神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ2019 グランドオペラ共同制作「カルメン」時代は現代、ショービジネスの光と闇、野心でのし上がる、自由をつかみたいカルメン、彼女に一途なドン・ホセ、二人の顛末はどこに。

10月19日開幕した神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ2019 グランドオペラ共同制作「カルメン」。世界中の人が知っている有名オペラであるが、物語の設定を現代のブロードウェイにし、大胆な演出で上演している。カルメンは野心たっぷりの女優、ドン・ホセはクラブのボデイガードの役割を担う警察官、エスカミーリョはマルチに活躍する大スター、ミカエラはホセの幼な馴染みの女優の卵、といった具合に変えられている。それでは上演台本や楽曲はどうなっているのか?実はそのまま、どこも改変されていないのである。原語上演なので日本語字幕と英語字幕が舞台上に映し出される。

もともとの「カルメン」の主人公・カルメンはロマ、エスカミーリョは闘牛士。ジプシーとは他民族からの呼称であり、彼ら自身は侮蔑されている、と思っている。また闘牛士も民衆の前で牛を剣で刺して殺す、しかも見世物、現代の動物愛護とはほど遠い。そう考えた時、もともとの設定では今の社会にそぐわないのではないか?という考えが出てくる。そういった側面と、また楽譜と台本の見直し、既存の解釈が厳然としてあっても、それが『本当にそうなのか』ということ。ゼロから解釈、そういう作業を緻密に行い、また現代に合った設定にすることによって新たに見えてくるものがあるはず、実際に舞台を拝見すると『なるほど』と思えるところが随所に見られる。
幕開きは稽古着に身を包んだダンサーが一人、また一人と舞台に上がる。あの前奏曲、これが意外なほどにすんなり入ってくる。オーデションなのだろうか、アピールする場面もある。

そして物語が動き出す。セットが変わり、クラブ「ジプシー・ローズ」、警察は劇場を運営するマフィアと通じており、スニガは劇場運営も牛耳っている、という立場、ドン・ホセは真面目な警察官、幼馴染のミカエラがホセを訪ねてくるが、いなかった。クラブ内で喧嘩が起こり、ドン・ホセはカルメンを捕らえるが、彼女の魅力に取り憑かれてしまうのだった。

台本は初演時の台詞入りスタイルのエーザー改訂版を使用、よってところどころ台詞が入ってくる。2幕ではスニガに抜擢され、カルメンはミュージカルスターとなり、ブロードウェイのショー「カルメン」に主演することになった。そこですでに大スターであるエスカミーリョに出会う。しかし、カルメンはスニガにホセの存在を知られてしまい、追放の憂き目に合うのだった。

3幕では弱小サーカス、スニガの絶大なる影響で意気消沈、しかし、カルメンはまだ希望を捨てていなかった。野心と自由な心、そしてエスカミーリョからスカウトされ、再び、スターへの道を行くことに。ミカエラもミュージカルスターとなり、ホセに会い、危篤の彼の母の元へ。月日は流れ、すっかり大スターとなったカルメン、エスカミーリョとともにレッドカーペットを歩くが・・・・・がだいたいの流れだ。
上演台本も曲も、全く変えていないが、この新しい設定がすんなりと入ってくる。エスカミーリョは人気闘牛士だが、ここではプロデュース業もこなし、テレビ、映画、舞台で常に主演を張る大スター。サングラスを外すと周囲が「おお〜」となる。大スターに圧倒されるファンのコミカルな動きに思わず笑いも。そしてソロの場面は本当に『スター、堂々と歌いまくる』といった風情だ。またミカエラがオーディションに合格するシーンもきちんとあり、その後の展開に不自然さはない。カルメンももともとホセが一発で一目惚れした女性、よってここでも運をつかめば、スターにのし上がれる、というのも納得できるし、そんなカルメンの才能を見抜くエスカミーリョの眼力、といったところだろう。

そしてホセはもともと、『堕ちるところまで堕ちる』キャラクターであるが、途中でピエロのメイクにくたびれたピエロの服を着せて、彼の状況をビジュアル的に見せる。ここで注意したいのはクラウンではなくピエロである、ということ。クラウンはおどけ役であり、バカにされる役。ピエロになると涙のメイクが加わる。ホセの心の悲しみは隠しきれない、そんな心情が見える。しかもかなわぬ恋、相手はカルメン、周囲から馬鹿にされていることは想像に難くない。それでもカルメンに一途、観客は彼の顛末を知っていても、その姿には涙せずにはいられない。

 

そしてこの舞台の特徴、セットやコロス、そして細かい小道具、セットは無機質、コロスの動き、テンポ感があり、当時ではちょうどいい長さのオペラは現代では少々長すぎる。しかし、台本も何も変えていない、コロスの動き、フォーメーションでそこをカバー、しかもコミカルな動きもあり、要注目ポイント。ワチャワチャとしゃべったり、有名人が通ればスマホでパシャパシャ撮影、テレビクルーにレポーター、キビキビと動くし、ショーの観客席、飲み物やパンフレットの売り子がいたり、最後のレッドカーペットのシーンではいかにも『私たちはSPです』という黒スーツにサングラスといったいでたちの男たちがスターをガードしたり、サインや握手を求める『一般人』、花束を渡す(中には子供を使ってスターにぬいぐるみを)、そんなシーンは思わずクスリと笑わずにはいられない。

