《インタビュー》扉座第62回公演『リボンの騎士-県立鷲尾高校演劇部奮闘記2018-』 劇団主宰・脚本・演出 横内謙介

1982年に旗揚げし、今日まで劇団活動をしてきた横内謙介が久しぶりに2018年版として『リボンの騎士-県立鷲尾高校演劇部奮闘記2018-』を上演する。『リボンの騎士』を上演しようとする高校演劇部の物語、1998年の初演では、V6の井ノ原快彦、一色紗英、鈴木蘭々らが出演し話題に。そして2018年版に改訂され、若手キャストと共に新たに上演することに。公式サイトで横内謙介は「この作品は20年前、処女作を書いた頃の私の実体験を下にして、大きな劇場の公演の為に書き下ろしたものです」と紹介、「私自身とても気に入っている作品で、いつか劇団公演として上演しようと決めていました」と語っている。

「手塚治虫 生誕90周年記念公演」および「横内謙介 劇作生活40周年記念公演 第1弾」と銘打たれた本作、作品のこと、人材育成のこと、演劇を始めたきっかけ等について横内謙介さんにお話を伺った。

演劇部に特化した話、創作も入っていて、完全実話ではないですが、厚木高校の私戯曲の第2弾(笑)

――初演時は誤解していまして、「リボンの騎士」をやるんだと。ところが、観たら「リボンの騎士」を上演しようとしている演劇部の話(笑)

横内:そうなんですよ(笑)そもそも「リボンの騎士」をやろうって話だったんです。あの当時、僕がセゾン劇場でやっていた公演ってみんなフジテレビさん共同製作で、共同テレビの社長まで務められている、今は相談役になられた山田良明さん、この方はトレンディドラマのど真ん中にいたプロデューサーさんで、大変演劇がお好きで、ご自分も子役で芝居出ていた経験もあったりしていたんです。当時、「北の国から」とかのメインプロデューサーだったし。あの頃、私はセゾン劇場で何度も台本を書いていましたが演出は、「北の国から」の監督だった杉田正道さん、それから河毛俊作さんと、山田さんがやっていらしてました。あとはセゾンの堤康二さん、彼が、手塚治虫さんのものをやっていこうとおっしゃって。最初は「陽だまりの樹」という作品を上演しまして、これが評判がよくって3回やった記憶があります、多分セゾン史上、一番やったんじゃないかな?その流れで山田良明さんと「リボンの騎士」やろうかっていう話になりました。山田さんが、「そのままやってもいいけど、どうなんだろうね」っていうことをおっしゃって。実は僕が自分の青春時代を戯曲にした「県立厚木高校物語・ホテルカリフォルニア」っていう作品、私小説に対して私戯曲(笑)がありまして……これは僕の母校の神奈川県立厚木高校の話、そのまま。地方の進学校で勉強しかしてない奴らの話で、僕の高校時代の思い出で、演劇部の部員が出てきます・・・・・・まあ、神奈川県の地方高校の学生がほんとに勉強しかしてない、でもかすかに青春があった、みたいな話なんです。そんなのドラマになるのかな?って思いながらもちょっと色々思うところがあり青春ドラマにしたんです。これを凄く面白がってくれて、「やった方がいいよ」って。そうこうしているうちに、じゃあ「『リボンの騎士』は劇中劇でいきましょう」ということになったんです。だから、『リボンの騎士-県立鷲尾高校演劇部奮闘記2018-』、演劇部に特化した話、創作も入っていますので、完全実話ではないですが、厚木高校の私戯曲の第2弾(笑)、そして女の子の話にしました。井ノ原快彦君とか、当時の人気者が出てくださって。演出は河毛俊作さんでした。その後、自分でも演出したいなと思っていたんですが、自分の思い出みたいなのも入っていたし、ただ、若い人達の話なので、劇団員はみんな、歳を取っておじさん、おばさんになっちゃって(笑)、劇団でやりにくくなってしまって。ずっとタイミングを計っていて、でもいつかと思い・・・・・・劇団初めて37年、今年は劇作生活40周年です!

子供達の育成、面倒をみています・・・・・・彼らは仕事としてやる気満々な訳ですよ!

