『Being at home with Claude~クロードと一緒に~』殺人容疑の若い男、刑事たち、彼の真実と愛と慈しみと。キャスト・演出家、異なるチームで上演!

『Being at home with Claude~クロードと一緒に~』はルネ=ダニエル・デュボワによるカナダの戯曲。13日よりプレビュー公演が始まり、16日より本公演が始まる。この公演は2チーム、同じ戯曲で異なる演出家、出演者で行う。Blanc:松田凌・石橋祐・福澤重文・鈴木ハルニ、Cyan :小早川俊輔・根本正勝・川野直輝・澤田拓郎。
物語はあらすじ通りであるが、登場人物の『立ち位置』がポイントになってくる。若い男・イーブ、彼は男娼だ。殺人の容疑、自首してきたのだった。彼を詰問するのは刑事、その他に速記者、警護官、イーブは頑なに自分の名前も言わない。構造的には若い男・イーブvs刑事たち、ではあるが、この刑事たちもまた、上からの『権力』の下にいる。イーブに殺された男の家族は話したがらない。要するに面倒な『案件』なのだ。この舞台上で見えるパワーバランス、そして見えないパワーバランス、それらが登場人物たちを絡め取る。
俳優はたったの4人。この戯曲は様々な解釈が可能だ。刑事や速記者、警護官にもそれぞれ思うところはあるであろう。また倫理観、イーブは男娼であるのだから、そういったものに対する考え方、捉え方、これらが実は発せられるセリフ一つ一つに関わってくる。そこの解釈はかなり幅は広いはず。そうなってくると演出家や俳優陣が戯曲をどう捉えるかによって同じ戯曲、台本でもアプローチは変わってきていいはずだ。

Blanc:松田凌・石橋祐・福澤重文・鈴木ハルニ、演出は田尾下哲。セットは極力シンプルなものにしている。テーブル、机、椅子、長椅子、木の素材、奥の机の下にはカーペット、舞台は客席に取り囲まれている。
松田凌は、この戯曲に挑戦するのは3回目だそう。シンプルなジーンズ、白のトップスを着用し、首には小さめの刺青。出だしの音楽はおしゃれな印象。最初はそのテーブル、椅子にスポット照明。「何十回も話したよ!」「もう一回だ!・・・・・俺に仕事をさせろ!」
舞台中央の段差、ここに座って若い男・イーブ(松田凌)が上を向いてしゃべるシーンがあり、刑事・ロバート(石橋祐)はたって見下ろす形で威圧的に会話する。刑事のイーブに対する質問のトーンは時は声をあらげ、汚い言葉を浴びせる。自首したとはいえ、『捕まった者』と『捕まえた者』の関係性、そういった者を時折ビジュアル的に見せる。そしてイーブにとってのいわゆる『権力者』としての3人。見た目と立ち位置だけでみると共感できるところは少なく感じられるのだが、彼らとて好きでやっているわけではない。あくまでも『仕事』であり、彼らの抱えているバックボーンと倫理観と常識、彼らはこれらにがんじがらめにされているのであって決して悪人でもなんでもない。ただ、ただ、課せられた職務に忠実なだけなのだ、というところがそこはかとなく垣間見える。
後半はイーブのモノローグ、ここでいくつかのセットは下げられる。舞台にいる人物は彼だけ。イーブは自分の経験談を話し始める。男娼、いろんな客を相手にしていたわけだが、緩急つけて話す。時折観客に向かって話しかけるようなシーンもある。思い通りにならない苛立ちと悲しみと怒りがないまぜになってほとばしる。それでもほんの一瞬の幸せな時間があった。イーブにとっての”彼(クロード)”の存在と過ごした時間、そこの下りは過ぎ去った幸せを慈しむような仕草を見せる。そこに彼の真実があり、愛がある。自首してきた彼なりの論理と気持ち。そして刑事たちが去った方向をさして「あいつらはつまらない!」と叫ぶ。精神的にはイーブは『自由』であり、他の3人は『不自由』なのかもしれない、と感じる。そういった意味においては彼は幸せなのかもしれないのだ。
そのモノローグシーンでは照明は全体にほの明るく、控えめなトーンでイーブを照らす。最後は薄暗いあかりになり立ち去る、印象的なエンディング。

