2020年に上演予定だったNISSAY OPERA 2022『ランメルモールのルチア』が2022年ようやく上演されることになった。
ガエターノ・ドニゼッティが1835年に作曲したイタリア語のオペラ。同年、ナポリのサン・カルロ劇場で初演。政略結婚によって引き裂かれた恋人たちの悲劇を描いている。
2020年はコロナ禍が始まった年、これを翻案し、オペラ『ルチア〜あるいはある花嫁の悲劇〜』として日生劇場だけの特別版として上演。悲劇の花嫁・ルチアに焦点を絞って新たな角度から描き、上演時間も休憩なしの90分。今回は満を辞してのフルバージョンとなる。見せ場は偽りの結婚のシーン、六重唱、そして有名なラストの狂乱シーンであろう。また、今回、珍しいヴェロフォン(グラスハーモニカを発展させた新しい楽器)を使用、このオペラ作曲当初使用が予定されていた楽器であり、ここも要注目。
舞台セット、奥は基本、ルチアの部屋。手前はさまざまな場所に変化する。細かいセットはなく、シンプル。ルチアの兄・エンリーコは一族の危機のため、妹のルチアに政略結婚をさせたい、相手はアルトゥーロ、裕福な家の男。だが、ルチアには想い人があり、名はエドガルド、よりによって敵対関係にある家の男。それだけで「うまくいかない」と観客は思う。ルチアの家庭教師であるライモンドはルチアの秘密を知っていたので「母の死から立ち直っていない」という。
エンリーコの独唱「残酷で不吉な苛立ちが」。ルチアは古い泉の近くで侍女とエドガルドを待っていたが、侍女・アリーサに亡霊を見たと話す。侍女は不吉に思い、その恋を諦めた方がいいと忠告するも、ルチアは恋する乙女、聞く耳を持つはずもなく。これだけで不吉な予感しかしない。
束の間の幸せ、ルチアとエドガルドの二重唱、だがエドガルドはスコットランドのためにフランスへ行くことに。また、彼は「エンリーコに、親が殺された。」とルチアに告げる。ルチアは兄を恨む、だが、恋人同士、束の間の逢瀬、結婚の誓いを立てる。とにかく不幸の連鎖の物語だが、ベルカント・オペラの傑作、聴かせどころが多く、歌の力で心揺さぶられるシーンが多い。第二部の第一幕のラストの六重唱は圧巻で、主な登場人物の思いが交錯する。ルチアとアルトゥーロの結婚契約書を見てしまったエドガルド、当然頭に血がのぼるほどの怒り、これを仕掛けた兄・エンリーコ、自分の意志ではどうすることもできないルチア、この3人を中心にライモンド、アルトゥーロ、アリーサの思いも重なり、ラストへと連なっていく。
第二部の第二幕の狂乱の場、ついにルチアは錯乱し、アルトゥーロを刺し殺す。第二部の第二幕の幕開き、後方に階段、黒いマントを着た人々が隊列をなして階段を登っていく様は不気味な序章、その階段を駆け登りながら逃げるアルトゥーロを渾身の力を込めてナイフを振り上げるルチア、そして血まみれの白い衣裳で呆然とした様子のルチア、ここまでが一気に怒涛のように展開する。舞台の端には絶望の面持ちのエドガルド。有名な狂乱の場では美しい楽曲、解釈は人それぞれだが、気が触れたことによってルチアは様々なしがらみや社会通念から解放されたとも受け取れるが、そうならないとルチアは自由になれないという言いようのない哀しみも押し寄せるシーン。
そして残された者の後悔、エドガルド、兄のエンリーコ、もう取り返しのつかない事態に我を忘れる。
この物語、メインの登場人物、女性はルチアと侍女のアリーサだけ。あとは全員、男性であり、彼らが物事を決め、動かす。この時代の社会の構造、現代では結婚は当事者の意思が尊重されるが、この時代は家の問題、日本の戦国時代もそうだが、政略結婚は国や家の安泰を図るための重要な手段、利用される女性側も、わかっているものの、どうすることもできないジレンマ、まして敵方の男性と恋仲になれば茨の道、そんな時代の悲劇。また、登場するキャラクター、エンリーコはとにかく自分の家を優先、そのためには手段を厭わないが、ラストで後悔の念に苛まれる姿は人の心を感じる。また政略結婚の相手であるアルトゥーロは今風で言えば勝ち組なのか、ちょっと鼻持ちならない雰囲気。ルチアの恋人であるエドガルドは若さ故なのか、エンリーコの策にはまり、ルチアに取り返しのつかない仕打ちをしてしまう。
