『海をゆく者』ロックハート役 小日向文世 インタビュー

『海をゆく者』はアイルランド演劇界をリードする気鋭の劇作家コナー・マクファーソンの出世作にして、代表作。2006年に自らの演出により、ロンドンのナショナル・シアターにてデビューした本作は、ローレンス・オリヴィエ賞“BEST PLAY”、トニー賞“BEST PLAY”他三部門に輝き、『21世紀のクリスマスキャロル』と評され、世界中で上演されてきた傑作芝居。この作品に初演から出演、ロックハート役の小日向文世さんのインタビューが実現した。

ーー今回が上演3回目ですが、初演時、再演時の思い出をお願いいたします。

小日向:初演のときは、ポーカーをする場面で、最後の決めのカードを出すシーンが大変で。前もってカードを手に隠しておいて、それをわからないようにすり替える。そういう物理的な大変さと、いくら賭けるとかのやり取りの覚えられなさ。この2つが大変でした。で、栗山さんって稽古時間がめちゃくちゃ短いんですよ。指示をもらって、稽古が終わった後にみんなで自主稽古をしていました。各自のセリフも多くて、そのセリフ量と格闘したり、初演は本当に大変だった記憶があります。再演は初演の5年後だったから、いくらか初演からの余韻も残っていて、ある程度それぞれの役が身体に染み込んでいました。あ、あと再演のとき僕は舞台から落ちたんですよ(笑)。酔っ払ってる芝居をしていたから、足元見ずにヨタヨタしてたら舞台面から滑っちゃった。右側のお尻から大腿部にかけてスッと滑って、舞台の角を擦るようにして落ちたんです。いや、一瞬は痛くてたまらなかったとはいえ、舞台は止まりませんからね。急いで舞台に上がって、何事もなかったように。観ている側からは「演出じゃないの?」と見えたみたいですね。いちおうこれは衣装のおかげで擦り傷だけですみましたけど。もしかしたら骨折してたかもしれないと考えるとヒヤッとしました。

ーー9年経って、再再演を迎えるにあたっては?

小日向:再演のときに「またやりたい」とはみなさん思っていなかったでしょうね(笑)。ただ、評判があまりにもよかったものだから、もしかしたらまたやるのかな、くらいで。プロデューサーがおっしゃるには、当時、「もう1日2回公演を組むのはやめてほしい、この芝居は絶対に1日1回公演だけ」と僕が言っていたみたいなんです。すっかり忘れちゃってましたけど(笑)。結局2回公演はしっかりありますから、つらいつらい(笑)。でも、その辛さよりも、この年齢になってまたできるといううれしさのほうが勝っていますね。今回、初演と再演で吉田鋼太郎くんが演じた役が高橋(克実)くんに変わっていますがそれ以外全員同じです。次々と古希を迎える俳優たちがこれをもう一度やれるということと、ここまでみんな元気でいられているということがうれしかったんです。みんなに会ったら、身体の変化とか、老いをどう感じているかとか話したいんですよ(笑)。そもそもあと10年経ったら80歳。20代で小劇場に立っていたのがついこないだだと思っていたのにね。それがもう、古希ですから(笑)。まず稽古中に平田さんが70歳になって。1月の旅公演中に僕が70歳になって。公演が終わったら浅野くんが70歳、その翌月に大谷くんが70歳になるわけです。こんな70歳の俳優が揃った舞台なんて、若いときには考えられなかった。僕が劇団入った23歳のときに年上だったのが座長の串田和美さんで、12歳上だったから当時35歳だったんですよ。それでも、ものすごい大人に見えていましたからね。僕が劇団に入った頃には、自分の身近に70歳の俳優はいませんでした。となると、ちょっとお客さん入るか不安になってきています(笑)。

ーー再再演を楽しみにしている方もきっといらっしゃると思いますし、今回初めて見る人もいると思います。ところで、演じるロックハート、どんなところを気に入っていらっしゃいますか?

