この作品は、DNAの二重らせん構造の発見において、X線結晶構造解析者のロザリンド・フランクリン(1920〜1958)が果たした役割に焦点を当てたもの。2015年の9月に主演・ニコール・キッドマンを迎え、ロンドンウエスト・エンドで上演されて話題になり、今年、日本に初上陸した。
さて、この作品タイトルの由来であるが、ロザリンド・フランクリンの監督下に1952年5月にレイモンド・ゴスリングにより撮影されたX線回折像のニックネーム「Photo 51」から。上演時間は90分程度の1幕ものである。
彼女の研究は順調に進み、着手しておよそ1年でDNAにはA型とB型があることを突き止め、それを互いに区別して結晶化する方法を確立させた。さらに1953年にはDNAの二重らせん構造の解明につながるX線回析写真も撮影している。ところが彼女が来る以前からDNAの研究をしていたウィルキンズと折り合いが悪く、しばしば衝突をしていた。彼はケンブリッジ大学の研究所にいたジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに彼女が撮影した写真をみせてしまい、二重らせん構造の手がかりとなったものの、これが大問題に発展してしまうのである。 そして1962年、ワトソン、クリック、ウィルキンスがDNAの構造解明によりノーベル生理学・医学賞を受賞、フランクリンは1958年に癌で死去している。
この戯曲は、もちろん事実とは異なる。研究に全てを捧げた彼女と、彼女を取り巻く5人の男性。科学のために愛や名声を犠牲にする生涯とは何を意味するのか……そんなことを問いかける硬派な舞台だ。女優のみならず、キャスターやファッションブランドのディレクターなど、多岐にわたって活躍し、女性から絶大な支持を集める板谷由夏が舞台に初挑戦、しかも実在した科学者の役だ。そして彼女を取り巻く男性陣、ウィルキンズに神尾佑、ワトソンに宮崎秋人、クリックに中村亀鶴が挑戦する。指導学生ゴスリングに矢崎広、ユダヤ系アメリカ人科学者キャスパーには橋本淳がキャスティング。
舞台上には研究室のデスクがある。研究に必要な機材が置いてある。舞台端にもデスク。
この作品の主人公が登場する。彼女は科学者だ。「見えないものを見えるようにする」と言い「でも、目の前のものが見えなくなってきた」とも言う。哲学的で蘊蓄のある台詞。子供の頃の体験が基で科学者を目指すようになったロザリンド。そんな子供時代の彼女はキラキラしていたことだろう。そんなモノローグを語る表情は明るく希望に満ちあふれている。しかし、時代故、女性が科学者になるのはかなり突飛なことだ。それでも初志貫徹、それからこの物語の登場人物達が次々と登場し、モノローグ。ここで其々のキャラクターがだいたいわかる仕組みになっている。やや上から目線な物言いでロザリンドに「DNAの解明をやってもらう」と言う同じ研究室のウィルキンズ、出会いからボタンを掛け違えた様子、お互いの印象はよくない模様だ。しかし、ウィルキンズは彼女に多少の好意を抱くようになるが、ロザリンドには通じない。助手のゴズリングが必死に間に入るも上手くいかない。それから、いかにもアグレッシブな雰囲気を漂わせる若者が登場する。彼の名前はワトソン、アメリカ人。22歳で博士号を取得する、前途洋々な科学者、しかもかなりの野心家。ロザリンドの研究はそれなりに順調に進んでゆき、遂に決め手となる写真の撮影に成功する。ところがウィルキンズはそれをワトソンに見せてしまい、ワトソンは驚愕し、仲間の研究員であるクリックに興奮気味に話す、「手に入れた、我々のものだ!」と。アメリカ人、しかも相当に野心むきだし、イギリス紳士的なルール等、彼の中にはまったくない。
シンプルな構成、モノローグ部分と登場人物のやり取りの部分、基本、この2つだけである。ここから様々なことが浮かび上がってくる。当時、特に女性に対する考え方、男同士のちょっとくだけた会話の中に見え隠れする男性と女性の「ヒエラルキー」、そして人間関係。ロザリンドとウィルキンズの意識の違い、ワトソンはある意味、【ずるい】印象を観客に与えるが、しかし、科学者間の競争やアメリカ人であるバックボーンを考えるとこのような行動に出ても不思議はない。事実から劇的な効果を加味したフィクションであるが、ここで描かれているのは人間の本質だったりする。目的に向かって邁進するロザリンドの生涯、しかし、二重らせん構造の科学者間の競争では完全なる敗北者だ。客観的に見ると生まれた時代と宿命、実際に「自己防衛出来ていれば」「生まれた時代が違っていれば」という台詞も出てくる。それを言えばキリがないことは先刻承知でも、やはり、そう言いたくなるような結末だ。結局、ロザリンドは病を得て短くも太く、自分に忠実な生涯を閉じる事になる。
