《対談》熱海殺人事件 ラストレジェンド 〜旋律のダブルスタンバイ〜 岡村俊一(演出)×鈴木由美子(紀伊國屋ホール元支配人)

2021年新春、57年間の長い歴史を永遠に繋いでいくために、紀伊國屋ホールが改装工事に入る。東京都選定歴史的建造物である新宿紀伊國屋ビルは、耐震補強のため改修工事に入り、同時に紀伊國屋ホールは懐かしいモダニズム建築の設計のロビーや客席も改装工事に入る。
紀伊國屋ホールは、1964年の開場以来、日本演劇の聖地として演劇人・演劇ファンから愛され続けている。文学座、俳優座、民藝、こまつ座など、日本を代表する劇団が上演を重ね、つかこうへい事務所、夢の遊眠社、第三舞台など、現代演劇の先駆者たる劇団と演劇人を次々と世に出してきた憧れの劇場。 改装前の最後の演目として「熱海殺人事件」が選ばれた。
紀伊國屋ホール57年の歴史の中で、最も上演回数の多いつかこうへいの「熱海殺人事件」は、1973年の初演以降、翌年1974年に岸田戯曲賞を授賞、後に映画化される等、日本の演劇史上プロアマ問わず最も愛され上演され続けている作品(推定累計 8,500ステージ)。
来年は作品誕生から48年目、しかも紀伊國屋ホールでの上演。この“アニバーサリー”公演にあたり、日本で一番つかこうへいを知り尽くしている演出家の岡村俊一さんと紀伊國屋ホール元支配人の鈴木由美子さんの対談が実現した。

――やはり紀伊国屋ホールというのは演劇をやる側にとっては歴史あるホールですよね。

鈴木:このビルが立て替えられたのが1964年、オリンピックの年なんです。当時社長だった田辺茂一(注1)が興した書店だったんです。自分も作家でしたし文化面にも非常に強い思いがあったんですね。そこで劇場と画廊をこのビルの中に入れたいということで始まったみたいです。ところがこの間口だし、劇場ってもっともっと……裏導線がないと運営が難しいんですが何とか設計をしようと思い、伊藤熹朔さん(注2)にいろんな知恵をいただいて出来上がったようです。これは大変な決断だったと思いますよ。全部書店にしてしまえば4階から8階まで吹き抜けなので、劇場がないと広い敷地が確保できるんです。当時の役員を説得するのには骨が折れたことでしょう。お金ももちろんかかりますし。

――劇場が果たした役割というのは語り尽くせないものがあります。本当にいろいろな劇団の方、作家さん、俳優さんが舞台に立ち「目指せ、紀伊國屋!」というところまで来ています。何か思い出深い作品はありますか?

鈴木:やっぱり、つかこうへいさんですよね。今の活躍されている鴻上さん、マキノさん、いのうえさん、横内さんなど。つかさんの舞台を目指した方はたくさんいらっしゃいますから。「あのつかさんがやってた劇場でやりたい」という方々ですよね。それこそ新劇の甲子園のように。紀伊國屋ホールを目指して若い才能のある方々が続きました。

――横内さんはここでつかさんの作品を観て、何度も劇場に通われたというお話も聞きます。

鈴木:ええ、毎日のように。そうおっしゃってくださっていますよね。

岡村:僕らの世代はみんな、つかこうへいさんに憧れたんです。まるで「演劇界の長嶋茂雄」のような存在でしたから。そこから生業としてきた人間たちがぞろぞろいる。「紀伊國屋でなくては観られないもの」があるとしたら、専門的な話でいうと、客席の低さによるものもありますよね。現代の劇場ではあまりないんですよ。これは昔、つかさんがおっしゃっていたのが「見下ろす劇場は人物が小さく見える」ということ。実は僕はセゾン劇場に勤めていたんですが。舞台面が高いので、目線が平行な位置になる。それに対して舞台上を見上げる形の場合、人間の視力の関係でアップを作りやすいそうです。つまり明かりが上に来るので足元まで目に入った時そっちに目線が向いてしまうんです。なので紀伊國屋ホールはセリフが通りやすいというか、顔そして唇をクローズアップさせることに長けている。ゆえに落語とかに向いているのかもしれませんが。ここでつかさんの作品のように、セリフが多い劇が生まれたのもわかるし、ここだと届きやすいですよね。それからいろいろなものが電動でないのがいいところですよね。手引の緞帳だったりとか。そういうところが、自分がやっているからじゃないですけれど「熱海殺人事件」は紀伊國屋ホールで観るのが一番面白いと思っています。

