新国立劇場にて上演中!『デカローグ1〜10』亀田佳明 インタビュー

新国立劇場にて『デカローグ1〜10』が好評上演中だ。すでに1〜6話まで無事に公演終了、6月22日より『デカローグ7~10』(プログラムD・E 交互上演)が始まる。「トリコロール」三部作、『ふたりのベロニカ』で知られる、ポーランドの世界的映画監督クシシュトフ・キェシロフスキが発表した 『デカローグ』。旧約聖書の十戒をモチーフに 1980 年代のポーランド、ワルシャワのとある団地に住む人々を描いた十篇の連作集だ。
この十篇すべてを舞台化、4カ月にわたり上演するという一大プロジェクト。この1〜10話、全てに出演している亀田佳明さんのインタビューが実現した。
亀田さんが演じるのは、配役表には「男」と書かれた、登場人物たちを見守る”天使“と呼ばれる存在。物語ごとに全く違う職業の人間になり、各エピソードの主人公の選択や岐路には関与せず、ただ見守るという役どころだ。

ーー『デカローグ』は公演期間も長く、この10話全てに出演することになった時の感想をお願いいたします。

亀田:原作の映像作品は知らなかったのですが、「こういう企画でセリフがないけれど、とても重要な役どころを担ってもらえないか」というお話しをまず、いただきました。演出家が小川(絵梨子)さん、上村(聡史)さんとお伺いしていたので、信頼するお二人の作品ならとあんまり深くさぐることなく、引き受けたというのが正直なところです。台本を開いたのはずいぶん後でした。

ーー現在、「1」〜「6」と出演してちょうど、今は中間地点ですね。

亀田:そうですね。

ーーセリフがないということと、全てのストーリーに参加している、出番は少ないけれども…私的感想ですが、そこにいるときの佇まいやその空気感に溶け込むのが、結構難しいのかな?と。「1」〜「6」まで出演した感想をお願いいたします。

亀田:立ち位置は、ストーリーの中に入り込んでいく役割とはまたちょっと違っていて、少し距離があったりとか俯瞰したりする瞬間も必要だと思います。しかし、それだけではなく、そのストーリーの中にフィットしていくような瞬間も必要だったりする。それは話ごとに、しかも2人の演出家で、それぞれ微妙にニュアンスが違うんですよね。それは演劇として立ち上げていく上では、僕はプラスなことだと思っています。そこは自分としては結構楽しんでいるところです。観劇しているお客さまの印象としては、僕の役割は、どうしても何だかよくわからない存在ではあると思うんですが、それが結果として、想像力をかき立てて、お客さまの中にいろんな解釈を、想像を膨らませていただけるような存在になればいいかなとは思っています。

ーー「デカローグ5 ある殺人に関する物語」と「デカローグ6 ある愛に関する物語」を拝見しましたが、全然全く違う話ですし、セットが基本的に同じではありますけれども、20分の休憩を挟んで全くガラッと空気感が変わりますね。その違う空気感の舞台で、亀田さん演じる「男」は、物語の中には関わらないけれども、何か微妙な立ち位置でそこに存在していく。20分の休憩を挟んでの切り替えとかはされているのですか?

亀田:ないです。それは多分「1」から「10」まで1本の作品として捉えてもいいような気もしますし、僕自身も、一つの役だと思っているところがあって。ただ、役割は変わっていきますし、職業も変わります。あともちろん当然相手役も変わっていくので、そこにもちろんアジャストはしていきますが、役としての切り替えってのは実はそんなにあんまりないですね。

ーー観ている側からすると、「5」は殺人、「6」は愛、テーマが全く違うので、観ている側からすると、やっぱりその20分間の休憩を挟んでずいぶんと変わったなっていう印象ですね。

亀田:そうですよね。お客さんの空気感はすごくよくわかります。やっぱり「5」はかなり絶望的な終わり方をしていて、それに対するお客さんのリアクションもよくわかるんですよね。それに対して「6」は、割とライトな演出、そういう作りになっていると思いますし、音楽も、お芝居も、キャストの皆さんの役作りもそういうふうになっていますので、そこにお客さまが救いのように乗っかってリアクションしてくださる。だから、お客さまのリアクションの対比もよくわかるし、そこは楽しいところですね。

ーーそうですね。確かに「5」はテーマがテーマだけに、冒頭から重苦しい空気感で、観ている側も、最後悲劇的な終わりをするんだろうなと予感がしました。それに対して、6はふわっとした曖昧な終わり方をしたという印象です。亀田さんは6話では郵便局の職員、5話では脚立を持って出てきていましたね。

