《インタビュー》ミュージカル「ドリアン・グレイの肖像」 脚本・演出 荻田浩一

「ドリアン・グレイの肖像」、オスカー・ワイルド唯一の長篇小説であり、幾度となく映画化、舞台化された作品。今回の舞台は原作をそのままやるのではなく、時代設定を原作が書かれたおよそ100年後のロンドンとし、ミュージカル仕立てになる。ドリアン・グレイを演じるのは良知真次、彼に悪の囁きをするヘンリーに東山義久、画家のバジル、ここでは映像作家に改変されているが、演じるは法月康平、という布陣だ。名作ではあるが、今でもセンセーショナルで妖しく光彩を放つこの作品について脚本・演出を担当する荻田浩一に作品の面白さや改変した理由などを語ってもらった。

「ドリアン・グレイの肖像」は相当、世に知られている物語なので、そのまま、舞台にのせてもあんまり意味はないかな?」

――ご自身が考えるドリアン・グレイとはどういう人物でしょうか?

荻田:一言で言えば、虚しさでしょうか。

――原作では絵がどんどん年老いていき、自分で絵を自分で刺してしまって、そこで入れ替わりますね。

また、調べてみますと、ヘンリーは作者自身であると言われています。そういったことと実と虚が入れ替わるところが作品の仕掛けになっていると思うんですね。

荻田:同じプロダクションで、2008年に上演のミュージカル『WILDe BEAUTY ~オスカー・ワイルド、或いは幸せの王子~』という作品がありまして、去年の2017年にキャストを変えて再演をしたんです。これはオスカー・ワイルドが主人公、彼の評伝記、いわゆる半生記なんですけど、そこに彼の作品をモチーフにいっぱい入れ込んだんです。「サロメ」とか「ドリアン・グレイの肖像」も、もちろん入っています。オスカー・ワイルドが2人いる、みたいな、そういう感じのものを作ったんです。つまり「ドリアン・グレイの肖像」はすでに自分の中ではやっているという思いがありました。今年は改めて「ドリアン・グレイの肖像」のご依頼を頂きまして、テーマ的にはすでにやっている感覚なので、まず同じものにはしたくない思いが強くありました。更に公演としての体裁を考えると、19世紀末に書かれたオスカー・ワイルドの装飾的で哲学的、かつ幻惑的な言葉を追求するよりも、作品の持つスキャンダラスで扇情的な部分、物語としての面白さから掘り下げて、エンターテイメント性に持っていった方がいいのでは?と。「ドリアン・グレイの肖像」は世に知られている作品で何度も映像化・舞台化されているので、諸条件を考えると、我々のプロダクションでそのまま舞台にのせてもあんまり意味はないのかな?と思った次第です。あくまでも「ドリアン・グレイの肖像」の変奏曲、バリエーションになればいいかなと。それで改めて設定を考えて、作り直しました。

――要するにご自身の中ではすでに『やっている感』があって、あとは原作をそのままやっても〜ってことと、19世紀という時代設定も馴染みが薄い、ということで一回消化して、バリエーション作るって感じでしょうか。

荻田:原作に忠実にやるなら、美術や衣装も忠実にしっかり作り込みたいですし、19世紀感を重厚に出したいですね。今回は、若手の魅力的なキャストを散りばめて面白い演目にするっていう趣向で僕にオーダーがきたのだと思っています。「ドリアン・グレイの肖像」という題材を、公演として求められている課題と掛け合わせて、その調和を考えるのが役目です。

ドリアンは永遠の若さと美しさに憧れる、人間の業の象徴だと思うんです。そこをなるべくタイトに浮かび上がらせる感じです。

――19世紀末という原作の設定がどうしても現代においては馴染みがないですよね。時代設定は正確には現代ではないんですが、やや現代に近い1990年代で、小説が書かれてからほぼ100年後なんですね。また、バジルは絵描きではなく、映像作家、多分、インディペンデントなんだろうな的な・・・・・・。

荻田:そうですね。そこらへんも趣向ですね。

――主要な人物はキャラクター的にも立ち位置的にも変更はないですが、それ以外のサブキャラが設定が変わっていたり、立ち位置が変わっていたり、また展開が原作と少し違うところもありますが、こういった変更している部分はお客様に見やすく、ということでしょうか。

荻田:そうですね。まず、読み物として書かれたものから2時間程度の上演台本にしなくてはならない。ドラマをまとめていくに従っていじった部分ですね。それとバリエーションである部分・・・・・・改変ですね。