――たしかにセリフの多い芝居にはこういうところのほうが、つかこうへいさんや井上ひさしさんとか「セリフ劇」に重点を置いた作品の場合は紀伊國屋ホールが一番だと言われるのもわかります。

鈴木:井上さんも「紀伊國屋好きなんだよね、この空間がね」っておっしゃってくださってました。こまつ座の旗揚げもうちでやってくださいましたし。井上さんも恩人の一人です。

――いろんな作品をプロデュースなさっている中で「紀伊國屋でやる作品をプロデュースできる」というのは冥利に尽きると言っていいのではないでしょうか。

岡村:若い頃はね(笑)。30歳くらいのころは「やったぜ!紀伊國屋!」と思ってはいましたけど…でもこの歳になっちゃうとね(笑)。ここでちゃんとやれないと、どこでもうまくいかないと思います。

――そろそろ改装に向かってカウントダウンが迫ってきているわけですが、そこで来年のはじめに、つかこうへいさんの「熱海殺人事件」をやるというのは、王道をいってる感じがします。そこは意識していたんでしょうか?

岡村:これはね、ノルマみたいなもので毎年やらないといけないなって(笑)。ほぼほぼ毎年、紀伊國屋ホールでって。トータル520回くらいやっているんですけれど、回数はここが一番やっている。40年の歴史の中ではやらない年もあったでしょうが、同じ戯曲を同じ劇場でやっているというのは、創作劇で、かつ毎回役者が変わっていたり、ストーリーにアレンジが加えられたりしているものってほとんどない。全国の劇団から上演依頼が来るわけですが、750団体くらいが演じている戯曲なんだそうです。日本全国全部合わせると8000回以上にのぼります。そんな国産の戯曲が果たして他にあるのだろうかと思います。まったく違う人たちが違う感覚で一人の劇作家が書いた演劇を50年近くやり続けて、まだ飽きられていないというのは驚異的なことです。その中でも、白鳥の湖が流れてきて緞帳がパッと開くという演出ができるのはこの紀伊國屋ホールだけ。だから、幕閉めに選んだわけだしね(笑)。

――白鳥の湖が流れると「キタ、キタ!」って思います。他の劇場ではなくてやっぱりここで、というこだわりもお客様の中にはあるのではないかと。

鈴木:ありがたいことです。

――でも、国産では確かに珍しいですよね。海外ミュージカルなら「キャッツ」や「オペラ座の怪人」がありますけれども。

鈴木:これまで演じられた方、のべ人数だとすごい人数になってしまうのではないでしょうか。

岡村:下手したら一万人くらいいくんじゃないかな。

――それでは、来年のカウントダウン公演に向けてはどうお思いでしょうか?

鈴木:最初から岡村さんに「工事が入るので最初と最後、やってもらえませんか?」って声をかけていたんです。本当に感謝していて……工事が始まる前に幕閉めを引き受けてくださって。つかさんの作品「熱海~」でやっていただくのはとてもうれしいです。

岡村:中身は変わっていないんですけどね。役者たちがどんな面白いことをやってくれるのか。でも歳をとってくると「目に焼き付けておきたいな」っていうのはありますよね。この光景でこの感覚で、観られるものがなくなってしまうわけなので。この客席こそ奇跡だと思っているんです。役者も、劇団も、演出も作家も偉くなったなかで一番偉くなったのは……客席なんですよ。新宿の紀伊國屋ホールを通り過ぎていったどれだけのクリエイターたちがここから何かを観て奮起したか、これが重要なんです。「熱海殺人事件」はその一端を担っていった。つかこうへいが客席から、人間を生んでいたというのが一番偉大なことだと思います。工事が終わっても紀伊國屋ホールは変わらないですが。いのうえひでのりが座っていたかもしれないし、秋元康が座っていたかもしれない座席が歴史とともに変わっていくというとしたら、これは最後の姿をちゃんと見届けたい。最後の客席に座る人の脳裏に刻みつけておかなくてはならない、と思いますね。

――年季が入った部分を見ると他の新しい劇場にはない趣があります。それでは、最後にメッセージを。

鈴木:岡村さんのおかげです。工事前と工事後との企画をこちらが提案したらすぐのってくださいましたし、感謝しかないです。

岡村:僕は“お祭り屋”なものですから。幕を閉めるにはこういうふうにすれば誰の顔が立つかな、と。つかさんの顔が立つかな、という思いで出し物を考えていくだけです。でも観客もそのすごい客席、古い傷跡は誰がつけたものなんだろうとか、あの背もたれは誰が座ったんだろうとかそんなことを考えながら観ていただいて、ここからすべてが生まれたんだってことをぜひ体感してほしいなと思います。