亀田:そうです。あと、6話では、白い衣装を着て旅行者みたいなのも

ーー観てる側としてはやっぱりガラッと違うので、複数役を演じる方もいらっしゃいますけれども、素朴な疑問で恐縮ですが、役の切り替えとか、皆さんどうしてるのかな?と。

亀田:楽屋でキャストの皆さんと喋ってると、5話と6話両方に出演している皆さんの方が、もしかしたら切り替えは必要なのかもしれないですね。やっぱり皆さん、そのようなことを話してますし。「5」は、かなりシリアスで、ちょっと精神的にも落ちるような話ですから、そこから「6」にいくにはやっぱり「よっこいしょ」と気持ちの切り替えはしているかもしれないですね。僕は本当にないんですよ。それがなくずーっと日常でいくわけではないのですが、この企画の全体の1話みたいな捉え方をしていくと、なんかそういう意味でも僕の方から切り替えをする必要はないなと思っています。むしろそのまんまその状態で出ていくことの方が必要かなと思うところもあって、お客さまとの繋がりだったり、観客の視点を表現する存在でもあるような気もしますし、「頑張ってる」というのをできるだけなくした状態で関わっていくことが必要かなと思っています。

ーーこれから『デカローグ7~10』の公演が控えています。この映画監督の別の作品は観たけど『デカローグ』はよく知らないという方も結構いらっしゃると思いますが、読者へのメッセージをお願いいたします。

亀田:基本的に、人間の苦悩、葛藤、苦しみが描かれています。物語の場所はポーランド、時代も近現代ではありますが、我々の日常的な悩みや苦しみ、本当にささいで微細なものの繋がりがすごく多い作品。絶望的な終わり方ではなく、全ての物語がどこか余白を持った終わり方をしています。僕の存在・役割もそうかもしれませんが、必ずしも嫌な終わり方ではない…希望とはちょっと言い切れないかもしれませんが、何か救いがあるような作品になっているとは思います。俳優として全て参加しているのは僕しかいませんが、スタッフワーク、演出も含め、日を追うごとに、練度と温度がやっぱり上がるんです。それはこのロングスパンでやってるメリットかなと思います。5・6話を上演した「プログラムC」から7~10話の「プログラムD・E」にいくにあたって、練度と温度はきっとまた上がるんじゃないかと思っていまして、より期待していただければと思います。コメディ的要素が増している部分も…重みのある作品もありますので、より楽しめるのではないかと思います。それぞれが約1時間のお話ですが、1時間ではない濃密な内容です。きっと楽しんでいただけると思います。

ーーありがとうございます。残りの公演も楽しみにしています。

<製作発表会レポ>

登壇者は43名!新国立劇場大型企画『デカローグ 』完全舞台化!製作発表会レポ

作品について
「トリコロール」三部作、『ふたりのベロニカ』で知られる、ポーランドの名匠 クシシュトフ・キェシロフスキが発表した 『デカローグ』。旧約聖書の十戒をモチーフに 1980年代のポーランド、ワルシャワのとある団地に住む人々を描いた十篇の連作集。
十篇の物語は、オムニバス形式のそれぞれが独立した1時間前後の作品で、別々の作品でありながら、緩やかにリンクし、実はひそかなつながりを持っているという隠された楽しみも見つけることができる。
もともとテレビ放映用ミニ・シリーズとして1987-1988年にかけて撮影され、その質の高さが評判を呼び、その後世界で劇場公開。スタンリー・キューブリック、エドワード・ヤン、ホウ・シャオシェンなど世界の映画作家が賞賛の声を贈った。

モーセの十戒(正教会・聖公会・プロテスタント(ルーテル教会を除く)の場合)
わたしのほかに神があってはならない。

あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。

盗んではならない。

隣人に関して偽証してはならない。

隣人の妻を欲してはならない。

隣人の財産を欲してはならない。

概要
『デカローグ 1~10』
日程:
2024年4月13日(土)~7月15日(月・祝)
デカローグ1~4(プログラム A&B 交互上演):2024年4月13日(土)~5月6日(月・休)  ※終了
デカローグ5~6(プログラム C):2024年5月18日(土)~6月2日(日) ※終了
デカローグ7~10(プログラムD&E 交互上演):2024年6月22日(土)~7月15日(月・祝)
会場:新国立劇場 小劇場
原作:クシシュトフ・キェシロフスキ/クシシュトフ・ピェシェヴィチ
翻訳:久山宏一
上演台本:須貝 英
演出:小川絵梨子/上村聡史

公演詳細
https://theatertainment.jp/translated-drama/122610/

取材・文:高浩美

舞台写真提供:新国立劇場(撮影:宮川舞子)