小日向:この台本をいただいたとき、僕はまず「ロックハートをやりたい」と思っていました。リチャードはセリフが多いからちょっとね(笑)。栗山さんが、アイルランドには妖精の伝説が根付いていて、妖精が見えるみたいなことをおっしゃっていて。だから、この物語の中のファンタジーのような出来事が起こってもおかしくないと思いました。ストレートプレイで、ファンタジーの要素がある作品はほかに聞いたことがない。だからロックハートに関しては、嫌うところなんかないですね。大好きです。ほかの登場人物もみんな、決して幸せとはいえない人生を送っている人たちで。「お前たち大丈夫なのか、そんなに浮かれちゃって」と思う人たちが、ベロベロになってクリスマスイヴの朝を迎えるんですが、ロックハートが来ることによって雲行きが怪しくなり。ずっと酒断ちをしていたシャーキーがその影響で飲み始めたとたんグッチャグチャになっちゃう。最後にフッと朝日が入ってきたときに、神様による祝福を目には見えないけど感じるんです。ものすごくいい話ですよね。みんなめちゃくちゃ人間臭くて、それぞれドラマがあるし。ロックハートも同様にすごく人間臭い。嫉妬深くて弱くて……本当に面白い役だなと思うし、またこの年齢で演じられることがとても幸せです。

ーーこの作品の登場人物は年齢を重ねた男性ならではの可愛らしさみたいなものがあると思いました。そんな彼らの魅力は?

小日向:登場人物は、男ばっかりじゃないですか。女性がいたらちょっとカッコつけたいんですよね。でも、いないもんだからそれはそれは無邪気ですよ(笑)。みっともないところさらけ出してます。リチャードなんか、トイレでのド下ネタを嬉しそうに話しちゃう。そこがもう、かわいいですよね。そしてみんな一様にお金がない。それなのに大好きなウィスキーを飲んで、明日のことも考えずにワイワイやってる感じがとてもいいですよね。愛すべき人たち。そこへ毛色の違うロックハートが来ることによって「コイツから金ふんだくってやろうかな」みたいな。ぜんぶあけすけにしちゃってる感じが、見ていて楽しいんです。もしかしたら酒好きな人なら共感できるかもしれませんね。2幕なんかずーっと酔っ払ってるし。演技の下地に酔っ払ったものがあるものだから、そこが楽しいんです。役者は、何か一つ縛りがあると逆に救われる部分があってね。例えば役で目が不自由なところがあったりすると、演じながらそこへ意識が行くから他の余計な緊張とかが省かれる気が僕はするんですよね。スタニスラフスキーシステム…肉体になにか負荷をかけると余計なことをしなくて演技に集中できるってやつ。上手く見せようっていう邪念が飛ぶんですね。今回だと酔っ払ってるという状況がそれにあたります。お客様から観ても面白いし、演技も洗練されるし、なおかつ演じてるのは70オーバーのおじさんだし(笑)。それがとても楽しみです。

ーー共演の方々が高橋さん以外みなさん前回から続投ですけど、なにか思い出とかは?

小日向:初演のときはどうだったかをすっかり忘れちゃうくらい、あまり余裕がなかったんですよね。あ、地方公演のときみんなで食事とお酒をちびちび嗜んだりしたかな。おじさんたちだけで楽しむのもいいなって思いながら。苦労したことで言えば、この作品はとにかくセリフの掛け合いだから、自分だけができていても相手が入ってなければだめで。逆に相手ができてても自分が入ってないとノッキングを起こすんで。最低限セリフだけはしっかりやらなきゃ、という意識はあります。だから、高橋克実くんはたいへんでしょうね。今回新たに加わるし、リチャードだし。初演再演は、セリフ飛ばして頭が真っ白になって立ち尽くしたなんてことはなかったですけど、当時はまだ60代でしたし。今度は70ですからね(笑)。

ーー地方公演のあとのお食事も楽しそうですね。

小日向:でもねえ、みんな年取ったから。すっかりお酒は弱くなっちゃってます(笑)。

ーーこの作品に手応えを感じている部分がある?

