《インタビュー》シス・カンパニー公演 ニール・サイモン×三谷幸喜 「23階の笑い」マックス・プリンス役 小手伸也

シス・カンパニー公演 ニール・サイモン×三谷幸喜「23階の笑い」が12月5日より開幕する。
ニール・サイモンの戯曲の奥底には人間の可笑しさ、哀しさ、滑稽さ、そして素晴らしさがよこたわっている。また、会話の面白さ、描かれている人間関係や感情、これはニール・サイモンの人間に対する洞察力のなせる技だ。
そして演出・上演台本は三谷幸喜、旗揚げした劇団「東京サンシャイン・ボーイズ」はニール・サイモンの傑作戯曲「サンシャイン・ボーイズ」に由来していることは有名。2020年、満を持してのニール・サイモン戯曲に取り組む。出演は瀬戸康史、松岡茉優、吉原光夫、小手伸也、鈴木浩介、梶原善、青木さやか、山崎一、浅野和之、豪華かつ期待せずにはいられない布陣だ。その中で小手伸也さんは人気コメディアン、マックス・プリンスを演じる。時は1953年のアメリカ。この物語の場所はマックス・プリンスのオフィス。ここでマックスと彼を慕う放送作家がコント作りに奮闘している、という設定。マックス・プリンスを演じる小手伸也さんに作品について、ニール・サイモンについて、自身の役柄などについて語っていただいた。
――今回出演のオファーへの感想は?

小手:自分自身、演劇人であるという自負があったんですが、ここ最近は活動の拠点が専ら映像に傾いていまして。舞台はかれこれ1年半ぶりになります。だから、自分の中での舞台への意識、感覚、運動神経が鈍っているのではないかという不安が多少なりともありました。でもそれ以上に「子供の事情」以来、あの三谷幸喜さんに三年ぶりにお世話になれるということが心底うれしかったです。「やっとまたお会いできる」と。実は、僕の目標の一つに、「三年前のあの舞台でご一緒した人たちともう一度一緒に仕事をする」というのがありまして、その中でも三谷さんはいわば「本丸」ですからね。今回いただいたこの機会は、三年で自分がどれだけ成長できたのかを披露する機会であり、三谷さんはじめお世話になった皆さんに恩を返す機会であり、僕の中の溜まりに溜まったいろいろなものをお渡しする時がいよいよ来た、そんな気持ちでしたね。

――今回ニール・サイモン作品初出演ということですが、「23階の笑い」という作品に対する印象や、ご自身が演じる役柄について聞かせてください。

小手:まず、ニール・サイモンという方自体が、僕にとって雲の上の人物であり、自分がまさかその人の作品を演じるということがあるとは思ってもみませんでした。僕の演劇人生もかれこれ20年以上になりますが、実は翻訳劇というものにほとんど縁がなく、去年初めて、今回で2度目なんですね。三谷さんも驚かれてましたし、その割には世界観にハマってると褒めてくださいました。でもよくよく考えてみれば、三谷幸喜という方も、僕にとっては雲上人みたいな人だった訳ですからね。昔の僕からすれば、今の状況自体がまず思いもよらないすごいことだと思います。
でも、「気がついたらすごい所にいる」みたいなことって、実は昔から結構ありまして、劇団☆新感線やNODA・MAPに出演した時も青天の霹靂みたいな経緯でしたし、大河ドラマも月9も朝ドラも、正直後になって振り返ってから冷汗が出るような仕事の仕方ばかりしてます(笑)。目の前の仕事に猪突猛進になりすぎて、プレッシャーとか忘れてしまうんでしょうね。本当に純粋にベストを尽くしたいだけなんです、いつも。そのメンタリティーに関してのみ、今回演じるマックス・プリンスと僕自身は近いような気がしています。僕はどう転んでも「スター」ではないので(笑)、マックスの孤独や悩みはわかりませんが、彼の番組に対する情熱は「家族に迷惑をかけても演劇を捨てられなかった芝居バカ」として、とてもよく理解できます。そうした極個人的な実感や三谷さんのイメージを手掛かりに、ただいま粉骨砕身している最中です。
僕は役者として「アクが強い自意識の塊」というイメージを持たれることが多いですし、実際三谷さんも以前そう思ってたフシがある(笑)。なので、三谷さんがマックス役に僕を推してくださったのは、ある意味「僕の真骨頂」を求められてのことと自負しています。「子供の事情」で三谷さんから任された「ドテ」というキャラクターは、「恐竜のことしか話せない無垢な子供」という非常に繊細な役柄だったので、今回全く違うタイプの役柄で三谷さんの作品に挑むということに、お客様や何より三谷さんご自身がどう思われるか。不安と恐怖と得体の知れないワクワク感があります。なにせ「真骨頂」ですからね。ただ、これも猪突猛進の鈍感力のお陰でしょうか、今すごく稽古が楽しいです。