Cyan :小早川俊輔・根本正勝・川野直輝・澤田拓郎、演出は保科由里子。セットはBlancよりリアリティが感じられる。本が入っている棚、机の上に書類、速記者のテーブルの位置がBlancと異なっている。照明は全体を柔らかく照らしている。登場人物たち、Blancとは立っている位置が異なる。小早川俊輔のイーブの衣装はトップスはネイビーブルー、骨太な印象のイーブ。根本正勝の刑事は腕まくりをしている。同じセリフ、「何十回も話したよ!」「もう一回だ!・・・・・俺に仕事をさせろ!」しかし、声のトーンやアクションは異なる。そのボディランゲージ、喋りながら刑事は机の上の写真を見たり、時には憎しみを抱いているのでは?と思わせる行動にも出る。イーブは時折、テーブルの上に立って見下ろす形で刑事と対峙したりする。本を蹴飛ばす、粗暴で野生的な印象、苛立ちを隠さない、いやむしろ終始爆発させているようにも思える。
戯曲は同じではあるが、全く異なった印象、しかし基本的なところは変わらない。
Blancの石橋祐演じる刑事は背筋をピンと伸ばして生真面目、職務に忠実な印象を与える。そして男娼であり、殺人を犯したイーブを差別的な目でみるが、彼の道徳基準、男娼、殺人などとんでもないこと。それはCyanの刑事役の根本正勝も同じくイーブを軽蔑しているのだが、ニュアンスの違いを感じる。見下す、自分は圧倒的優位にいる、靴を脱いだりもする。Blancの石橋祐演じる刑事とCyanの根本正勝演じる刑事、多分、生まれ、育ちも異なるのであろうかと想像力を掻き立てられる。そしてBlancのイーブの独白シーンでは舞台上はイーブのみでセットも少し変え、照明も変わるのだが、Cyanの方は刑事、速記者はずっとそこにいる、どんどん書いている。刑事は無言でイーブを見つめる。
戯曲は同じなので基本構造は変わらず、描いているものも根底は変わらない。しかし、アプローチや俳優の持ち味で全く異なる芝居を見ている印象。そしてどちらも『捕まった者』と『捕まえた者』の関係性、刑事たちの立場、あくまでも『仕事』としてイーブの取り調べをしている、さらに彼らはこの仕事を天職などとは微塵も思っていないであろうということ、そして差別、軽蔑、倫理観、そういったことを内包していることも同じだ。また、設定、取り調べは36時間を超えている、ということ。その36時間にも及ぶ取り調べの様子は、演出家、俳優の想像力に委ねられている。疲弊していることには相違ないのだが、どのくらい、どんな感じで疲弊してしまっているのか、そこも変わってくるので当然、チームごとによって異なってくる。だから仕草もリアクションも変わってくる。そこが芝居の、舞台のファジーなところであり、そのファジーさを比較し、観客は「きっとこういうことなのだろうか」と想像してみることができる。戯曲もそれだけ懐が深い、というわけだ。そしてイーブのモノローグ、Cyanの方はそんなに過去ではないはずなのに遠い過去を話しているかのような印象、対するBlancの方は夢を見ていたかのような、ふんわりとした印象を観客に与える。また、松田凌のイーブは繊細でガラス細工的な危うさも感じられ、刺青、髪の色でどこかファンタジックな空気感を醸し出していたのに対してCyanの小早川俊輔は髪はボサボサ、髭を生やし(多分、36時間髭を剃ってない)、シャツはちょっとよれよれ、リアルな人間・イーブという風情。役作りにただ一つの正解というものはない。そこも演劇ならでは、の部分だ。
同じ戯曲を俳優を変えて複数チームで上演するのはよくあることだが、演出家も変えて戯曲に対する取り組み方や表現の仕方をも変える。セットも照明も変わる、芝居の最中の立ち位置や出はけも変わる。そこまで変わる、変える、芝居というものの醍醐味を味あわせてくれる稀有な作品であった。

<あらすじ>
1967年 7月5日、 月曜 午前10時 。
カナダ、 モントリオール、 裁判長の執務室。
容疑、 殺人。
自首してきた若い男娼。
外には大勢のマスコミ。
刑事の取調べは36時間を超えた。
真実だけが、 見付からない。
【公演概要】
『Being at home with Claude~クロードと一緒に~』
2019年4月13日(土)~28日(日) 横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール
作:ルネ=ダニエル・デュボワ
翻訳:イザベル・ビロドー/三宅 優
総合演出:田尾下哲
上演台本・演出:保科由里子
演出補:木村孔三
<15歳未満入場不可>
映画のR-15と同程度のセクシュアルな表現があるため、 15歳未満の入場をお断りします。

公式サイト: https://www.zuu24.com/withclaude2019/
公式ツイッター: https://twitter.com/withClaude
公式フェイスブック: https://www.facebook.com/withclaude

撮影 :NORI

取材・文:Hiromi  Koh