<2020年を振り返って>「ひとりしばい」に見る演劇配信の可能性

新型コロナウイルスの蔓延により、2020年の3月初旬頃から、公演の中止や延期が相次いだ。開幕しても途中で中止になったり、あるいは5月、6月の公演を目指して稽古をしても結局は中止にせざるをえないケースも多く、今まで当たり前のように興行を行っていた主催は今までに経験したことのない苦難に見舞われた。
その中で配信ありきの演劇、あるいはZoom演劇など、この状況だから生まれた演劇がある。

「ひとりしばい」は、その名の通り、俳優がひとりで芝居をする。そして演出家(作品創作も担う)とタッグを組むというスタイル。この状況が新しいものを創造した。俳優に合わせて当て書きもできるし、描きたい世界観を”俳優ひとり”、”配信のみ”という制約を除けば、自由だ。荒牧慶彦から始まり、順調に公演はシリーズ化していった。映像なので映画的と思いきやしっかりとした演劇であり、ドキュメンタリー性もある。コロナ禍の前から映画館で鑑賞できるライブビューイングとも異なり、没入性もぐっと高く、さらにイヤホンやヘッドホーンを使用すれば没入感も得られる。俳優と演出家も組み合わせによって変化する見せ方、テーマ。演劇はその場で大勢の人間が観て、体験や感動を共有する。しかし、この「ひとりしばい」は没入感が得られることによって、そして”今、この瞬間、自分以外にも大勢の知らない人々が同じ画面を観ている”という別の次元での共感。2020年、21世紀ならでは、だ。
そして2020年最後は作・演出に末原拓馬を迎え、1つの作品を3つに。タイトルは『ラルスコット・ギグの動物園』。それを演じる俳優を変え、登場キャラクターも変え、それぞれ”読み切り”のスタイルをとりつつ、3つを視聴すると描こうとしている世界観やテーマがより立体的に深淵に視聴者の心に入ってくる。しかも、この公演はリアルに劇場で観るのと配信と両方選べる、という趣向。しかも俳優はそれまでは舞台俳優を起用していたが、この公演は声優。普段はアニメやゲームの声を仕事をしている面々なので、声の演技には定評があるのは周知の通り。配信の場合は視聴者はイヤホンあるいはヘッドホーンで聴いている可能性があるので、声は重要な”アイテム”だ。

11月27日は佐藤拓也、28日は下野紘、29日は福圓美里。演じる動物は佐藤拓也は虎、下野紘は象、福圓美里はリス。物語の骨格はラルスコット・ギグの動物園にいる動物の生き様。動物園は戦争により破壊される。あちこちで火の手が上がり、動物たちは逃げる。ただそれだけであるが、そこにそれぞれの”ストーリー”が存在する。末原拓馬はコロナ前は没入型の演劇を演出していた。客席と舞台を分けず、観客は物語の”場所”に座る。すぐそばでキャラクターが演じている。ところが、このコロナ禍ではできない手法、それが、この「ひとりしばい」では、その手法が功を奏している。リアルで観る場合は客席に普通に座って観るが、配信だとキャラクターがぐっとアップになったり、客席からは体験できないアングルであったり。これが末原拓馬が描くファンタジックな世界観とマッチする。そして3匹の物語はそれぞれ連動しあっており、例えばリスが他の動物の物語に登場する場合は担当する声優の声が響く。完璧なる「ひとり」ではなく強いていえば1.2人かも?と思わせる。ここは新しい手法、よって例えば、一つはリアルに劇場で観劇し、残りは配信で視聴することも可能であるし、アーカイブ配信を利用してリアルに観劇したのを改めて配信で観るのも”あり”だ。観劇スタイルも従来の概念を打破、新しいジャンルを確立したといっても過言ではない。そういう意味においては「ひとりしばい」は極めて今日的であり、未来型演劇と言えるかもしれない。

ひとりしばい公式HP:http://officeendless.com/sp/hitorishibai/
ひとりしばい公式ツイッター:https://twitter.com/hitoshiba2020

文:高 浩美