橋本愛出演 サルヴァトーレ・シャリーノ作曲『ローエングリン』インタビュー

サルヴァトーレ・シャリーノ作曲『ローエングリン』が、10月5日・6日に神奈川県民ホール大ホールで上演。この上演は、神奈川県民ホール名誉芸術総監督、故・一柳慧が推進した最後のプロジェクト。登場人物はエルザ、ただ一人。このエルザ役に挑戦する橋本愛さんのインタビューが実現、作品について、また、取り組みについてなど、様々な視点で語っていただいた。

ーー全く違う新しいお仕事だと思いますが、オファーを受けた感想・心境を教えてください。

橋本:単純に「面白そうだな」っていう純粋な興味があったのと、自分がやったことのないことや慣れていないことに対する恐怖心を抱いたものこそやるべきだと決めているので、今回迷いは全くなかったです。

ーー楽器演奏の経験はおありですか?

橋本:楽譜の読み方を教わったことはありますが、習得してはいないです。自分でギターを弾いたり、ピアノを弾いてみたりしたことはありますが、何か専門的に、本格的にやったことは全くないです。救いだったのは、指揮者の杉山さんや普段オペラをやっていらっしゃる方々が「この楽譜は本当に難しい」というふうにおっしゃってくださって。もう一つは作曲のシャリーノさんが、そもそも女優さんがやる前提で作られた作品というのも大きくて…音楽的な教養が乏しくても、だからこそできることだったり、生まれるものに期待されているのを感じてから少し気持ちが楽になって…今の等身大の自分で体当たりしようと思いました。

ーーオペラそのものについての印象や通常のオペラと今回の作品で決定的に違うこと、また共通していることについて教えてください。

橋本:オペラを観劇したことは何度かあります。朗々と歌い上げられる姿が一番印象的でしたし、物語性がはっきりしていて起承転結がある、どこか演劇を見ているような感覚に近かったです。
今回の作品は、物語の流れが入り混じっていて、抽象的な表現が多いです。メロディーもほとんどなく、動物や鳥の声、風の音など、そういった自然の音色を人間の体で表現するのは、唯一無二の作品だと思いました。
共通点といえば、演者とオーケストラがいて、その関係性で作り上げるところなのかなと。音楽が伴奏なのではなくて、エルザの器官でもあり、エルザの見ている景色、世界そのものなのだと思っています。オーケストラの皆さんと一体化して生まれるものが、通常のオペラとはもしかしたら違うのかもしれないし、それこそオペラなのかもしれないし、日々色々な発見があり、とても面白いです。

ーー演じられるエルザという女性についてどのように解釈されていますか。

橋本:端的に言ってしまうと、エルザは最終的には精神病棟にいることが作品の最後に明らかになります。彼女はどこか狂気を帯びた女性で、すごく悲劇的だとは思いますが、大前提として自分の中に「エルザはこういう人間だ」と限定したくない気持ちがあります。エルザはもしかしたら女性でないかもしれないし、若いのか、老人なのかもわからない。そういった解釈を、自分の中であまり具体的に断定しすぎないようにしたいし、色々な可能性を含んだ存在になれるといいなと思っています。先日ドイツに行ったときに、この作品のイメージにとてもよく似た病院に行くことができて…偶然だったんですけど、山の奥にあり、病室は隔離されていて、きっと精神科病院だったんだろうなと想像できて、ものすごく豊かなヒントになりました。なぜ鳥や獣の声をエルザの口から発しているのかなど、ラフォルグの小説やさまざまな神話と照らし合わせて、体感に落とし込める予感がしました。演じるうえで一番大事なのはどれだけ”外”と一体化できるか、ということだと思います。”自己”と”外”の境界線が融解していて、この世の全てのものが自分であると感じられるように演じたいなと思っています。

ーー橋本さんは、シャリーノさんが悲劇とおっしゃっていた最後のエルザの歌に希望を感じられたとのことですが、現時点で変化はありましたか。

橋本:希望でもあるし悲劇でもある、と考えられると思います。エルザにとって今の状態が続くことは苦しみでしかなく、そこから解放されることは希望でもあるけれど、その希望の形こそが悲劇なのかもしれないと。エルザが何かを手放すことでしか救われることがないというのは、ものすごく悲しいことでもあると感じました。

ーー早い段階からボイストレーニングに励んできたと伺いましたが、この作品における“声”の役割とは?

橋本:声の役割ですが、私の声が作品の中心にある、それほどの影響力があると思っています。シャリーノさんは「この作品に臨む上で、声と体をどこか宇宙だと捉える必要がある」とおっしゃっていました。声で何かを演じるという具体的な表現ではなく、そこから何かの空間を生まなければいけないし、何かを拡張させなければいけないし、そういった気配であの劇場を埋めなければいけない。そういった意味において、自分の体や、声や、聴覚をどれだけ拡張できるか、そんなチャレンジをしています。声を出すタイミングは厳密に決まっていて、杉山さんがおっしゃっていたのは、即興的に見えるかもしれないけど、緻密な計算や思惑の上に成り立っているのだと。その上で、何か超次元的な表現をしなければいけないと思っています。

ーー今回の作品の楽譜や台本は、音程やリズムが記されていない特殊なものだと伺っています。どのように稽古をされていますか?

