください。
【日時】2020年9月18日(金) 〜 10月2日(金)12:00
【視聴方法】劇場公演・オンライン配信のチケットご購入のお客様に、9月中旬よりレクチャー視聴リンクをお送りします。

<プロジェクト大山「踊る日本の私」—— 大山流 『日本』三部曲と新しい生活様式>

[振付・演出]古家優里
[脚本・構成・演出]田上豊(田上パル主宰)
[出演]古家優里、三輪亜希子、松岡綾葉、長谷川風立子
[音楽]武田直之 [衣装]坂本千代 [監修]坂口勝彦
◎ 劇場公演
【日時】9月30日(水)・10月1日(木) 19:00開演
【会場】東京ウィメンズプラザ
【チケット】劇場鑑賞チケット 3,000円 https://dap2020-live.peatix.com/

◎ オンライン配信
【日時】10月1日(木) 20:30 〜10月2日(金) 12:00
【視聴方法】Peatixよりお申し込みいただいた後、9月中旬より配信視聴リンクをお送りします。
【チケット】配信視聴チケット 1,200円 https://dap2020-online.peatix.com/