――例えば、アガサという人物は完全に原作とは違っていますね。

荻田:はい。名前は原作に登場しているんですが、完全に違いますし、役どころも異なります。

――確かにアガサは原作には登場する名前ですが、ほぼオリジナルキャラクターになっていますね。

荻田:そうですね。あと、原作でサブキャラと言われるような登場人物、例えば、主人公のドリアンという響きと、とても似ているサブキャラクターの名前とかは、ちょっと変えちゃいました。つまり原作を読んでいる人はいいのですが、劇場で聞いた時に『あれ?』ってなるところは少し変えたりしています。あと、オスカー・ワイルドの言葉がちょっと韜晦趣味的な言葉で紡がれていく、それだと、例えば朗読だといいんですが・・・・・・。

――ちょっと難しい、そうですね。

荻田:はい。原作の言葉がそのままだと展開が滞りかねないので、あらすじからいいところを取り出して、いろんな物語を紡ぎ直したっていう感じですね。ドリアンは永遠の若さと美しさに憧れる、人間の業の象徴だと思うんです。そこをなるべくタイトに浮かび上がらせる感じです。それによっていろんなキャラクターの配置を変え、なおかつ時代を1990年代に変えているので、19世紀末では衝撃的であったものも多分、現代の視点で見た場合、『かつてそういう時代があった』っていう歴史認識にしかならないかも知れない。今日的なことを考えて、若干、刺激が強いものにしていこうかな、という・・・・・・その結果、原作よりもやや下世話になっているかと思います。

人間の心の弱さゆえに崩れていく、よって弱さゆえに強がりみたいなところの悲哀っていうものが、僕が思うオスカー・ワイルドの作品かな?と思っています。

――いろんな要素をそぎ落としていく・・・・・・例えば、口では「年をとれば、それなりに味がある」とか言っていても心の奥底では若さとか美しさをキープできたらいいなっていう、だから化粧品が売れるわけで(笑)。

荻田:そうですね(笑)。

――そこらへんのところはゲーテの「ファウスト」とかに近いのかな?っていう感じもします。

荻田:はいはい。もっと変えちゃうんだったら、アンチエイジングの話にしちゃってもよかったんですが、そこまで行ってしまうとプロデューサーが求めているものとはずれてしまうなっていう・・・・・・・。

――確かにあそこまでいっちゃうと(笑)

荻田:「ドリアン・グレイの肖像」って聞いた時に人々が思うちょっとデカダンス的な・・・・・・よく(自分の)作風が耽美とか言われるんですけど、自分では耽美と思ってやっているわけではないです。

――やっぱり、そうだったんですね。

荻田:耽美、特に好きという訳ではないんですが(笑)。それが魅力、そのような言葉で彩られる魅力のある作品なので、その退廃的なところ、ちょっと不道徳なところ、その悩ましさ、美しさ、っていうものは作品に反映させようかな?って思っています。

――「ドリアン・グレイの肖像」、オスカー・ワイルドの作品っていうのは耽美、退廃、デガダンス、そういう言葉で割と語られがちではありますが、それは一種のデコレイト的な、本質は人間の業ですね。

荻田:それこそオスカー・ワイルドを題材にした作品を作った時に色々とオスカー・ワイルドのことも調べたのですが、「とても心の弱い人なんだな」というか、「優しくって弱い人」なんだなと。あと見栄っ張りなんだろうな・・・・・・と。人間の心の弱さゆえに崩れていく、弱さゆえに強がるみたいなところの悲哀っていうものが、僕が思うオスカー・ワイルドの作品かな?と思っています。

――それは人間みんな持っているもの、要素ではないかと思いますね。ところでキャストさんが、いい座組かなと。

荻田:ありがとうございます。

――良知さんがドリアン・グレイで東山さんがヘンリー、あと法月さんがバジルですね。このメンツ、だいたい皆さん、どこかでご一緒なさっている・・・・・・。

荻田:女性陣はそうですね。男性陣は良知さん、東山さん、長澤さんの3人で、あとの方は初めてですね。

――今の稽古の進行状況は?