この37年の間にワークショップをやったり、(財)厚木市文化振興財団の芸術監督も始めまして、さらに演劇塾始めましょうっていうことで小学校から中学校の子供達の育成、面倒をみています。また、神奈川県からの依頼で、舞台芸術の人材育成、マグカル・パフォーミングアーツ・アカデミーっていうのを始めまして、高校生から25、26歳迄。ミュージカル目指す若者、今、育成事業とともに公演もやっていますが、厚木で小学生だった子が中学校で一回ここから卒業しまして、今度は高校生になって神奈川の育成事業に関わるようになる、彼らは仕事としてやる気満々な訳ですよ!本当に育ってきています!もちろん、扉座も歌や踊り、やりますよ!余談だけど、かつて「俺らも踊ろう」って言って踊りを入れたら六角精児が怒るんです、踊りなんか必要か?みたいな(笑)。あの頃の小劇場は踊っていた(笑)。しかし、六角は「こんなのは演劇じゃねえ」と。六角は踊れないから(笑)。俺たちと比べるとあの子達は子供の頃から踊っていたから、自分達が子供の頃と比べたら格段に上手い!実力違うぞ!

ーー今の二十歳ぐらいの子って子供の頃からダンスが周りに溢れている。体育の授業でヒップホップ取り入れるっていうことになって体育の先生が困ったっていう話とか聞いたことがあります。

横内:そうだよね。あつぎ舞台アカデミーはラッキー池田さんから踊りを教わっているし、ボイストレーニングだって本物が来てやって、芝居は僕らが見ている。育てたのは俺たちだから、こ人達、早くつかわなきゃいけないって思い始めた。地産地消じゃないけど、ちょうどいいタイミングで、主なる劇団員は休ませて、あえてこの若いメンバーでやってみようと。これは長くやっていることの賜物じゃないかと思うんです。自分の書いたものが20数年経って、出来るなんてことも長くやってないと出来ないし、みんなが出来る事じゃない。多少、古い部分は直したり、身の背丈に合わせるってこともやりますが、これも長くやってきたことのご褒美だと思うんでやってみようと。

ーーセゾン劇場でやっていた頃から年月も経ちましたね。

横内:井ノ原さんもお父さんに(笑)。

演劇を始めたきっかけは、入部の時に「本当にやらなくていいから、名前を貸してくれ」って言われて(笑)

ーー結局、あの話は原体験ということですが、シンプルな質問で恐縮ですが、なんで演劇やろうと思ったんですか?

横内:そもそも文系の人間ではあったんだけど。小説読んだりしていて、テレビ局に行こうとは思わなかったけど、中学、高校の頃は新聞記者とか、活字の仕事をやりたいなっていうのはなんとなくあった・・・・・・きっと、サラリーマンになるんだろうなって漠然と思っていた・・・・・・本当にダメダメな話なんだけど、厚木高校、いわゆる進学校で県立予備校みたいなところだったし、俺も部活みたいなのも熱心にやるつもりもなかった。でも学校の方針、スローガンとしては文武両道とかって言う学校だった。ちょっと校風が古い学校だったかな。

ーーいわゆる進学校だけど、部活も一生懸命っていうことですね。

横内:そう。となると、なんか部活に入らなきゃいけなかった。柔道部とか、そういう本当に厳しいものは全くやる気はなかったんです。たまたま演劇部が部員が少なかった……部の存続も危ぶまれていたので、入ってない人間を探したんだね。自分とは縁もゆかりもない人達が「名前だけ貸してくれ」といってきた。人数足りたら部が存続するんで。