――マックス・プリンスは今回の作品では中心人物のようなポジションですよね。

小手:台風みたいな人ですからね(笑)。この物語では、大きな事件が頻発してそれに登場人物たちが巻き込まれるといった訳ではなく、マックス・プリンスという人間を中心に、登場人物たちが動かざるを得ない状況になっていきます。つまりマックスは絶対的な渦の中心なんですが、他の皆が回転することによってマックスという中心軸が成立する、とも言えます。なので、僕自身が常に強く自己主張していないといけないのと同時に、共演する皆さんの中でもマックス・プリンスという人物が強烈にイメージされないといけない。正直責任は重大です。でも、周りのみなさんがリスペクトしてくださることによって成立する像でもあるので、あまり頑張り過ぎずにカンパニーの皆を信じて委ねることにしています(笑)。

――今回は、良い役者が集まったカンパニーだと思いますが……。

小手:力量的にも「台風に巻き込まれるだけの人」がいませんからね。本物の強者ばかりです。だから物語上9人で芝居していても、常に1対8みたいになってしまうのはパワーバランス的にキツイですよ(笑)。
そういえば、稽古に入る数か月前に三谷さんからメールがきまして、「今回主役は小手さんだから」って。またご冗談をと思って「そのくらいの自意識は必要だと思っています」と返したら、途端に電話がかかってきて、わりと本気なトーンで「何を言っているんですか、小手さんにかかっているんだから」とやけに芝居じみた追い込みのかけ方をされました(笑)。まあ三谷さんの真意はさておき、今回は「群像劇」であって、構造的には語り手であるルーカス……ニール・サイモンの分身みたいなキャラです……そのルーカスが物語を俯瞰しながら進めていくというのが主軸です。でもそれだけじゃなくて、マックス・プリンスも物語の中心ではありますし、他の登場人物もそれぞれ背負うものがあって存在している。これがニール・サイモンの手腕なのか、三谷幸喜の手腕なのか、あるいは両方か、とにかく一人一人に主役級の愛らしさがあって、注目するキャラクターによって見方も変わる、つまり最低9回は楽しめる作品です(笑)。

――ルーカスは確かに狂言回し的な存在でありますね。構造的には面白いと思います。

小手:個性の違う9人がそれぞれ持ち味を披露しつつ、誰が面白いじゃなくてその空間が面白くて。観客は主にルーカスの目線、さながら新人放送作家のよういな気分で、次々やって来る珍妙な登場人物たちを目撃することになる。とにかく掛け合いの妙とかを存分に楽しめる作品です。翻訳台本をさらに三谷さんが上演台本としてすごく見やすくしてくれていて、原作の持ち味ではあるものの我々日本人が読み解けない笑いの部分なんかは、三谷さんが適度にアレンジしてローカライズしてくれている。やり取り自体は欧米のものだけど、日本人の僕らにも腑に落ちる内容になっていると思います。

――ニール・サイモンならではの社会風刺もうまく落とし込まれているのでしょうか。三谷さんが今回「おかしな二人」のようなニール・サイモンの王道ではなく、「23階の笑い」を選んだ狙いは何だと思いますか。

小手:三谷さんは王道を少しそれる方がワクワクするタイプですからね(笑)。きっと、今の事象とやりたいことが合致した結果、この作品が選ばれたんだと思います。今回の稽古初日に三谷さんが「この作品は“終わっていく人たち”に対するリスペクトである」と説明してくださったんです。マックス・プリンス・ショーという全米で大人気のコント番組が、政治的な情勢や視聴率競争に追われ次第に危機を迎える。その有り様はテレビ業界に限らず、あらゆるメディア・コンテンツの栄枯盛衰と時代を超えてリンクします。そういえばコント番組自体、今じゃほとんど見かけません。この寂しさは「ドリフ世代」の僕にはかなり身に沁みます。
実は僕自身も昔、ニール・サイモンや三谷さんとは比較にならないレベルではありますが、演劇の傍ら放送作家の見習いのようなことを2年ほどやっていた時期がありまして、多分普通の俳優よりは、煮詰まる番組企画会議とか、放送作家という人種の生態とか、芸人さんに苦労させられたり助けられたり、番組が立ち上がったり終わったりで一喜一憂とか、そうした経験が多少あります。だからこそ、僕は今じゃなきゃ実感と共にこの役はやれなかったでしょうし、このタイミングでやれることに何かしらの意味があるのかなと思っています。
劇中での「どんなにがんじがらめになっても、俺達が面白い作品を世に送り出すんだ」というマックスを中心とした放送作家たちの生き方は、まんま「今世の中が新型コロナウイルスでたいへんになっているけれど、僕たちはまた劇場にお芝居を観に来てもらいたいんだ」というピュアな気持ちで稽古をやっている僕ら演劇人の生き方と、すごくだぶるんですよね。もはやヘタな役作りがいらないくらい(笑)。確かに世情は全く異なるし、今の状況自体いかなる社会現象とも比較できないかもしれませんが、内面的な部分において、面白いものを作りたいというモチベーション、そこにかける意気込み、生き方というものが、時代背景がこんなに違うのにガッツリ手を組み合っているなと感じる僕らがいるんです。

――最後に読者にメッセージを!

