「 Taking Sides」は、ロナルド・ハーウッドが1995年に発表した戯曲、2001年にハンガリーの映画監督サボー・イシュトヴァーンがイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの共同制作の形で映画化を行い、翌2002年のベルリン国際映画祭では銀熊賞を受賞、原作を書いたロナルド・ハーウッドが脚本を担当した。日本では劇場公開は行っていない。第二次世界大戦後に行われたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「非ナチ化」裁判の裏面史を描いた作品で、日本での上演歴は、1998年に劇団民藝が『どちらの側に立つか』、2013年に『テイキングサイド~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日』(演出:行定勲、出演:筧利夫、平幹二朗 他)となっている。
原作者のロナルド・ハーウッドは1934年生まれ。南アフリカ連邦ケープタウンのユダヤ系の両親の間に生まれ、1951年にロンドンに移住。王立演劇学校で演技を学び、1953年から1958年まで著名なシェイクスピア俳優・舞台マネージャーのドナルド・ウォルフィットの付き人となり、この経験を基に舞台劇『ドレッサー』を書いた。
脚本家としてのキャリアは1960年代から。2002年の『戦場のピアニスト』でロマン・ポランスキーとともにアカデミー脚色賞を受賞した。2013 年には、 スコットランドのアバディーン大学から名誉学位を授与され、翌 2014 年には国立ユダヤ劇場財団(NJTF)か ら生涯業績賞・功労賞を受賞するなど、その活動や功績が認められ多方面から評価され続けている。
幕開き前はベートーヴェンの交響曲「運命」が流れている。舞台上の部屋、星条旗が掲げられており、やや雑然としている。舞台の手前は大きな石、ところどころにトランペットやチューバ、印象的なセットだ。始まると資料映像、戦時下のドイツ、空襲の音、ナチスドイツの鷲、当時の国章だ。ドイツは敗北し、連合軍がやってくるのだが、それは日本とて同じこと。戦争に負けたからだ。机に足を投げ出して座っている人物、アーノルド少佐(加藤健一)、この姿だけで彼の立場がよくわかる。秘書がいる、エンミ・シュトラウベ(加藤忍)、ナイーヴで真面目そうなウィルズ中尉(西山聖了)、時は1946年、連合軍はナチ体制の徹底除去を行っているのであった。
ナチスドイツが政権をとった1933年のこと、音楽家しかり、科学者しかり、亡命する者もいれば、とどまった者もいた。かの有名な科学者・アインシュタインも亡命者、音楽家ではブルーノ・ワルター、彼はユダヤ人だったために演奏会を中止させられ、ドイツを離れたのであった。
この作品に登場するヴィルヘルム・フルトヴェングラー(小林勝也)、彼はナチスドイツの協力者の嫌疑をかけられていたのだった。アーノルドはなんとかして彼の『尻尾』を捕まえたい。連合軍でアメリカ軍人、彼の正義はアメリカの正義、と言っても過言ではない。彼は自分の信じる道にしたがって行動しているのであった。戦争未亡人タマーラ(小暮智美)の話を逆手にとったり、またベルリン・フィルの第二バイオリン奏者であるヘルムート・ローデ(今井朋彦)から有力情報を入手し、ますますエスカレートしていくアーノルド少佐、そんな彼の姿を見てエンミ・シュトラウベ、ウィルズ中尉は反発を覚えるもアーノルドはどこ吹く風だ。冗談を言ってみたりしながらも、心の中はフルトヴェングラーのナチ協力者の証拠をつかまなければ、という思いでいっぱいだ。しかし、フルトヴェングラーも、そうやすやすと嫌疑をかけられたままではいられない、「ヒットラーの誕生日に指揮をしただろう」と問い詰められれば「はめられたんだ」と反論する。結局、この攻防は・・・・・・。
緊張感に満ちた空間、勝った者と負けた者、連合軍とドイツ、その構図がベース、アーノルドはフルトヴェングラーに問う、なぜヒットラーが政権をとった時に国外に出なかったのかと。「見届けたかった」と返すフルトヴェングラー。亡命した者が正義なのか?それは多分、結果論であろう。しかし亡命した者の中には結局、戦争に加担した者もいたのも事実だ。亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらは1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてルーズベルト大統領に信書を送ったことでアメリカ政府の核開発への動きをうながすものとなった。
「ああいえばこういう」二人の会話、ここに出てくる登場人物たちの持つ価値観は全て異なる。そして世界を巻き込んだ大きな戦争、自分を偽らなければ生きていくことは叶わない、そう思った人々もいれば、命をかけて抵抗した人々もいた。どっちが正しいのか、それを決めることはできない。原題の「Taking Sides」直訳すると「一方の肩を持つ」「一方の側につく」となる。
さて実際のフルトヴェングラーはベルリン国立歌劇場でワーグナーの「マイスタージンガー」を指揮した際、首相ヒトラーと握手している写真を撮影されているが、ヒンデミット事件によりナチス政府と対立、1935年にベルリン・フィルに復帰、1936年にはトスカニーニによってニューヨーク・フィルの音楽監督に指名されるもナチスの妨害にあって叶わなかったし、国内のユダヤ人音楽家を庇護したと言われており、結局、1945年にスイスに亡命もしている。しかし1945年にナチス協力者の嫌疑をかけられている。
この物語には悪人は出てこない。皆、己の正義を信じ、生きていくために懸命なのである。フルトヴェングラーをしつこく追い詰めるアーノルドも、フルトヴェングラーもローデも、皆、結局は自分に正直な人物。時代が彼らの歯車を狂わせている。ラストの大音量のシンフォニー、「止めてくれ!」と叫ぶアーノルド。副題の”それぞれの旋律”、それぞれが奏でる旋律、戦争、争い、差別、憎しみが生んだそれぞれの旋律はきっと交わることはない。ある意味、これがありのままの姿、戦争と時代に翻弄される人々、そのただ中で自己を保つことの難しさ、人は人を裁けない。芸達者な俳優陣、じわじわと迫る世界観、2幕もの、令和に元号が変わったが、戦争とか紛争とか起こらないことを願わずにはいられない作品だ。
<あらすじ>
第二次大戦後のドイツ・ベルリン。ナチスに勝利した連合軍により、非ナチ化政策――ドイツ社会からのナチ体制徹底除去が行われていた。当時、世界的に偉大なオーケストラ指揮者としてドイツで活躍していたフルトヴェングラー(小林)は、ヒトラーの寵愛の元、戦時中もナチス政権下のドイツに残って活動を続けていたことから「ナチ協力者では――?」と戦犯の疑いをかけられ、連合軍取調官アーノルド少佐(加藤)に尋問を受けることになってしまい・・・。
<キャスト>
加藤健一 今井朋彦(文学座) 加藤 忍 小暮智美(青年座) 西山聖了・ 小林勝也(文学座)
【公演概要】
加藤健一事務所vol.105「Taking Sides〜それぞれの旋律〜」
日程・場所:
2019 年 5 月 15 日(水)~5 月 29 日(水)下北沢・本多劇場
◆京都◆ 6 月 1 日(土)14:00 開演 京都府立府民ホール”アルティ”
◆兵庫◆ 6 月 2 日(日)16:30 開演 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
作:ロナルド・ハーウッド
訳:小田島恒志 小田島則子
演出:鵜山 仁
公式HP:http://katoken.la.coocan.jp/
撮影:石川純
文:Hiromi Koh