ーー○○人いないと廃部ですっていう話はよく聞きますね。

横内:そうそう(笑)、部活入ってない奴を集めていて、「あんまりぼんやりしていると柔道部とかに入れられちゃうぞ」とか言って(笑)。「リボンの騎士〜」に応援団出てきますが、進学校なんだけどそういうのはとりあえず残しているんです。バンカラな気風だけ残っていて、応援団とかはみんななり手がいなくて困っていた、「どこの部にも入ってないとあそこに入れられちゃうんだぞ」脅しにきた人もいて、これは大変だと思った(笑)。「夏に辞めてもいいから、3ヶ月ぐらいでいいから、本当にやらなくていいから、名前を貸してくれ」と言いにきた人の1人が、1コ上の先輩で、今はお天気予報士の木原実さん、それで名前貸した(笑)。当時は演劇の知識も全くないし、ちょっと家族で観にいったことぐらいはあったけど。テレビは面白かったけど、芝居は面白いと思わなかった。家族で観たのが夏休み親子劇場みたいなもので、全然ピンと来なかった(笑)九州にいた頃、そこの小学校で見たのは体育館で体育座りして観る、「風の子の〜」みたいなので、侘しいこと、この上ない(笑)。「勉強出来ない奴はあそこに入れるぞ」って先生が言ってたっけ。だから演劇なんてピンと来なかったし、やる気なかった。

「熱海殺人事件」、俺は演劇部やめられなかった、これは凄い!

横内:部活って4月ぐらいに入るでしょ。5月のGW明けぐらいに、演劇観に行くぞということになった・・・・・・神奈川県の青少年センターっていうところ、今年で55年になるんですが、全国に先がけて作られた演劇ホールで、こういうのを作った当時の神奈川県知事は偉かったんだと思う。青少年のために専門劇場を作って、なおかつ年に2、3回、プロの劇団を呼んで、演劇部員のために500円ぐらいでみせる、と。これを先輩が奢ってくれると。この先輩も偉いと思うんだけど、ここで観たのが、つかこうへいの「熱海殺人事件」。何の予備知識もないし、もちろん、つかこうへいも知らない。当時出演していたのは平田満さん、三浦洋一さん、加藤健一さん、今は平田夫人になっている、井上加奈子さん。

ーー本当に初期の頃の「熱海殺人事件」ですね。

横内:そう、しかも一番よかったと言われている「熱海殺人事件」。青少年センターはつかこうへいさんが、公共ホールでやった初めての公演だった。当時は紀伊国屋ホールに出たばかりで、当時、一番勢いのあるものを見せられた。これの上演を企画した当時の企画課長ってとっても偉い!

――この時代にこれを上演しようと思ったところが凄いですね。

横内:そう!1000人ぐらい入る広いホール。高校1年で、あれを観て、それを凄いと感じ取った俺の感性も凄いんだと思うけど、一気に凄いもの観た!と。それまで思っていた演劇と全く違っていた。演劇の作家はみんな死んでいるんだと思っていた。シェイクスピアとか歌舞伎の近松門左衛門とか名作って言われているもの・・・・・・でも、テレビは今のモノをやっている。そういうイメージがあった。ところがテレビより新しい感覚で、しかも装置もなんにもない!観劇する前に「熱海殺人事件」について先輩に聞いたら「推理劇じゃないかな?」とか言って(笑)、先輩も知らない!誰も知らない!木原さんもこれを観て憧れて、日芸に行って、俺は演劇部やめられなかった、これは凄い!って。先輩達も興奮して、つかこうへいを語ったりして「他の戯曲もあるぞ」と言って・・・・・・つかこうへいの戯曲やエッセイって読めば読む程に面白い!初めて自分たちで見つけた文化っていうんでしょうか、夢中になれるものを見つけた。あの頃の「ぴあ」、自分で毎月買わないで、誰かが買ったものを回し読みして・・・・・・隅々まで、読んだ。

――あの当時は「ぴあ」に「シティロード」(笑)