さらに台詞は一切変わっていないので「闘牛士」とかそういった言葉は比喩的に扱われている。よって文字通り”牛と戦って倒す”のではなく、”難攻不落なものに立ち向かって地位と名声を得ること”ということになる。エスカミーリョはチャレンジャーでアグレッシヴなキャラクター、難しい役に挑み、困難なプロデュースを行い成功を収めてきた人物、だから大スター、「闘牛士」なのである。また「山」が出てくるが、これも文字通りの山ではなくショービジネスの最高の場所「ハリウッド」、そこに行きつくことはエベレストを登るがごとくな作業。ラスト、『原作』では闘牛場でエスカミーリョが牛を制して観衆が大いに沸いているその”音”が聞こえてくるのだが、ここではさしずめその声はアカデミー賞の授賞式でエスカミーリョが観衆から称賛を浴びている、と解釈できる。「闘牛場」は「授賞式の会場」、その歓声を聞いているカルメンとホセ、悲劇のクライマックスの背後の『音』は状況は違えど、である。また脇役でありながら重要な人物、ミカエラ。メリメの小説にはミカエラは登場しない。カルメンとの対比効果を狙って創作された、いわば、オペラに出てくるオリジナルキャラクターである。地味で真面目な女性、ここでも最初は地味なスーツをきて登場するし、オーデションの服も地味だ。しかし、持ち前の歌唱力で少しづつ女優としてステップアップしていく。派手で最初からスター性のあるカルメンとは真逆なタイプのコツコツ派の女優、もともとのミカエラの性格設定とシンクロしている。

現代のショービジネスを舞台に設定し直し、スターを目指す若者たちを登場させ、役柄の解釈やそこで歌われる楽曲などをもう一度、紐解いて新しいオペラにする作業は実に細かく、地味な作業であったと思う。ビゼーがこの「カルメン」を発表したのは1875年のこと、19世紀。今は・・・・・21世紀、2019年、初演から実に140年以上も経っている。ビゼーも含めて当時の人々はこんな未来がやってくるとは想像できなかったであろう。そのまま上演する、というのも意味があるかもしれないが、現代に即してUP TO DATEする、という方向もある。
演者も演奏ももちろん一流、19日はカルメンは加藤のぞみ、ドン・ホセは福井敬、エスカミーリョは今井俊輔、ミカエラは髙橋絵理。カーテンコールはスタンディング・オベーションであった。演出は田尾下哲、指揮はジャン・レイサム=ケーニック。オペラの可能性を示唆した作品だ。
来年のこのシリーズ、2020年グランドオペラ共同制作オペラ『トゥーランドット』、プッチーニの名作、美しい姫・トゥーランドットが求婚する男に3つの謎を投げかけ、解けなかったら斬首!というもの。これをどう見せるのか、公演は2020年10月17、18日。

【公演概要】
オペラ『カルメン』
日程・場所:
2019年10月19日(土)・2019年10月20日(日) 神奈川県民ホール
2019年11月2日(土)・3日(日祝) 愛知県芸術劇場
2020年1月25日(土)・26日(日) 札幌文化芸術劇場hitaru
指揮:ジャン・レイサム=ケーニック(神奈川、愛知)/エリアス・グランディ(札幌)
演出:田尾下 哲
配役:10月19日(土)/10月20日(日)
カルメン:加藤のぞみ/アグンダ・クラエワ
ドン・ホセ:福井敬/城宏憲
エスカミーリョ:今井俊輔/与那城敬
ミカエラ:髙橋絵理/嘉目真木子
フラスキータ:清野友香莉/青木エマ
メルセデス:小泉詠子/富岡明子
モラレス:近藤圭/桝貴志
スニガ:斉木健詞/大塚博章
ダンカイロ:大沼徹/加藤宏隆
レメンダード:大川信之/村上公太

管弦楽:神奈川フィルハーモニー交響楽団(神奈川)/名古屋フィルハーモニー交響楽団(愛知)/札幌交響楽団(札幌)
合唱:二期会合唱団
児童合唱:赤い靴ジュニアコーラス(神奈川)/名古屋少年少女合唱団(愛知)/HBC少年少女合唱団(札幌)

▼特設ウェブサイト
https://www.kanagawa-kenminhall.com/aichi-sapporo-carmen/

主催 : 公益財団法人神奈川芸術文化財団(神奈川県民ホール)/公益財団法人愛知県文化振興事業団(愛知県芸術劇場)
公益財団法人札幌市芸術文化財団(札幌文化芸術劇場 hitaru)/公益財団法人東京二期会
公益財団法人神奈川フィルハーモニー管弦楽団/公益財団法人名古屋フィルハーモニー交響楽団/公益財団法人札幌交響楽団
助成 : 文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
文:Hiromi Koh
撮影::林喜代種