音楽朗読劇テアトルバージョン「レ・ミゼラブル」 声の力と音楽で紡ぐ永久不滅の名作、愛と慈しみ、そして許す、ということ。

朗読で描く海外名作シリーズ、好評につき、「レ・ミゼラブル」が再演となったが、前回とは異なり、出演者の人数が変わる。前回は3人であったが、今回は7人で物語を紡いでいく。ミュージカルの原作となったヴィクトル・ユーゴーの小説から朗読劇版にしており、ミュージカルでは描かれていない場面や人間関係を描き、一層、登場するキャラクターがかなりわかりやすくなっているのが大きな特徴だ。そして毎回、異なる俳優、組み合わせによってその物語の色彩が変化していくのも、この朗読劇の特長で、リピーターも多い。今回は最終日のソワレの回を観劇。
大筋の基本は前回のバージョンと変わらないのだが、音楽のパワーがさらに増し、登場人物を増やした分、全体に厚みが出た。冒頭はジャンバル・ジャン(武内駿輔)が登場し、自分の境遇やなぜ、投獄されたかを語る。飢えた子どもたちのためにパンを一切れ盗んで投獄された。そして、もうすぐ刑期が終わる寸前でジャヴェール(石毛翔弥)に言葉尻を捉えられ、刑期が長引いてしまう。何もかも失った、これ以上失うものはない、絶望しかない、どこに行っても『前科者』とわかってしまう。しかし、神は彼を見捨てなかった。ミュージカルでも有名、物語は誰でも知っているが、原作は意外と読まれていない。過去の自分と決別し、”生まれ変わった”ジャンバル・ジャン、マドレーヌ市長として人々に敬われる立場になった。しかし、彼はあることを知ってしまう、彼が経営する工場で一人の女性が解雇された。その名はフォンティーヌ(中村繪里子)、堕ちるところまで堕ちてしまった、そのきっかけが『解雇』だったのだ。深い悲しみとやるせなさに襲われるジャンバル・ジャン。しかし、真面目なジャヴェール警部は娼婦になった彼女を捕まえようとするが、それは彼が法律を重んじ、それが社会の秩序を保つもの、と信じているからだ。彼もまた信念の人なのだ。
映画にもなったヴィクトル・ユーゴーの小説、このジャンバル・ジャンとジャヴェールを軸に様々なキャラクターがからみあい、展開する。
このジャン・ヴァルジャンを演じるのが武内駿輔、若手声優であるが、研鑽を積んで声だけでジャンバル・ジャンの深い悲しみや苦悩を表現する。対するジャヴェールは石毛翔弥。劇団四季出身で滑舌もよく、前半は真面目で固いジャヴェールを、ラスト近くは心が引き裂かれていく様を好演。岸尾だいすけ演じるテナルディエ、いかにも俗ぽく、そして生き抜くためにはなんでもする図太さを表現。薄幸なフォンティーヌ、可愛らしいコゼット、革命に燃えるアンジョルラス、コゼットと恋に落ちるマリウス、とにかくミュージカルが有名なだけあって、朗読劇にすること自体が挑戦だが、照明、背景の旗のドレープなど、シンプルで単純だが、そこはよく計算されており、重厚な楽曲がテーマを際立たせる。人は人を裁くことはできない。ジャヴェールは実直な人物、法律と職務に従っていとも簡単にジャンバル・ジャンの刑期を延ばしたりする、なんの疑問も持たずに。タイトルになっている「レ・ミゼラブル」、直訳すると「悲惨な人々」とか「哀れな人々」、ポジション的にはヒール役であるが、彼もまた、恵まれない境遇の人物だ。この「レ・ミゼラブル」な人々が織り成す重層的な展開は世界中の人々の心を捉えて離さない。根底に流れているのは『愛』。許すということ、人は人を裁けないこと、ラストは限りない慈しみと無償の愛。自由、そして個を尊重すること、そして生きることは決して綺麗事ではないこと。テナルディエは悪どい人物として描かれており、共感できる部分はないように見えるが、自分自身が生き抜くためにそうしている。よって、彼もまた「悲惨な人々」なのだ。どんな形式にしても感動を呼ぶ作品、色褪せない名作、大きな劇場でミュージカル、もいいが、シンプルな朗読劇もまたぴったりな作品だ。

<キャスト>
ジャン・ヴァルジャン:武内駿輔
ジャヴェール警部:石毛翔弥
テナルディエ:岸尾だいすけ
マリウス:濱野大輝
アンジョルラス:安田陸矢
コゼット:高野麻里佳
フォンティーヌ:中村繪里子
声の出演:中尾隆聖
【公演概要】※公演は終了しています。
2020年12月11日〜12月15日 サンシャイン劇場
公式HP:https://les.rodokugeki.jp/
文:Hiromi Koh