荻田:稽古はちょっとずつ始まっている段階ですね。

――皆さん、実力おありで。

荻田:あと、皆さん、雰囲気を持っていらっしゃるかなと。プロデューサーが是非、良知さんにドリアン・グレイをやらせたいとおっしゃっていまして。ドリアン・グレイっていうと・・・・・良知さんは健康的ですけど(笑)。

――ご本人はそうですね。いたって健康ですが、全く真逆の役ですね。

荻田:本来のドリアンの年齢を考えるともうちょっと若い人になるのですが、演技、演劇っていうと良知さんにとっては今、ちょうどいい頃合なのかな?と思いますね。

――演劇ってマジックがありますからね。

そこが映像とは違う、舞台の醍醐味だと思うんです。

荻田:そういう意味では良知さんは確かにドリアン・グレイを演じるにはいい時期かも?という気がしているところです。

――東山さんも退廃的な役どころ。

荻田:本人は全然、そうじゃないんですけど、見た目がそうですから(笑)。良知さんがドリアンやって東山さんがヘンリー、年齢差というか、資質や方向性が意外に近しい感じの人が、ヘンリーっていうのは悪くない構図かなと思います。ヘンリー卿はどうしても年配の方がなさることが多いんですが、原作ではお年寄りの設定ではないので。

「ドリアン・グレイの肖像」に描かれた人間の業が美しい人々によって凄まじく奏でられるようになればいいかなと思いますね。

――最後に公演PRをお願いいたします。

荻田:より破壊的でより扇情的なドリアン・グレイになるかな?という気はしています。原作の持つ文学的な香りは100年という時代設定の差により、あらかた吹き飛ばしてしまいますが(笑)。結果、「ドリアン・グレイの肖像」に描かれた人間の業が美しい人々によって凄まじく奏でられるようになればいいかなと思いますね。ちょっと地獄絵図みたいな(笑)感じになれば。

――綺麗にまとめるよりもどろっとした(笑)

荻田:そうですね。真っ当ならコスチュームプレイにして原作の持っている文学性を強く意識して、この作品が持っているなんとも言えないねじくれた部分を炙り出すべきなんでしょうけれども。でも、今、それをしてしまうと、逆に本質的な部分が隠されてしまう気がして。19世紀末、オスカー・ワイルドによって「ドリアン・グレイの肖像」が書かれた時代では、この作品はスキャンダラスでハレンチで、もっと直接的に人々の心に衝撃を与えたものだったような気がするんです。そういう19世紀の外套を剥ぎ取った裸のドリアンっていうものになれればいいかな?と思っています。

――多分、この作品が書かれた時点では内容は相当刺激的だと思います。

荻田:だと思います。

――ただ、さすがに小説が発表されて100年以上経っているので、ちょっとやっぱり・・・・・・。

荻田:現代は、ちょっと人間自体の品位が落ちている。

――そうですね(笑)。

荻田:現代にふさわしい品位の落ちたドリアンを目指しています(笑)、ちょっとよろしくないですかね?

――いえいえ(笑)

荻田:それを目指しています。

――「ドリアン・グレイの肖像」は美しくって耽美って思いこんじゃっているお客様にはいい意味での裏切りみたいな。

荻田:そうですね。若干、悪どさを強調した結果、よりホラーっぽくなっちゃったんですけど。そこも含めて俗物たる俗物物語を俗物ぽくやろうと思っています。本当に真面目に英文学を愛していらっしゃる方には非常に喧嘩売っている感じになるかもしれません(笑)。

――演劇っていうのはそもそも『喧嘩上等』みたいなところもありますから(笑)。

荻田:当時の大衆がどう捉えたかっていう・・・・・・・そういった感じに捉えられていたのを今の大衆に同じように捉えてもらいたい。その結果、捻じ曲げて、怒る人は怒るんだろうなって思いながら(笑)。

――当時、この作品が発表された時点でオスカー・ワイルドは世間に対して喧嘩売っている感じでは?

荻田:そうですね。

――今の時代に合わせて喧嘩売ろうと(笑)。

荻田:喧嘩売るとまでは言いませんが(笑)。お客様に刺激を感じていただけたらなと。本来、刺激的な話なので。

――刺激的なドリアン・グレイ!

荻田:はい。

――ありがとうございました。公演を楽しみにしています。

<キャスト>

良知 真次
風花  舞
彩輝 なお(東京公演のみ)
星奈優里(大阪公演のみ)
蘭乃 はな
法月 康平
木戸 邑弥
風間由次郎
村井 成仁
長澤 風海
東山 義久
Special
剣 幸

【概要】
ミュージカル「ドリアン・グレイの肖像」
東京公演:2018年9月21日〜9月30日
博品館劇場
大阪公演:2018年10月10日〜10月11日
梅田芸術劇場シアタードラマシティー
原作:オスカー・ワイルド
脚本・演出:荻田浩一
プロデューサー:栫ヒロ
企画・製作:博品館劇場/M・G・H
主催:(東京)ニッポン放送
(大阪)全栄企画
読売テレビ
サンライズプロモーション大阪

文:Hiromi Koh