大学でミジンコの研究をしている“くそ真面目”な学者、伊集院正男が、間違って蜂の性ホルモンを凝縮したジュースを飲んで絶世の美女に変身してしまう、という抱腹絶倒のストーリー。それをオペラで上演するのが、日本オリジナルのオペラ作品を上演する唯一のオペラ団体、日本オペラ協会だ。
2001年に鹿児島で初演、その後`04年に日本オペラ協会によって東京初演が行われ、2017年にも再演、今年2022年は演出に台本を執筆した高木達を迎え、ニュープロダクションとして上演する。
このオペラの作曲家である伊藤康英さんのインタビューが実現、企画立ち上げ時のこと、初演時のこと、作品について、オペラへの想いなどを存分に語っていただいた。
――お話が遡って恐縮ですが、企画発足時のことや、作品完成に至るまでのことをお聞かせください。
伊藤:ものすごく長い話になります(笑)が、そもそもの最初からお話させてください。1986年に作陽音楽大学(現・くらしき作陽大学音楽学部)でコレペティ(注1)を頼まれまして、当時の日本では「コレペティ」という言葉はほとんど聞かれませんでしたね。何をやったらいいんだろうかと悩んだんだけど、フォルカー・レニケ先生のもと、オペラを勉強させていただきました。また、演出には松本重孝先生がいらしていました。
当時の作陽は、津山市にあり、松本先生やレニケ先生とはしばしば飲み交わしてオペラ談義をしていましたね。その頃、もしかしたらオペラの委嘱の話がくるかもしれない、ということになり、そのころから「歌曲」の作曲を始めました。
全国各地のオペラの演出をされている松本先生が、あるとき、鹿児島オペラ協会が30周年を迎えるので、新しいオペラを作りたいという、書いてみないか、という話をきき、「書きます!」と返事をした。それがこのオペラの始まりです。
――曲も聴きやすく、お話も漫画っぽくって(笑)。苦労したことや楽しかったことは?
伊藤:「一生のうちにオペラ書くぞ」と思う作曲家は多いです。でもぼくは、20代から30代前半の頃にヨーロッパのコレペティ・システムで制作するオペラを勉強させてもらった、これが強みとなりました。作曲技法の上でモーツァルトやヴェルディ、リヒャルト・シュトラウスなど、オペラ作曲の工夫の仕方を学びました。オペラ制作の現場にいたから気づいたことが多いですね。
オペラは、実際の公演より、もしかしたら稽古に行った方が面白いかもしれない(笑)。演出家はいろんなことを言っているし、マエストロと演出家の丁々発止のやりとり、そういう場に立ち合わせていただいたことで、オペラの本当の面白さを知りました。
歴史的に、第一次世界大戦後のオペラはレパートリーとして定着しているものがあまりない。19世紀のヨーロッパが一番華があったかもしれません。そのうちに、20世紀には色々な娯楽が出てきた。オペレッタ、ミュージカル、映画、ラジオ、テレビ、いろんなエンターテイメントがある中で、オペラはどうしたらいいんだろうかと、本当にオペラの行く末を考えてきたのかと…ちょっと疑問に思ったんです。
19世紀は、今の人たちがミュージカルや映画を気楽に観に行くように楽しみに行ったのではないかと。いいメロディーが必ずあって口ずさみながら家に帰る、そういう、オペラの良かった時代の良かったところを表現したいなと思ったんですね。
「ミスター・シンデレラ」の初演では、指揮は坂本和彦先生、演出は松本重孝先生と決まっていました。鹿児島オペラ協会と顔合わせの時に、ものすごい量の資料を鹿児島から持ってきてくれました。すべて鹿児島の民話だったんです。ご当地でも知らないような民話を掘り起こして創る、地方のオペラではありがちですが。その時、台本の高木さんもその場にいらしたと思うのですが、それを一蹴しまして…「民話では書きません」と(笑)、そうではないものにしたいと。そのとき、劇団青年座の座付作家である高木さんが「実は温めているアイディアがある」と、「男が女になる話」を切り出しまして(笑)、一瞬、冷たい空気が流れました。みんな不安で(笑)。
でも「とにかく箱書き、あらすじを書きます」と…それを見て「面白いんじゃないか」と思った。そして出来上がった台本を読んだところ、「これはイケる」と思ったんです。ちなみに、台本をお願いしたときに一つだけ注文したんです。台本に「ここはアリア」「ここが重唱(注2)」と書かないでほしい、それは作曲家として自分で見出したい、ということ。
高木さんの台本は素晴らしく、読み進めるうちに次々と音楽が浮かんできました。今まで勉強してきたオペラの様々なシーン、モーツァルトやヴェルディの書き方が次々と思い浮かんだんです。このオペラは“伊藤康英が作曲技法を披露するもの”ではなく、オペラの本当の楽しさを知ってもらえる、そういうのが書けると思ったんです。