横内:そうそう。ぴあが月一で、一気にそういう新文化に吸い寄せられた。自分でも出来るんじゃないかと。あのレトリックが強烈過ぎて!でもコンクール出るために高校演劇戯曲選とかをやっている。つかこうへいが面白いと思っているのに、それってどうなんだろうかと。本当に面白い事はやってねーなーと感じていた。つかこうへいを観て以来、演劇部は活性化して、あれは面白いっていうことになって、部員も凄く増えて・・・・・・秋からのコンクールのために、何をやろうか相談している頃に、六角精児も入部してきた。この頃にはもう小劇場のノリを始めていた、木原さんと俺たちは!でもコンクールは真面目にやっていた。その落差!でも本当に自分たちが面白いものはやってない。でも俺はやろうと思った。自分で一回、台本書いてみた、16歳の夏休みに。ほぼ3日間ぐらい、誰からも頼まれもしないのに自主的に書いた。一回できたらな、のつもりでコンクールに出たら、地区大会で褒められた。県大会で、憧れの青少年センターに出た。ここら辺からプロの評論家とかが審査員として観るようになった。シェイクスピアシアターを後に作った出口典雄さんとかも観に来てくれて、凄く褒めてくれた。画期的だから、これで出しましょうって言ってくださり、関東大会に出たんです。そうしたら清水邦夫さんが観てくださって「面白いから行かせましょう」と。あれよあれよという間に全国大会。あの当時は学校の先生が書くか、高校演劇のために書かれたものを真面目にやるのが、いわゆる高校演劇で新劇の影響が強かった、学生が台本を書いていない時代だったんです。「鼻濁音は正しく発音しましょうね」って言われているような時代に全然違う感覚で「エロ本がどうした」みたいな台詞なんか、もちろんなかった訳ですよ、そういうのを僕らが始めた。面白がられて、調子に乗って(笑)。全国で話題になって、後に大学生になったときに「横内君って知ってるよ」って言われた。で、ざっくり言うと、その流れで自分たちで劇団を始めたんです。当時、世の中の感覚は未だに、なんか古くさい事やっていて、演劇界はアングラの真っ最中。だから大学いってからも「高校生がって・・・・・・ダメだよ」って、そういうことに対して全否定。当時の演劇雑誌・・・・・・劇団作ったら情報をのっけてくれるんじゃないかなって会いにいくも「高校演劇出身って言わない方がいい」って言われた(笑)。その頃は小劇場ブーム前夜で、まだ鴻上尚史さんとか野田秀樹さんとかが叩かれていた頃で評価が定まる前。高校演劇なんかさらに軟弱な・・・・・・演劇ではないと。そこから数年後には「新劇」が高校演劇特集組みましたから!時代ってこういう風に動くんだ〜って。それが、今からほぼ30年前のことで、僕らが大学入って、あっという間にそうなった。高校演劇出身の軟弱な演劇少年として現れた高校演劇出身の僕ら、鴻上さんや野田さん達が道を切り開いてくれて、うるさいアングラ世代を蹴散らしてくらたおかげで居心地はよかったし、風も吹いた。これで、世の中もかわるじゃないですか。凄い良い風が吹いたなと思いました。

あの頃は本当に景気が良かった。セゾン劇場での初日の打ち上げも豪華だった・・・・・・ところが10年経たないうちにそれは幻想に過ぎないことを思い知る(笑)。

ーーその後にセゾン劇場が出来ましたね。

横内:自分達の劇団作って10年かからない内に、セゾン劇場で仕事しているから、今から思えば凄いこと。27か28で、先代の中村勘九郎主演の「きらら浮き世伝」の脚本、今はそんな奴、いない。セゾン劇場は、オーナーの堤清二さんが「既成のもの、使うな」って言ったらしい。

ーー堤清二さん、そういうところがありましたね。

横内:名前のある作家なんか、要らないんだよって。別にここは儲けなくっていいからと。

ーーそういう人が時代を動かすんですよね。

横内:凄いよね。

ーー当時、次々と新しいことをやっていました、無印良品も、ブランドじゃないとか印がないとか(笑)。

横内;バブル時代って反省すべき点もいっぱいある。だけど、普通にピーター・ブルックが来て・・・・・・。

ーー「カルメンの悲劇」ですね。

横内:観た!彼の、ピーターのワークショップにも出ました。若い者を集めて・・・・・・。特に新しいものに対する期待みたいなものをかけていた。「新人類の神々」とか、そんな言葉が出始めた時代だった。

ーーその言葉が出始めた、自主映画が出始めた時期でしょうか。「星くず兄弟の伝説」っていう映画がありましたね。

横内:手塚眞さんの映画ですね。

ーー堤さんは古いものは要らないそういう方針だった、「星くず兄弟の伝説」はセゾンでやりましたね。

横内:今の若者たちを観ていて、可哀想だなって思うんですよ、昔みたいに、ああいう風に大人が若者に期待するのをすっかりやめちゃって・・・・・・余裕もなくなっちゃったからね。いろんなこと、若者に回さなくなって、自分達でしましょう、みたいな浅ましい感じの20年に・・・・・・日本の不景気と共に。あの時は本当に、景気が良かったから大人達は威張っていた(笑)、でも、場を与えてくれて、飯も食わせてくれたし、尻も叩いてくれた、「やれよ」みたいな感じで。この20年のエンタメ系を支えていたのは、あの時にエネルギーをもらった人達なんだよね。映画もそうなんじゃないかな?その後、新しい奴が出てこなかったけど、そこを切り開いたのが2.5次元舞台、やっと若者に場が、チャンスが与えられた。