ラスト近く、シェイクスピアの「冬物語」の引用が見られる。ウィルキンズの後悔、懺悔にも見える彼のスタンス。「冬物語」のハーマイオニは妻を死においやる。そんな姿とウィルキンズの自責の念がリンクする。舞台上にロザリンド、それは彼が見る幻、言葉を尽くしたところで元には戻らない。
客観的に、クールに見れば、ハッピーエンドとはほど遠い。冒頭の主人公のモノローグが観客の心の中に反芻される「目の前のものが見えなくなってきた」。しかし、媚びることなく、真っすぐに生き抜いたロザリンド、そう思えば彼女は幸せだったのかもしれない。
役者は実力派揃い、主演の板谷由夏は舞台初挑戦とのことだが、凛とした佇まいで目標に邁進するロザリンドを好演。同僚のウィルキンスを演じる神尾佑、後半の後悔する姿は深い哀しみをにじませる。矢崎広のゴズリングは【大人】な2人の間に入っておろおろする様子がどことなく愛嬌があり、宮崎秋人のワトソンはしょっぱなから挑戦的でキャラクターを体現する。優しげなユダヤ人のキャスパー、演じるは橋本淳、ロザリンドが唯一心を許す男性、ソフトでちょっと可愛げのある物腰で好感が持てる。
ちなみに後に、ウィルキンスの自伝『二重らせん第三の男』が出版され、さらに、伝記『ダークレディと呼ばれて』が出版され、ロザリンドの業績は再評価された。
<あらすじ>
女性科学者が殆どいなかった1950年代、ユダヤ系イギリス人女性科学者ロザリンド・フランクリン(板谷由夏)は遺伝学の最先端を誇るロンドンのキングスカレッジに結晶学のスペシャリストとして特別研究員の座を獲得する。当初、彼女は独自の研究を行う予定でキングスのポストを引き受けたのだが、同僚ウィルキンズ(神尾佑)は、出合い頭、彼女を助手として扱う。この雲行きの悪い出合いが、その後彼女たちの共同研究のチームワークの歪みを作るきっかけとなる。形式上、共同研究者となったロザリンドとウィルキンズだが、二人は常に衝突を繰り返す。助手で指導学生ゴスリング(矢崎広)がおどけた調子で2人の橋渡しを図っても一向に効果はない。ぶつかり合いながらも、ウィルキンズはロザリンドに密かな恋心を抱くようになり、幾度も関係の改善を試みるが敢えなく不毛に終わる。ロザリンドが唯一心を許すのは、彼女に憧れを抱く若きユダヤ系アメリカ人科学者キャスパー(橋本淳)である。この事実もウィルキンズにとっては面白くない。子供じみた嫉妬をあらわにするが、ロザリンドにはウィルキンズの秘めた思いは全く通じていない。こんな調子であるから、当然研究も早く進むはずがない。ロザリンドが特殊カメラを駆使して撮影するX線画像は明らかにDNA構造の謎解きの鍵を映し出しているのだが、協力体制の取れていないロザリンド&ウィルキンズチームはその謎の解明に到達できない。そうしている間、野心家のアメリカ人若手科学者ワトソン(宮崎秋人)とウィルキンズの旧友クリック(中村亀鶴)がチームを組み、DNAの謎の解明に挑み始める。ウィルキンズを通じて、ロザリンドのX線画像の情報を入手したワトソン&クリックチームは、彼女の写真と論文を元にして、ついにDNA二重らせん構造の発見に成功してしまうのだった…
【公演データ】
『フォトグラフ51』
作:アナ・ジーグラ
演出:サラナ・ラパイン
出演:板谷由夏、神尾佑、矢崎広、宮崎秋人、橋本淳、
〈東京〉
期間:2018年4月6日〜4月22日
会場;東京芸術劇場 シアターウエスト
〈大阪公演〉
期間:2018年4月25日~2018年4月26日
会場:梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
公式サイト:http://www.umegei.com/photograph51
文:Hiromi koh