ずっと思い続けてきたことがありまして。…この何十年かで日本のオペラが知られるようになりましたし、一時は“オペラブーム”っていう言葉もありました。ところが歌い手が一人で歌うコンサートなのに「今日はオペラ観てきた」という認識のこともあるわけです。
それから、日本ではオペラはほんの数日間しか上演されない。翻って歌舞伎は1ヶ月、昼夜満員御礼状態でやっているじゃないかと。歌舞伎と比べると、オペラは日本に全く浸透していない。たとえば「ミスター・シンデレラ」のような作品でオペラの面白さを知ってもらい、そこから日本のオペラを広げていけたらいいなあと。
「オペラ、面白いぞ」と、まずはそこから音楽のスタイルを決めたんです。ジャズ風なスイングのナンバーもあります。それを観て「これはミュージカルではないか」という人もいますが、日本の童謡なども弾むリズムがあります。「昔〜昔〜浦島は〜♪」のリズム、あれはジャズのスイングに通じるものがありますし、日本語にそういうリズムが合っているんです。それをオペラで使ってはいけないという理由が果たしてあるのだろうか?と。そして内容を考えてもスイングが合っていると思うのです。そういうところまで“語法”を広げてもいいのではないかと考えています。
――あと、ストーリーも面白いですね。
伊藤:なぜミジンコなんだろう、と思いますが(笑)、とにかく話が面白いです。
――今回の上演では曲を足しているのでしょうか?
伊藤:それはないです。ほとんど変更はありません。ただ、演出の都合上、「ここは長くしてください」と尺の調整をした箇所はあります。今回は、台本を書いた高木さん自身が演出するということ。今までの演出も面白かったし、鹿児島弁もずいぶんとたくさん出てきました。でも原作者である高木さん自身が演出することで、この作品の「原風景」を観ることができます。でも、初演から20年経っていますので、セリフに少々変更がありました。より熟した公演になると思います。
――作曲家目線で見どころを。
伊藤:おそらく、日本のオペラにしては珍しくアンサンブルが多いと思います。これはモーツァルトなどのオペラに見られる典型的な書き方なんです。オペラにはしばしば重唱や複数の登場人物によるアンサンブルがでてきます。アンサンブルでドラマが構築される、ドラマ的なものが進展していく。ただ歌っている訳ではないアンサンブルが見どころでしょうか。元々の台本では、別々に書いてあったところをあえて重層的にしようと、そういうこともやっています。
例を挙げると、2場でタックン(卓也)とミポリン(美穂子)が愛を語り合っている、そこに、ひたすらにミジンコに思いを寄せつつ登場する正男を重ね合わせ、2つの異なったドラマが同時に進行していきます。これは芝居だと難しいと思うんです。キチッと拍が決まっている音楽だと容易にタイミングを合わせることができます。
5場の、ホテルのスイートルームでベッドを取り囲む6人(薫、義父母の忠義とハナ、垣内教授、そして正男と赤毛の女)の場面。ここを6人6様、お互いに全く異なったことを歌います。高木さんもあそこまで言葉を重ねるとは思っていなかったと思います。ここを6人のアンサンブルにすることで、ドラマがサクサクと進んでいきます。
ただ、問題は、日本語はイタリア語などと比べて音節数が非常に多い。同じことを言うのに、日本語のほうが時間がかかります。それをどう解決するか、とても難しいのですが、アンサンブルを効果的に取り入れるのが良いと思っています。
そこが見所の一つですね。舞台の隅々を見落とさないでくださいね。
――お話は尽きませんが、ここで読者に向けて、締めの言葉を。
伊藤:うまく締めくくれないのですが(笑)。
明治初頭にオペラが輸入された当時、オペラは“お勉強”だった。言葉がわからないということも相まって、舞台上ではドロドロの恋愛やっているにもかかわらず、“お勉強”。でも、本当はエンターテインメントだと知ってもらいたいです。
20世紀に入っていろんなエンターテインメントが出てきました。今、テレビ・ドラマのオープニングがテーマ音楽で始まったら、チャンネルを変えられてしまうかもしれない。そう考えると、さて、オペラの序曲を無しにしてすぐさまドラマに引き込むというのも有りかもしれない。
鹿児島での初演時にはチェイサー(注3)をやったんですよ。あれをやるとメロディー覚えますよね。帰る時に口ずさめる。良い方法ですね。それをオペラでやっちゃいけない理由はない。
気軽に、気楽に楽しみに来てもらいたい、それだけです!
