舞台『僕はまだ死んでない』は昨年、VR演劇として配信された意欲作だ。無観客で上演、観劇したいなら、PCやスマホで視聴する、という21世紀らしい演劇。今年は、リアルに劇場でも観劇でき、しかもPCやスマホでVRでも2Dでも観劇できる、いわば観劇の多様化にトライしている。
そもそもバーチャルリアリティ(Virtual Reality; VR)とは、「人工的に、現実と同等の体験を作り出す」こと、あるいはその体験そのものや、それを可能とする技術全般を指している。バーチャル・リアリティという言葉自体は、もともとシュルレアリスムの詩人アントナン・アルトーが造語した芸術用語であった。現在のような意味では「バーチャル・リアリティの父」と呼ばれるジャロン・ラニアーらが普及させた。日本語では「人工現実感」あるいは「仮想現実」と訳されている。古くは小説や絵画、演劇やテレビなども、程度の差こそあれVRとしての機能を有している。1935年には、SF作家であるスタンリイ・G・ワインボウムによる小説『Pygmalion’s Spectacles』にすでにゴーグル型のVRシステムが登場している。
演劇とVR、演劇自体がVRとしての機能があるため、親和性が高いのは言うまでもない。CATプロデュースではコロナ禍を”きっかけ”としてVR演劇に取り組んできた。劇場に足を運べないから配信を、という側面だけでなく、自宅など好きな場所で演劇を楽しめたら…つまり後ろ向きの発想ではなく、前向きな考え方に基づいている。コロナでなくても、例えば、公演期間が短いから行かれない、という観客もいるはず。しかも、観劇の代わりではなく、劇場では得られない唯一無二の体験をする、という発想。2020年7月に実施したSTAGE GATE VRシアター『Defiled-ディファイルド-』は朗読劇に形を変えて上演、それを観客はVRマルチアングル生配信で視聴することも出来、さらに普通に劇場で鑑賞することも可能。その見え方の違いは比べるとはっきりとわかる。
<STAGE GATE VRシアター『Defiled-ディファイルド-』公演レポ>
https://theatertainment.jp/japanese-play/56956/
<《座談会》 STAGE GATE(ステージゲート)VRシアター シーエイティプロデュース 代表取締役 プロデューサー江口剛史×アルファコード代表取締役社長 VR/MRコンテンツプロデューサー水野拓宏>
https://theatertainment.jp/japanese-play/60800/
そしてSTAGE GATE VR シアター vol.2『Equal-イコール-』(リーディングスタイル)、登場人物は2人、後半は盆が回り、立ち位置も役も変わる。そういった戯曲の特徴も相まって、かなり惑わされる。そこが、この作品の面白いところであり、VRの持ち味である”没入感”が、さらにそれを助長する。作品の”トリック”にまんまとハマっていく瞬間はまさにVRならではであった。
<STAGE GATE VRシアター vol.2『Equal-イコール-』(リーディングスタイル)レポ記事>
https://theatertainment.jp/japanese-play/64362/
そして、この『僕はまだ死んでない』は、先の作品とは趣が異なる。まず、朗読劇ではないこと。また、2021年版では観客は劇場に行くことなく、VRで『僕はまだ死んでない』の物語の中に入り込み、登場人物の立場になり、物語を体験することができる、という画期的なものであった。舞台にはベッドが置いてあったが、そこには誰も横たわっていない。そこに”自分”つまり視聴者が”そこにいる”という”設定”。主人公目線で物語に入り込むことができる、没入する、まさに”人工的に、現実と同等の体験”をする、しかもテーマは終末医療である。主人公は意識はあるが、体は、全く動かせない、目だけが辛うじて動くという設定だ。
<『僕はまだ死んでない』2021年公演レポ>
https://theatertainment.jp/japanese-play/73183/
今年、2022年版は、観劇方法を多様化、普通に劇場に行って観劇、そして自分の都合の良い場所でライブ配信で観劇、真逆な2つの観劇方法を提示している。ライブ配信の方はVRと2Dを用意している。しかもVRは360度観られるカメラと主人公目線の2つ。今回はベッドに主人公が横たわっている。しかも劇場で観劇するのと近い感覚の2Dも用意されている。