橋本:厳密な音程はほとんどないのですが、音符の位置からある程度の高低を汲み取って、なるべく忠実にやろうとしています。オーケストラとタイミングを合わせるところも大いにあるのですが、ほとんど自分だけのソロパートもあります。どのような時間軸を作り出すか、それはどんな速度で、どんな湿度や匂いで、ということを自分で作り上げていかなきゃなので、とても難しいのですが、お芝居的な感覚と、音楽的な感覚が混ざり合っていて、とても楽しいです。

ーー指揮の杉山さんと稽古をしている中で気付いたことはどのようなことですか。

橋本:初めに杉山さんは、「音楽がエルザの器官だと思ってください」とおっしゃいました。「物語の伴奏なのではなく、楽器の奏でる音がエルザ自身の音であり、エルザが聞いている音であり、エルザが感じている音である。そういった繋がり、関係性であってほしい」とおっしゃっていただきました。杉山さんは作品の全体像をものすごく詳細に把握してくださっていて、音楽の教養がない自分にもわかりやすく、それでいてとても豊かなことをたくさん教えてくださいます。ローエングリンの声もエルザの声も動物の声も全て私の一つの体から発せられるのだけれど、それがどこか対話になっていたり、もしくは全く別の空間に存在していたり…。

ーーエルザ含め全てを1人で担うことについてどのようにお考えですか。

橋本:”1人芝居”というふうに打ち出されることもあるのですが、その言葉はやっぱり違う気がしていて。1人ではなく、杉山さんや、オーケストラの皆さんや、皆さんの作り出す音があって、”みんなで演奏している”という気持ちです。きっと本番でもこの感覚は変わらないと思うし、そこを目指したいと思っています。自分の身体を使って演奏するなんて高次元なことが、ほんの少しでも体感できたら幸せです。

ーーとても難易度の高い作品に感じますが、普段はテレビや映画、ドラマの世界で活躍されている橋本さんにとって、演じていく中で特に難しいと感じることは?

橋本:全部難しいんですけど(笑)。最初にお稽古したときに杉山さんから「後悔してるでしょ」と言われたくらい。後悔はまったくしていないけど、確かにここまで難しいとは想像できていませんでした(笑)。「何もわかっていませんでした」と(笑)。これほどまでに時間しか頼りにならないことは、今までなかったと思います。指揮をみてタイミングを合わせることや、何回息をするのか、楽譜の一つ一つに忠実にやろうと思うと、何度も頭が真っ白になったり。でもそうやって何度も何度も積み重ねて、やっと少しずつ入ってきたので「人間ってすごいな」って。自分の可能性を拡張している気がして、毎日すごく楽しいです。

ーー公演に挑む抱負、意気込みとお客様へのメッセージを。

橋本:まず、こんなに頑張っているから見てほしいという個人的な気持ちがありますね(笑)。朗々と歌い上げるオペラとは対極にある、すごく尖った作品だと思いますし、狂気に満ちたような、別の時空にいるような、そんな神秘的な体験になるんじゃないかと思います。私自身、簡単に理解できない作品にすごく惹かれるんですね。もし理解できなかったとしても、”何かものすごいものを見たな”というふうに感じていただけたら嬉しいなと。理性的に捉えて何かを分析するよりも先に、感覚的に、直接的に何かが届いた、という体験になったら嬉しいです。観劇を迷っている方がいらしたら、胸を張って「ぜひ!」と声を大にして言いたいです。きっと見たことのないもの、そして聞いたことのない音を聴けると思います。

ーーありがとうございました。公演を楽しみにしています。

概要
公演名:神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズ Vol.2
サルヴァトーレ・シャリーノ作曲『ローエングリン』
日程・会場:2024年10月5日(土) 17:00/10月6日(日) 14:00神奈川県民ホール 大ホール

「瓦礫のある風景」(2022年)[日本初演]約20分
Salvatore Sciarrino:Paesaggi con macerie(2022)per ensemble
1.Vento e polvere 2.Frantumi 3.Cancellazione
初演:2022年11月3日 ヴィリニュス(リトアニア)
作曲:サルヴァトーレ・シャリーノ
指揮:杉山洋一

「ローエングリン」(1982-84年)
[日本初演/日本語訳上演 *一部原語上演]約60分
Salvatore Sciarrino:Lohengrin(1982-84)Azione invisibile per solista, strumenti e voci
原作:ジュール・ラフォルグ
音楽・台本:サルヴァトーレ・シャリーノ
修辞:大崎 清夏、
演出・美術:吉開 菜央・山崎 阿弥
初演:1984 年 9 月 15 日 カタンツァーロ(イタリア)(初版初演:ミラノ 1983 年 1 月 15 日)
作品構成:プロローグ、第 1~4 場、エピローグ
指揮:杉山洋一
出演 エルザ役:橋本愛
[演奏]●ローエングリン出演 ◆瓦礫のある風景
出演
 成田 達輝 ●◆(ヴァイオリン/コンサートマスター)、百留 敬雄 ●(ヴァイオリン)、
東条 慧 ●(ヴィオラ)、笹沼 樹 ●◆(チェロ)、加藤 雄太 ●◆(コントラバス)
齋藤 志野 ●◆(フルート)、山本 英 ●(フルート)、鷹栖 美恵子 ●◆(オーボエ)、田中 香織 ●◆(クラリネット)、マルコス・ペレス・ミランダ ●(クラリネット)、
鈴木 一成 ●(ファゴット)、岡野 公孝 ●(ファゴット)、福川 伸陽 ●(ホルン) 守岡 未央 ●(トランペット)、古賀 光 ●(トロンボーン)、新野 将之 ●◆、(打楽器) 金沢 青児 ●(テノール)、松平 敬 ●(バリトン)、新見 準平 ●(バス)、
山田 剛史 ◆(ピアノ)、藤元 高輝 ◆(ギター)
主催 :神奈川県民ホール(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団)
後援:イタリア文化会館

特設Web:https://www.kanagawa-kenminhall.com/lohengrin/

橋本愛撮影: (c)Toru Hiraiwa