『Being at home with Claude~クロードと一緒に~』はルネ=ダニエル・デュボワによるカナダの戯曲。1986年の初演に始まり、フランス語から英語に翻訳されてカナダ国内、イギリスなどで長年にわたって上演されている。1992年にはカナダで映画化、日本では2014年の初演以来、ダブルキャスト、スウィッチキャスト、読み聞かせ等、様々なアプローチで上演されている。
物語の舞台は1967年のカナダ・モントリオール、判事の執務室。殺人事件を起こして自首してきた若い男娼の取り調べを描く。登場人物は「彼」(男娼)、刑事、速記者、警護官の4名のみ。
今回で5度目となる2021年公演は、「日付」・「アンカットバージョン」の2つにこだわっている。
作品に設定された1967年7月4日と5日は、カナダ建国100周年記念と万国博覧会中というモントリオール人にとって象徴的な意味もある日。
過去4回の公演では日本人には馴染がない、上演時間などの関係からカットしたセリフも、今回の公演では、すべて網羅する日本上演史上初の完全版(ノーカット)での上演。
舞台は薄暗く、夜明け前なのか、中央にデスク、椅子、後ろに本棚、判事の執務室らしい重厚さ。始まる前から、音がする、場所はカナダのモントリオール、1967年。この年にモントリオール万博が開かれた。多くの観光客で賑わう一方でキューバパビリオンの爆発事件も起きている。この時代の空気がそこはかとなく感じられる。
「彼」(溝口琢矢)が登場する、デスクの電話のダイヤルを回す、不穏な動き、カチカチと時計が時を刻む音。ピストルを構える刑事…。
取り調べが始まる。「彼」と刑事(原田優一)、怒鳴る刑事、うんざりだ、という表情の「彼」、そしていう「勘弁してよ!」と。
この取り調べ、延々と、実に36時間も続いていた。速記者(米原幸佑)は表情を変えずに、しかし頬杖をついている、速記者のデスクには吸い殻がいっぱい詰まった灰皿が置いてある。コーヒーのカップ、これだけ見ても、相当な時間が過ぎていることがわかる。激昂する刑事、そして「彼」も激昂する。ほぼ無言の速記者、彼はこの状況を冷静に見つめる。緊迫した空気、刑事は「彼」が殺人を犯した理由を知りたいが、「彼」は言わない、名前すら。「名前は?」「忘れた」。
刑事は「彼」を見下している、スーツを着こなし、鋭い眼差しで「彼」を見る。「彼」は男娼、ラフな服装だが、少々、くたびれている。刑事の倫理観では男娼など、きっとありえないこと。刑事が「彼」に汚い言葉を投げつける。調べる者と調べられる者、刑事と殺人者、この関係だけ見ても、刑事は常に”上から目線”。彼らの会話は続いていく。
2019年にも公演があった作品であるが、演出が変わると基本的には同じ戯曲であるのに印象が違う。2019年は演出は2バージョン、今回はノーカット版。俳優の動き、服装、声、態度、過去公演を観劇していたなら、その違いを見るのも一興。刑事と「彼」の会話、速記者や刑事らの会話で殺された男性の名前はクロードであることがわかる、そして少しずつ様々なことが見えてくる。
後半は「彼」のモノローグ、感情が大きく揺れ動く。そこにいるのは「彼」と刑事だけ。「彼」は話を続ける、刑事は言葉を発しない、「彼」に背中を向けていたりするが、「彼」の言葉に耳を傾け、聞いている。その後ろ姿、時折、首がかすかに「彼」の方を向く時もあるが、基本的には「彼」の話を背中で聴いている。その背中は雄弁に刑事の心情を観客に見せる。「彼」の真実、「彼」は学歴こそないが、実はクレバーであることは彼が紡いでいる言葉でわかる。そして彼の純粋な心、溝口琢矢は全身全霊で「彼」を演じるが、後半はその姿が『嘘』か『実』か、『夢』か『現実』か境目が曖昧になっていき、照明がそれに伴って微妙に変化していく。
原田優一演じる刑事、見た目はクールに見えるが、血相を変えて怒鳴り散らす、そのギャップ。彼が持つ偏見や傲慢さ、この時代はそれが特別なことではなく、そういう価値観を持つのは普通なこと。速記者を演じる米原幸佑、出番は少ないが、職務に忠実でクールさも持ち合わせている。速記、今ならICレコーダーかもしれないが、この時代は速記、きちんと記録しなければならない。また、本当にワンポイントリリーフのように登場する警護官、鈴木ハルニは初演から、この役で参加しているが、この警護官もまた、表情を変えず、自分のやるべきことを淡々とこなす。観客は様々な解釈、感想を持つであろうが、そのどれもが、”正解”。「彼」のクロードへの想い、感情、「彼」を調べる刑事は最終的には「彼」にどのような感情を抱いたのか、ラスト近く、それは舞台の出だしと比較すると明らかに心情に変化が見られる。どう変わったのか、そこも観客に委ねられる。