ーー今はアニメやマンガ、ゲームって普通の感覚ですよね。30年前は、アニメ、マンガ、ゲームの舞台化って一風変わった、イロモノ扱い。一昨年に帝国劇場で「王家の紋章」が上演されましたが、70年代のマンガが帝国劇場でかけられる時代になったんですね。今の60代は普通にマンガを読んでいたから・・・・・・30年前は無理ですもんね。

横内:無理。

ーー30年前なら山田五十鈴さんの座長公演で、綺麗なお着物を着て・・・・・・。

横内:うん、30年前はそういうのがまだあった。俺らは本当にいい時代にいたんだなと思うし、そうでなくては、とてもじゃないけど続けられなかった。よくわかんない、難しいことを言う先輩達に耐えられなかったし。あの頃は本当に景気が良かった。セゾン劇場での初日の打ち上げも豪華だった。それで正直、変な刷り込み受けた、演劇もこうあるべきだと。ところが10年経たないうちにそれは幻想に過ぎないことを思い知る(笑)。

ーーあの時代は景気が本当によかったですからね。セゾン劇場もなくなりましたが、ひとつの時代が終わったなと思いますね。

日本発、made in Japan、2.5次元舞台もそうだけど、志を持って頑張らないと!サボっていちゃダメです!

横内:たぶん、終わったね。僕はセゾン劇場のオープニングの頃に「きらら浮き世伝」っていう先代の勘九郎さんの舞台をやらせていただいて、初日のオープニングパーティーは隣接するホテル西洋銀座からもの凄いケータリング!ロビーでやるんだけど、ワインがあって、キャビアがあって(笑)ところが「リボンの騎士〜」の初日の乾杯はケータリングのお寿司と缶ビール、はっきり覚えている、ヤバいんだ、これは(笑)。その頃、演劇界は自閉していって、どんどん、お客さんが来なくなっていった・・・・・・観る人は演劇関係のひとばかり。

ーー客席に知り合いしかいないっていう状況ですね。

横内:演劇にとってもの凄く不幸な時代だった、なぜならば、知り合いだけで席が埋まっている、そういうキャパでしか、みんなやらなくなってしまった、一晩でせいぜい100人かな。劇団が維持出来ない、公演も、維持できないはずなのに。そんな時に公的助成金が整備される始めた・・・・・・これは良いことでもあり、その反面、罪でもあるんだけど、その恩恵をこうむって実際に扉座も生き残った。あれがなかったらとっくに辞めていた、とってもありがたいものだった。反面、それを取るために公演が行われ始めた、と僕は感じるんです、一般に広がりようのないキャパシティでね。

ーー狭いところでグルグル。

横内:その中に審査員とか評論家とかがいてくれて、彼らが褒めてくれれば、何倍かの予算がつくっていうことになると・・・・・・極端なことを言えば、一般的に面白くなくっていいんだよね。

ーーそこで良ければ成立してしまうわけですね。

横内:そう。何かの間違いで、初めて来ちゃった人には訳のわからないものになる(笑)、難しいよね〜って言われてしまう。歴史は繰り返されるんだけど、でも、今は2.5次元舞台がそういったものを崩してくれている部分はある。

ーー当時は2.5次元という言葉はなかったんですが、厳しい時代がありましたね。マンガやアニメの舞台化、劇場はガラガラで、でも結構面白いなと思って観ていました。

横内:観客呼ぶことを頑張らなくなって、どっかでわからなくっていいやっていう開き直りも凄く強かったね。公的助成を受けるためのシフトをしちゃった・・・・・・恐ろしく痩せこけた時代と俺は思う。演劇のダイナイズムが著しく失われた時代じゃないかな?流石にそんなのみんなが貰えるもんじゃないということが分かり始めて、若者達がこれでなんかやっていくには頭角を表さなきゃっていう覚悟を決め始めたよね、この何年かっていうのは。あるいは有名なプロデューサーに使ってもらわなければ、俺たち生きていけないぞ、とか。みんな思い始めている。