小日向:手応えといえば、栗山さんが喜んでいたのを思い出します。「本当におもしろい作品だ」って言ってましたから。それと、俳優の仲間たちもみんな面白いって言ってくれて。後輩たちもみんな「すばらしい」って称賛してくれたんです。このお話自体が“どんでん返し”の連続。その感じが面白いですよね。話が本当に上手くできているので。ラストもね、クリスマスで神様に祝福されるようなシーン。そこがすごく感動的で、心温まります。いい本だなあって。自分も70歳目前になって「人生ってなんだろうなあ」ってこの作品を通して思いますよね。あともう少ししか生きられないかもしれないですから。

ーーそういえば、今年、小日向さんは翻訳ものの作品が多いですよね。翻訳ものの魅力ってどういうところなんでしょう

小日向:今年は『アンナ・カレーニナ』『ART』、この2本を終えました。翻訳物は平気で相手を貶すでしょう。これって日本人の感覚にはないんです。だけど、お客様は喜んでくださっていて。ストーリーの力強さを見抜いてくださっているんでしょうね。僕らよりも。翻訳ものは、日本人じゃない人を演じるわけだから、ある意味非日常なんだと思います。でもとにかくセリフが多いから(笑)。公演中は気が抜けないんですよ。リラックスできない。休演日であってもね。僕、長生きしたいのでもっとリラックスできたらいいんですけどねえ。あ、こんなこと言うともうお呼びがかからなくなっちゃうかな(笑)。でも『海をゆく者』はちょっと違うんです。ファンタジーの要素が入っているから。それと、言い合いしててもあったかいものがあるというか、しかもロックハートという役どころにも演じる楽しさがあると思います。

ーーこれまでと、今回の再再演、なにか感じ方に変わったところは?

小日向:再演のときは初演よりもセリフが入っていったくらいなんだけど。今回は、稽古中にいろんなことを感じるんだろうなって思いますね。自分自身のほかに、相手役に対して「年取ったなあ」とかね。だって20代のころに知り合った連中ですから。大谷くんなんて劇団の同期ですし。23歳のときに一緒に入ったやつがもう70歳……そんなことを考えながら演じるんだろうなって。これから栗山さんの演出が入っても、再演のときとはまた違ったことを感じていくのかなと思います。ロックハートは何百万回もこれからもクリスマスイヴを過ごすんでしょうけど、ほかの登場人物はいつパタッと亡くなってもおかしくないですからね。あんまり健康管理もしてないでしょうし。そんな中で、自分としても死を身近に感じる、考えることが増えてきた。そういう意味でも登場人物と同じように「人生あっという間だったな」と考えながら稽古するんじゃないのかな。

ーーありがとうございました。公演を楽しみにしております。

あらすじ
アイルランド、ダブリン北部。海沿いの町にある古びた家に、若くはない兄弟が二人で暮らしている。兄のリチャード(高橋克実)は大酒のみで、最近、目が不自由になり、その世話のために戻ってきたという弟のシャーキー(平田 満)は、酒癖の悪さで多くのものを失い、今は禁酒中。陽気で解放的な性格のリチャードは、クリスマス・イヴも朝から近所の友人アイヴァン(浅野和之)と飲んだくれ、シャーキーが顔を合わせたくないであろう男ニッキー(大谷亮介)を「クリスマスだから」とカードに誘ってシャーキーを怒らせる。さらには、ニッキーが連れてきた一人の男、ロックハート(小日向文世)。彼こそが、シャーキーが忘れたくとも忘れられなかった男だった。

公演概要
PARCO劇場開場50周年記念シリーズ
『海をゆく者』
東京:2023年12月7日(木)~27日(水) PARCO劇場
作:コナー・マクファーソン
翻訳:小田島恒志
演出:栗山民也
出演:小日向文世 高橋克実 浅野和之 大谷亮介 平田満
新潟:2024年1月7日(日) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
豊橋:2024年1月12日(金)~1月14日(日) 穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
岡山:2024年1月17日(水) 岡山芸術創造劇場ハレノワ中劇場
福岡:2024年1月20日(土)~1月21日(日) キャナルシティ劇場
広島:2024年1月24日(水) JMSアステールプラザ 大ホール
大阪:2024年1月27日(土)~1月29日(月) サンケイホールブリーゼ
公式HP:https://stage.parco.jp/program/seafarer2023
※当初発表の会期より変更。東京公演は12月27日(水)まで上演

取材:高浩美
撮影:金丸雅代
構成協力:佐藤たかし