劇団四季 ミュージカル『ノートルダムの鐘』上演中!人間の持つ狂気、勇気、無償の愛、差別。

『ノートルダムの鐘』(ノートルダムのかね、原題: The Hunchback of Notre Dame)は世界的文豪ヴィクトル・ユゴーの代表作「Notre-Dame de Paris(ノートルダム・ド・パリ)」に発想を得た作品。ディズニーの長編アニメーション映画は1996年に公開。
原作は『ノートルダムのせむし男』の邦題でも知られており、出版は1831年。原作の舞台は荒んだ15世紀(1482年)のパリ。教会の持つ権限が、弾圧と排除を生み出す時代の物語。
ディズニー・シアトリカル・プロダクションズが製作した演出版では、ユゴーの原作のアプローチを最重視し、人間誰しもが抱える明と暗の様相を繊細に表現。ノートルダム大聖堂の鐘楼に住むカジモド、大聖堂大助祭フロロー、同警備隊長フィーバス、そして3人が愛してしまうジプシーの娘エスメラルダが綾なす愛の物語。作曲はアラン・メンケン、作詞はスティーヴン・シュワルツ、脚本はピーター・パーネル、演出はスコット・シュワルツ、2014年にアメリカで初演、日本では、劇団四季公演として、2016年12月11日初演。

撮影:阿部章仁

厳かな出だし、ノートルダムの鐘が鳴り響く。厳かな歌声、ここの大助祭、クロード・フロロー、助祭はカトリック教会では、司祭につぐ職位。いわゆる権力者であるが、彼の生い立ち、それをスピーディーに提示、孤児だったが、弟と共に大聖堂に引き取られた。兄のフロローは真面目に教会の教えに従っていたが、弟・ジェアンは遊び人、全く対照的な2人だったが、仲は良かった。だが、弟が兄の誕生祝いとしてジプシーの女性を連れてきたので、弟は追放されてしまう。しばらく音信不通だったが、数年後に便りが。大急ぎで駆けつけたフロローだったが、弟は病で死を迎えようとしていた。フロローは弟から赤子を託される。その赤子は…見るもおぞましいほどに醜い風貌、葛藤の末に引き取り、名を”カジモド”と名づけた、意味は「出来損ない」。そして、一気に時は進み、カジモドは成長し、ノートルダムの鐘衝き男となっていた。彼は大聖堂から出ることがなかった。容姿こそ醜いが、優しく純粋な心を持つ青年・カジモド、友は石像と鐘だけ。塔の上から街を眺める暮らし、自由になることを夢見ていた。そんな折、年に一度の”道化の祭り”の日がきた。石像たちに唆されて大聖堂を抜け出し、そこで美しいジプシーの踊り子・エスメラルダに出会い、一目惚れ。そんな時に最も醜い顔をした者を決めるコンテストが行われていた。エスメラルダに勧められるままにコンテストに参加、もてはやされたが、次の瞬間、人々に徹底的に虐められ、嘲笑される。咄嗟に庇うエスメラルダ。大聖堂に戻るカジモド、責任を感じたエスメラルダは彼を追って大聖堂へ行き、カジモドに優しい言葉をかける。一方、フロローもまた、エスメラルダの美しさに一目惚れ、また、大聖堂警備隊長のフィーバスもまた、エスメラルダに恋心を抱く…。

撮影:阿部章仁

四角関係の愛憎を中心にストーリーが展開。アニメを観た人なら、相違点に気がついているはず。アニメではカジモドは、逃亡したジプシーの女性の子供であったが、ここでは弟の子に。ところどころ、アニメとは異なる設定があるので、ここはチェックポイント。カジモド、フィーバス、フロロー、3人3様の恋心、そしてエスメラルダ、彼女は美しいだけでなく、自由を愛し、偏見を持たず、権力に屈しない、現代的な女性だが、時は15世紀、彼女の行動や発言は物議を醸し出す。だが、エスメラルダの凛としたところが彼女の魅力、カジモド、フィーバスはそんな彼女の性格に惹かれる。また、フロロー、真面目故、この時代の正義と秩序を守るためにジプシーを排除しようとする。だが、妖艶なエスメラルダに心奪われ、狂気とも思える行動、画策をする。
この物語の主人公・カジモド、純粋で心優しい青年。ただ、ずっと大聖堂にいたので、外の世界を知らない。外に出た時の衝撃、恋、そして壮絶な虐め、短時間に多くのことを体験する。多くの気付きを得、また友達もできる。フィーバスは立ち位置的には恋敵になり、嫉妬も覚えるも、カジモドは彼と友になる。人の温かさに触れたカジモド、何事もなく、人との接触もなく、鐘をついているだけの人生より、人間らしい生き方ができるようになった。その過程がこの物語を貫く。