オーケストラでステージにたくさんの人がいて舞台裏にはもっと大勢の人がいて一つのものを創り上げる、そういう面白さってオペラならでは。今回も個性的で素晴らしい歌い手さんがたくさんいます。どんなオペラになるのか楽しみです。オペラファンでない方々にも来ていただきたいですね。
――ありがとうございました。公演を楽しみにしています。
注1:コレペティートルの略。歌劇場などでオペラ歌手やバレエダンサーにピアノを弾きながら音楽稽古をつけるコーチを言う。最近では伴奏ピアニスト兼任者も増えている。オペラにおいては、各配役に対して実際の講演の際のオーケストラが奏でる音をピアノで演奏し、個人練習の伴奏と助言をすることで、歌手の譜読みや暗譜、さらに発音矯正の手助けをし、音楽への理解を深めさせる仕事。
注2:2人以上で同時に演奏すること。オペラでは、2人の場合は通常はデュエット(2重唱)と呼ばれるので、3重唱、4重唱…7重唱などをアンサンブルと呼ぶ。例えば、ヴェルディの「リゴレット」の3幕で歌われる4重唱「美しい恋の乙女よ」などである。
注3:ミュージカルなどで役者が歌い上げる曲が終わってから、役者が退場するまでに流れる音楽などのこと。舞台やイベントが終了してから終演アナウンスが流れるまでの間に流れる曲をチェイサーと呼ぶこともある。
<あらすじ>
大学でミジンコの研究をする正男と、ミツバチを研究する薫は共働き夫婦。
正男は薫が持ち帰った女王蜂の性ホルモンを誤って飲み、潮の満ち引きに合わせて男と女が入れ替わる体になってしまう。
一方、薫は新しい農学部部長の垣内教授に心を寄せるが、垣内は女になった正男に一目惚れ。 男二人に女二人の奇妙な三角関係の決意や如何に!?
<概要>
日程・会場:2022.2/19(土)、2/20(日)各日14:00 新宿文化センター 大ホール
指揮:大勝秀也
演出:高木 達
作曲:伊藤康英
出演
伊集院正男:山本康寛(2/19) 海道弘昭(2/20)
伊集院薫:鳥海仁子(2/19) 別府美沙子(2/20)
垣内教授:山田大智(2/19) 村松恒矢(2/20)
伊集院忠義:江原啓之(2/19) 清水良一(2/20)
伊集院ハナ:きのしたひろこ(2/19) 吉田郁恵(2/20)
赤毛の女:鳥木弥生(2/19) 佐藤 祥(2/20)
マルちゃんのママ:鈴木美也子(2/19) 座間由恵(2/20)
卓也:松原悠馬(2/19) 高畑達豊(2/20)
美穂子:神田さやか(2/19) 岡本麻里菜(2/20)
マミ:山邊聖美(2/19) 伊藤香織(2/20)
ルミ:高橋香緒里(2/19) 山口なな(2/20)
ユミ:遠藤美紗子(2/19) 安藤千尋(2/20)
合唱:日本オペラ協会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
日本オペラ振興会公式HP内:
https://www.jof.or.jp/performance/2202_cinderella/
「ミスター・シンデレラ」特設サイト