――ありがとうございます。公演を楽しみにしています。

(注1)田辺茂一(1905〜1981)紀伊國屋書店創業者、文化人、出版事業家。1927年に新宿にて紀伊國屋書店を創業。1964年に紀伊國屋ホールを設け、1966年に紀伊國屋演劇賞を創設。1968年には新宿副都心を推進するために設立された新都心新宿PR委員会(現在の新宿観光推進協会)の初代委員長に就任。1981年、シュバリエ・デ・ザール・エ・レットル(フランス文芸勲章騎士賞を受賞。

(注2)伊藤熹朔(1899〜1967)舞台美術家、美術監督。旧制東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)在学中より舞台美術を志し、土方与志模型舞台研究所で基礎を学ぶ。1924年『ジュリアス・シーザー』で舞台美術家としてデビュー。日本の舞台美術の先駆者。『黒船 THE BARARIAN AND THE GEISHA』(1959年/ジョン・ヒューストン監督)の等の美術監督を務め、国際的にも活動、1962年に菊池寛賞を受賞。作品は新劇、歌舞伎、新派、新国劇、舞踊、歌劇、映画、テレビと多岐にわたり、軽く4000を超える。詳細な設計図で、組織的な製作方法をとりいれ、舞台装置の近代化を開拓した。

<「熱海殺人事件」とは>
1973 年に文学座に書き下ろされ発表された「熱海殺人事件」は、つかこうへいの
代表作であり、最年少で岸田戯曲賞を受賞し、紀伊國屋ホールを拠点に、 つかこうへい事務所の春の名物として、何度も再演を重ね、東京の春の風物詩とも 呼ばれる程になった。 東京に出て来たら、紀伊國屋でつかこうへいの熱海を見る!! 当時の学生達のあこがれの演劇だった。
つかこうへい事務所解散後も、1986 年に映画化、1989 年の演劇活動再開時も、紀 伊國屋ホールでの「熱海殺人事件」だけは、本人の手で上演され続けてきた作品であ る。
タイトルを「売春捜査官」「モンテカルロイリュージョン」などと、変化しながら 「熱海殺人事件」は紀伊國屋ホールで上演され続けた。
主演も、三浦洋一、風間杜夫をはじめ、阿部寛、池田成志、山崎銀之丞、馬場 徹 など名だたる俳優陣が、歴史を作って来た。
2010 年、つかこうへいは永遠の眠りについた。 演劇界の巨匠が宇宙へと旅立った。
しかし、紀伊國屋の「熱海殺人事件」は終わらない。
この作品だけは、つかこうへいの遺志として、これからもキャスト・スタッフも
変貌を遂げながら上演し続ける予定である。
「熱海殺人事件」は生き続ける。

<公演概要>
熱海殺人事件 ラストレジェンド ~旋律のダブルスタンバイ~
作:つかこうへい
演出:岡村俊一
出演
木村伝兵衛部長刑事: 味方良介・荒井敦史
婦人警官水野朋子:愛原実花・新内眞衣(乃木坂 46)
犯人大山金太郎:池岡亮介・松村龍之介
熊田留吉刑事:石田 明・細貝 圭
会場 新宿・紀伊國屋ホール
公演期間 2021 年 1 月 14 日(木)~1月 31 日(日)
チケット一般発売 2020 年 12 月 25 日(金)10:00〜発売中
チケット料金 8,500 円(税込/全席指定・特製ブックレット付)
※ブックレットは、当日会場にてお渡しいたします。
※コロナウィルス感染予防対策のため、パンフレット含めグッズ販売は行いません。
■ お問い合わせ:Mitt 03-6265-3201(平日 12:00~17:00)
■ 公式 HP:http://www.rup.co.jp/
■ STAFF
音響:山本能久 照明:熊岡右恭 映像:ムーチョ村松 衣裳:大野雅代 舞台監督:中島 武 宣伝美術:山下浩介 宣伝写真:神ノ川智早 制作:與儀早由 プロデューサー:島袋 潤
提携:紀伊國屋書店 制作:つかこうへい事務所 企画・製作:アール・ユー・ピー
取材:高 浩美
構成協力:佐藤たかし