そして カジモドを育てたフロロー、1幕後半に歌われる「地獄の炎(Hellfire)」、彼はそもそも真面目で堅物、教会の教えを実直に信じ、職務に忠実な男、故に孤児であったにも関わらず、大助祭にまで上りつめることができた。そんな彼が女性に心奪われる、しかもジプシー。当時のカトリック教は聖職者は結婚出来なかったので、フロローは女性に恋することは罪と考えていた。彼は自分が聖職者として向き合ってきた全て(神、マリア、大天使ミカエルetc.)に対して懺悔する。彼はエスメラルダを見ると胸が熱くなる。「これが罪なのか」と現代人はそう思うが、時代は15世紀、プロテスタントはまだ出現していないし、ルネサンスも、このあとだ。自分を律することができないくらいに恋焦がれているフロロー。その葛藤は深い。そして彼女の熱い炎が自分を陥れるという。彼の心は引き裂かれている。物語の立ち位置は”ヒール役”、だが、彼は根は超がつくほどの真面目人間。現代だったら、感情を押し殺すことはなかったのに、と思う。そして自分がこうなったのは彼女のせいと考え、自分のものにならなければ、エスメラルダを処刑すると…。コーラスの力も相まってここはグッと胸に迫る場面。
ちなみにこの場面の前のナンバーは「Heaven’s Light」、この楽曲の次に「Hellfire」、この対比によってそれぞれの楽曲が生きてくる。
そのほか、ヒロイン・エスメラルダの勇気と彼女の思想、とりわけカジモドに多大な影響を与える。そしてフィーバス、大聖堂警備隊長でイケメン、彼もまた、何事も起こらなかったら、それなりに出世したかもしれない。しかし、その立場を捨てて、エスメラルダに寄り添おうとする姿勢、彼も、さまざまな気付きを得ている。戦いの虚しさを嫌というほど知っており、立場上、自由とは言い難い。だから余計に自由に生きるエスメラルダに心惹かれたのかもしれない。
結末はアニメとは異なり、原作のテイストに近い。人間の持つ狂気、勇気、無償の愛、差別、「怪物(モンスター)」と言われたカジモド、人間と怪物の違い、フロローは元々は真面目で弟想いだったが、彼の行動は?そして民衆、コンテストでカジモドを賞賛した瞬間、手のひらを返したように嘲り笑い、ものを投げつける。人間の危うさ、闇などをミュージカルナンバーや芝居で見せる。そして終始、舞台の上の方にはクワイア(教会の聖歌隊)がいる。舞台上で起こっていることを俯瞰して眺めているようにもみえ、また、厚みのある歌声で作品世界を支えている。楽曲も、この舞台の時代背景を考えたメロディやアレンジを施し、観客に15世紀のフランスを提示する。
観劇したキャストは カジモドは寺元健一郎、エスメラルダは松山育恵、フロローは野中万寿夫、フィーバスは佐久間仁、クロパンは吉賀陶馬ワイス、実力のある俳優陣。聖歌のような楽曲、また、カジモド役は最初からカジモド役として登場せずに、舞台上で衣装や”背中のこぶ”を着装、そして終幕近く、衣装を脱ぎ、”こぶ”を外す。演劇的な場面、この着脱を手伝うのが、クロパン役。ここも意味深。映像は使わず、アナログ的手法が生きる。また、石像たちは様々に”変身”、キャスト表にはアンサンブルと記載してあるが、この変わり方、舞台上でサッと変わるので、ここは見どころ。最後に俳優陣が一列になるが、皆、カジモドと同じような黒い墨のようなもので顔に”ひと刷毛”。この意味もまた深い。心に何かが残る舞台、何が残るかはひとそれぞれ。観る側にも様々な気付きを残す舞台であった。
カジモド役の金本泰潤からのメッセージも到着しているのでここに紹介する。

[カジモド役  金本泰潤]
本作は人間の“光”と“闇”を描いた、美しく重厚なミュージカルです。この作品に出演できることを、大変光栄に感じています。
人間の宿命を見つめ、明日を生きる祈りを謳う作品のメッセージを、お客様の心にしっかりとお届けできるよう、誠心誠意努めてまいります。

概要
日程・劇場: 5月21日(土)開幕 ~ 8月7日(日)千秋楽  KAAT神奈川芸術劇場 ホール
予約方法: ネット予約  SHIKI ON-LINE TICKET http://489444.com(24時間受付)他
問合せ: 劇団四季 ナビダイヤル 0570-008-110
公式HP:https://www.shiki.jp