「彼」の真実、舞台上には絶対に登場しないクロードの想い。観客の脳内では様々な考えや感情が交錯するはず。ただ、「彼」の生き様、業、その性根には一点の曇りもない。恵まれない環境に生まれたが、それらは「彼」を表面的には不自由にしているかもしれないが、精神は自由かもしれない。そして様々な偏見や倫理観に縛られている「刑事」は実は不自由かもしれない。
懐が深い故に演じる側も演出する側も様々に考えることができる。何度でも上演できる、なかなか稀有な作品だ。
なお、この公演は「当日引換券」の販売、「千秋楽のライブ配信」を予定。
「Being at home with Claude~クロードと一緒に~ ★当日引換券」
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=61926&
「Being at home with Claude~クロードと一緒に~ ☆配信チケット(ライブ配信)」
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=61925&
<2019年公演>
https://theatertainment.jp/translated-drama/27710/
<インタビュー記事>
https://theatertainment.jp/translated-drama/80710/
▼登場人物
「彼」:自首じてきた男娼。20 代。
刑事:取り調べを行う。30 代。
速記者:刑事のアシスタント。30 代。
警護官:裁判所の警備にあたっている。年齢不詳。
▼舞台設定
1967 年 カナダ・モントリオール。裁判⻑の執務室。
<あらすじ>
1967年 カナダ・モントリオール。判事の執務室。
殺人事件の自首をしてきた「彼」は苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取り調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。
被害者は、少年と肉体関係があった大学生。
インテリと思われる被害者がなぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたかが判らない、などと口汚く罵る刑事は取り調べ時間の長さに対して十分は調書を作れていない状況に苛立ちを隠せないでいる。殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞くされた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が言葉を濁すのが殺害の動機。順調だった二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。密室を舞台に「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。
<概要>
日程・会場:2021年7月3日(土)~11日(日) 東京芸術劇場シアターウエスト
作:ルネ=ダニエル・デュボワ
翻訳:イザベル・ビロドー/三宅 優
上演台本・演出:田尾下哲
キャスト:溝口琢矢、原田優一、米原幸佑、鈴木ハルニ
《舞台美術》松生紘子 《音楽》水永達也 《照明》稲葉直人 《音響》竹田雄 《衣裳》小泉美都
《ヘアメイク》Sleep 《衣裳進行》垰田悠 《演出助手》石井麻莉 《舞台監督》鳥養友美
《スチール撮影》NORI 《動画撮影》横山けーすけ 《web 制作》岩田美幸
《票券》鈴木ちなを 《制作協力》首藤悠希 《制作》松島瑞江
《企画・プロデュース》/三宅 優(Zu々)
後援:ケベック州政府在日事務所 カナダ大使館
主催: Zu々 (ずう)
オフィシャルサイト: http://www.zuu24.com/
公式SNS:https://twitter.com/withClaude
問合せ:アンデム 03-6276-3098(平日12:00~15:00)/http://zuu24.com/w:thclaude2021
(C)Zu々
Photo by NORI