2020年版のコロナ禍では、舞台上には常にルチアがいる方法を取り、上演時間も90分にして凝縮し、ルチアの悲劇にフォーカスされていたが、今回はフルバージョン、登場人物も多く、彼らを取り巻く人々もしっかり、そこに存在している。人間関係はもとより、彼らの性格や慣習や考え方に縛られて生きている人々の姿がよりはっきり見える。それぞれの思惑や行動、また周囲の人々、黒い衣装で見せるフォーメーションは、様々な闇を見せる。侍女のアリーサ、ルチア以外のただ1人の女性、何もできない哀しみをたたえてそこに佇む姿、ルチアの存在もさることながら、この2人の女性の在り方はこの時代の象徴のように思える。そして後方は常にルチアの部屋となっている。そこにどかどかと入る人々がいたり、端で監視していたり、ルチアの部屋であるのにルチアにとっては安らげる場所とは言い難く、そのことにルチア自身は気がついていないのが胸が痛い。構造的にはルチアの部屋とそれ以外、となっており、よりよく状況がわかるようになっている。衣装も色分けされており、対立関係など視覚的にわかる仕組み。よって物語がよくわからなくても「見ればわかる」。ラスト、残された人々の嘆き、とりわけ恋人のエドガルド、兄のエンリーコ、後悔先に立たずとはよく言ったもので、どんなことをしてもルチアは戻ってこない。
ここのシーンは印象に残る。そして今回の公演ではヴェロフォン(グラスハーモニカを発展させた新しい楽器)を狂乱の場で使っており、その響きが美しく、悲劇が際立つ。その狂乱の場、その後のシェーナ、兄は妹を連れ出すように侍女に頼み、家庭教師のライモンドは家臣ノルマンノを責める。ノルマンノはルチアの行動を監視していた人物で、1幕でルチアがエドガルドと恋仲であることをエンリーコに密告、つまり、この悲劇のきっかけを作った人物なのである。
ここは時間にすると短いものの、観客はライモンドやエンリーコの心を推し量ることができる。そしてエドガルドのアリアへと連なっていく。彼は絶望し、嘆き、哀しみのどん底、そして自分自身の手で自分自身を亡き者にする。
悲運の恋人たちと彼らを取り巻く人々の愛憎、この作品が傑作と言われる所以がよくわかる公演、なかなかない、貴重な機会なので、お見逃しなく。
インタビュー記事
2020年公演レポ
<あらすじ>
17世紀のスコットランド、ランメルモール地方。アシュトン家の令嬢ルチアとラヴェンズウッド家当主エドガルドは、敵対する家同士でありながら、ともに愛し合っていた。しかし、ルチアの兄エンリーコは二人の関係を許さない。彼は、傾いた家運の立て直しと宿敵エドガルドの破滅とを目論み、妹ルチアに他の貴族との結婚を強要する。封建的な力と憎しみの連鎖によって、自由を奪われたルチア。彼女を待ち受ける運命は、血塗られた婚礼、そして狂気の深淵だった…。
2020年に翻案上演したベルカント・オペラの傑作を、「完全版」で堂々上演!
概要
NISSAY OPERA 2022
『ランメルモールのルチア』
全2部3幕 原語[イタリア語]上演・日本語字幕付
日程・会場:2022 年 11 月12 日(土)・13 日(日) 各日14:00開演 日生劇場
指揮:柴田 真郁
演出:田尾下 哲
管弦楽:読売日本交響楽団
出演:
11/12
ルチア 高橋 維
エドガルド 城 宏憲
エンリーコ 加耒 徹
ライモンド ジョン ハオ
アルトゥーロ 髙畠 伸吾
アリーサ 与田 朝子
ノルマンノ 吉田 連
11/13
ルチア 森谷 真理
エドガルド 宮里 直樹
エンリーコ 大沼 徹
ライモンド 妻屋 秀和
アルトゥーロ 伊藤 達人
アリーサ 藤井 麻美
ノルマンノ 布施 雅也
11/12,13
泉の亡霊 田代 真奈美
グラスハーモニカ(ヴェロフォン):サシャ・レッケルト
カヴァーキャスト ルチア:相原 里美 エドガルド:髙橋 拓真
公式サイト:https://opera.nissaytheatre.or.jp/info/2022_info/lucia/
舞台撮影:三枝近志