ーー確かに。

横内:それは、健全なことなんじゃないかな?と思いますけどね。

ーー人気作品はファンの間で券が売り切れちゃってたりしてますね。

横内:その反動は必ず来るし、それは始まりだと思う。

ーーそうですね。

横内:ちょっと浮ついた2.5次元バブルが崩壊して、みんなもう一回自閉するっていう(笑)。

ーーファンだけで完結してしまうのは勿体無いし、もっといろんな人に知ってもらわなくちゃいけないと思いますね。また、舞台発で、多角的な展開も目指しているものも出始めていますね。

横内:考えているね!みんなと同じことをやっても、ね。演劇自体は消えない。実は年末に友人に会いにBWにいってきまして、一番人気で話題の「ハミルトン」観にいきました。もう別世界、映像とかハイテクは一切出てこない!そして、ラップなんだよ。カリブの人でアメリカ建国の父で銀行作ってスキャンダルにまみれて決闘で死んじゃう。ヒーローでもないし、真面目な政治劇。しかも有色人種で差別されている側の人でトランプ政権の中で問題な訳です。これをもう一回フューチャーする、しかもワシントン役は黒人が演じている!しかも場面転換がパネル……椅子とテーブル、役者が自分で出してきた!それが一番かっこよくってさ!ラップで言葉もわかんないけど、一番興奮した!志がないと出来ないこと。最新技術でお客さんを興奮させたり面白がらせるのとは全くの逆方向。

ーーあと、演劇畑でない人が演劇をやると面白いものができますね。

横内:そこは一昔前、広井王子さんに出会って、見識が広がりました。扉座の作品を気に入ってくださり、「サクラ大戦」の舞台を観に行くことになりまして、演出を依頼されたんですが、時間が取れなかったので茅野イサムを出向させたら、そのまま彼の今の仕事につながりました。広井さんに聞くと「原点は舞台」、そういうクリエイターさんは舞台、観ているんだよね、映画もね。おかげで「サクラ大戦」を観て扉座を観たっていう人も大勢・・・・・・最後にみんな立ち上がって「檄 帝国華撃団」を歌う、あれは画期的だった。また出演していた声優さん、歌ったり踊ったりして実力を見せつけた!こんなに歌って踊れるんだ〜リスペクトしました、本当に声優さんは凄いです。BWの「ハミルトン」は素晴らしかったけど、でも、日本発、made in Japan、2.5次元舞台もそうだけど、志を持って頑張らないと!サボっていちゃダメです!

【公演概要】

劇団扉座第62回公演

『リボンの騎士-県立鷲尾高校演劇部奮闘記2018-』

<キャスト>

小笠原 彩 小川 蓮 加藤萌朝 KAHO 河北琴音 菊地 歩 北村由海 紺崎真紀 白金翔太

菅野亜未 砂田桃子 中嶋紗耶香 野田翔太 藤川泰汰 松本旭平 三浦修平 安田明由

八尋由貴 山川大貴 吉田美佳子/

新原 武 高木トモユキ 伴美奈子/他

<スタッフ>

脚本・演出:横内謙介

原作:手塚治虫

原作提供・協力:手塚プロダクション

振付:ラッキィ池田・彩木エリ(イカキック)

製作:(公財)厚木市文化振興財団〈厚木公演〉/赤星明光・田中信也(扉座)

製作:扉座

<日程・会場>

〔厚木公演〕

日程:2018年6月16日(土)・17日(日)

会場:厚木市文化会館 小ホール

厚木シアタープロジェクト第30回公演

主催:(公財)厚木市文化振興財団 扉座/応援:厚木シアタープロジェクト市民応援団

 

〔東京公演〕

日程:2018年6月20日(水)~7月1日(日)

会場:座・高円寺1

座・高円寺 夏の劇場07 日本劇作家協会プログラム

提携:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺 後援:杉並区

 

公式サイト:http://www.tobiraza.co.jp

文:Hiromi Koh

横内謙介撮影:海田悠