小手:取りうる限りの対策を講じ、万全の体制で臨みます。そして足を運んでくださった皆さまが心から来てよかったと思える舞台にします。お待ちしております!それだけです!

――ありがとうございました。公演を楽しみにしています。

<『23階の笑い』について>
1993年11月から1994年8月まで、ブロードウェイ・リチャード・ロジャーズ劇場で初演され、人気コメディアン:ネイサン・レイン(テレビ映画版にも出演)、後にアカデミー賞を受賞する名優J・ K・シモンズらが出演。1996年には英国ウエスト・エンド・クイーンズ劇場で上演された(ジーン・ワイルダー出演)。時は1953年、アメリカのテレビ業界は視聴率でしのぎを削っていた時期、この頃、日本では同年の2月1日にNHKが初めてテレビ放送を行った。アメリカではすでにテレビは家庭の中心にあり、テレビ局間の競争が過熱していったが、1940年代〜1970年代のアメリカは消費者の時代、消費主義によって形成されたアメリカの市場は、都市部から郊外へと拡大していったのである。よってテレビ局は大衆が好む番組作りに躍起になる、視聴率が上げるために。視聴率を稼げば、もちろん広告収入も増える。また、1950年代はアメリカの黄金期と呼ばれることもあるが、冷戦初期の共産主義差別の運動も盛んで、トルーマン大統領が発令した「トルーマン・ドクトリン」や赤狩り(マッカーシズム)も起きていた。そんな時代背景を抑えておくとこの戯曲は俄然興味深くなってくる。
多くの作品に、自伝的要素を盛り込んできたニール・サイモンらしく、この作品も、彼が実際に大物コメディアン シド・シーザー門下で放送作家・コメディ作家として下積み時代を過ごしていた体験がリアルに描かれている。
[イントロダクション]
時は、1953年。米国テレビ業界は、熾烈な視聴率戦争の真っ只中。その闘いの中心は、生放送のコメディー番組だった。
この物語の舞台は、ニューヨーク五番街と六番街の間、57丁目通りにある高層ビルの23階の一室。 ここは、人気コメディアン・マックス・プリンスの冠バラエティ番組「ザ・マックス・プリンス・ショー」 のオフィスである。ここには、マックスの才能を愛し、彼のためにコントを書き、認められようと集まった個性的な放送作家たちが行き交い、いつも毒舌を戦わせながらも、切磋琢磨しながらコント作りに没頭していた。 そこに大きな問題が・・・。大衆受けを望むテレビ局上層部が、マックスの番組に対して厳しい要求を突き付けてきたのだ。
マックスと23階の仲間たちは、このピンチをどうやって切り抜けるのか?!彼らに未来はあるのだろうか?
<キャスト>
瀬戸康史 松岡茉優 吉原光夫 小手伸也 鈴木浩介 梶原善 青木さやか 山崎一 浅野和之

<公演概要>
日程・会場:2020年12月5日(土)~12月27日(日) 世田谷パブリックシアター
チケット料金(全席指定・税込):S席¥12,000 A席¥10,000 B席¥8,000 補助席(1F)¥9,000
前売チケット取扱い: *補助席は一般前売より販売します。
◎世田谷パブリックシアターチケットセンター 03-5432-1515(10:00~19:00)
https://setagaya-pt.jp/
*窓口での販売・発券はございません。
世田谷パブリックシアターチケットセンターでは、残席のある限り、各公演日の前日19時までチケット購入可能。
◎チケットぴあ
https://w.pia.jp/t/23f/
*WEBのみお取り扱い。電話、チケットぴあ店舗、セブン-イレブンでの販売はございません。
全ステージ、当日券は開演1時間前より劇場入り口にて販売開始。
[Creative Team]
作:ニール・サイモン
翻訳:徐賀世子
演出・上演台本:三谷幸喜
美術:堀尾幸男
照明:服部基
音響:井上正弘
衣装:前田文子
ヘアメイク:佐藤裕子
舞台監督:瀧原 寿子
プロデューサー:北村 明子
企画・製作:シス・カンパニー
シス・カンパニー「23階の笑い」公式HP:http://www.siscompany.com/23f/
提携:公益財団法人せたがや文化財団/世田谷パブリックシアター
後援:世田谷区
取材:高 浩美
構成協力:佐藤たかし
撮影:シアターテイメント編集部