21年版より客観的に視聴、作品が発するテーマについて少し引いた立場で考えることができる。2Dで見ると舞台中央にはベッドがあり、そのそばにはモニターがあり、患者の状況を見ることができる。点滴していることもわかる。終末医療、生きとし生けるものは全て生まれた瞬間から死に向かって生きている。生まれる時は母親から出てくるのは皆一緒だが、死ぬ時は千差万別。事故で即死したら、多分、死ぬという感覚がないまま死を迎える。その場合は”終末医療”とは無縁だが、病気や年齢を重ねるにつれてじわじわと体の自由が効かなくなっていく。この作品の主人公は今まで五体満足だったのが、病により、体の自由がなくなってしまった。このまま生き延びようと思えば生きられるが、何もできない。自分の意思を伝えることもままならない。病室では医者、父親、友人が何やら喋っている。主人公には皆が何を言ってるのか聞こえているし、理解もできる。ところがそこにいる面々は実は喋っている内容が当事者は全て聞こえていて理解している、ということに気がついていない。
そこに一種のギャップが生じる。そんな状況を2Dで冷静に引いて観ることもできれば、主人公目線に移して、当事者感(あくまでも”感”)を味わうこともできる。安易なオチはない。この物語は決してオチないのだ。テーマ、物語の設定、そして必然的に”長回し”的な状況、演劇だからこのやり方が可能になったと言える。作品によってVRの使い方を変える、そこは柔軟に対応、さらに技術が進めば、別の視点から作品に入り込む、あるいは俯瞰的に観る、あるいは劇場にリアルにいるのと近い感覚で観る、多角的に作品を捉えることができるので、何度でも視聴することができ、そのたびに異なる発見もできる。特にこの『僕はまだ死んでない』は人の生死に関わる作品である。死んでないが、明らかに普通の生活は営めない、「そのまま生きるのか、死を選ぶのか」という命題に対して複数の考えに辿り着く。その全てが”正解”、ただ普通の観劇では思いもよらない考えも思い浮かぶはず。そういった意味においては、この『僕はまだ死んでない』は観劇の常識を打ち破った作品と捉えられる。観劇のスタイルは観劇した人の数だけ、存在する。
ライブエンターテインメントにおいてVR、配信の位置付けも大きく変わろうとしている。『コロナだから』だけではない。人々のライフスタイルの変化や多様性、そして演劇は『劇場で観るもの』という常識、それは古今東西変わらない、この考えは正しい。しかし、配信、特にVRは、今まで常識だったことに、『演劇は劇場でないところでも観られるもの』、そしてこの『僕は死んでない』で設定されている”VR直人(主人公)目線”、『演劇の中に自分自身が入り込むことができること、主人公に同化すること』を可能にすることがプラス。21世紀だからこそ実現できること。なお、この作品は「デジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤー’21 / 第27回AMDアワード」(主催:一般社団法人デジタルメディア協会)にて「年間コンテンツ賞 優秀賞」を受賞。VRの可能性、今後、技術革新が進み、さらに使いこなせるようになれば、もっと違う景色を見ることが可能になる。
<イントロダクション>
壁に包まれた病室。
父と女医、それに僕の友人とが話をしている。体が動かない。何が起こったのか。
女医は淡々と 「元通りになる可能性はないし、むしろ生き延びたことを奇跡だと思ってほしい」と話す。
なるほど。そういうことなのか。
奇跡的に意識が戻った後も、かろうじて動く目だけで意思疎通の方法を探る。
なにかと気にかけてくれる友人、そんな状態の前でかまわず女医を口説く父、戸惑う女医、そこへ離婚調停中の妻が面会にやってくる…
<概要>
舞台『僕はまだ死んでない』
日程・会場:2月17日(木)~28日(月) 銀座・博品館劇場
原案・演出:ウォーリー木下
脚本:広田淳一
出演:矢田悠祐 上口耕平 中村静香/松澤一之・彩吹真央
【オンデマンド配信日程】
VR 演劇版オンデマンド再配信:2022年3月1日(火)~4月30日(土)
舞台版オンデマンド配信:2022年3月20日(日)~4月30日(土)
公式HP:https://stagegate-vr.jp
公式ツイッター:https://mobile.twitter.com/bokumada2022