ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル ~スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ~ ほんの少しの水があれば、何かが変われる

原作は2012 年ピューリッツァー賞戯曲部門賞受賞作「ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル」。翻訳・演出を務めるのはG2。サブタイトルは“スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ”、物語の設定は現代的だ。主人公・エリオットはイラク戦争で足を負傷、それだけではない。幼い頃、母親からネグレクトされ、叔母のジニーに育てられた。『これでもか』的な不幸を背負っている。帰還してバイトの日々を送っている。いとこのヤズミンは音楽理論を教えている教師だが只今、離婚調停中。一方、とあるサイト。そこでは薬物依存者が集い、本音で語り合っていた。このサイトの管理人は俳句ママことオデッサ。エリオットの実の母親であった。サイトの常連、「オランウータン」と「あみだクジ」、そこに「ミネラルウォーター」がサイトにやってくるが、彼の登場でサイトにさざ波が起こる。

ヴァーチャルとリアル、2幕目で、それが交錯しながら進んでいく。自分を育ててくれた叔母が亡くなり、エリオットは葬儀をきっかけにして母と会う。そこでエリオットは何を想うのか、オデッサは?ネットで交流していた「オランウータン」と「あみだクジ」はある行動に出る。「ミネラルウォーター」は裕福な白人であるが、2幕では、彼は悩みをオデッサに打ち明けに行くが・・・・・・。

生きづらい現実、皆、何かを抱えて思い悩み、孤独を抱えて生きている。現代ではとりわけ、孤独感を大きく感じる事がある。薬物に手を出すのは、そんな寂寥感から。中枢神経に作用し、快楽や多幸感、意欲を増幅させてくれる。そう、薬物は彼らに幸せをもたらす。しかし、それはまやかしで一瞬の事に過ぎず、効き目がなくなれ ば元通り。だから依存してしまうが、それではいけない事は皆、知っている。だからサイトに集い、ヴァーチャルだろうが、なんだろうが誰かと寄り添いたいのである。

日本には馴染みの薄い設定かもしれないが、何かに依存し、一時、現実を忘れたいという思いは共通だし、共感もできる。依存したくない、依存してしまう、そんな事にもがきくるしむ人々。エリオットは将来に失望しており、表面的にはちょっとヘラヘラしてるように見えるが、それは言いようのない孤独とやるせなさを抱えているからに他ならない。1幕の終わりでエリオットはサンドバッグを叩く。そこにエリオットがイラク戦争で最初に殺した相手が亡霊となって現れ、パンチをお見舞いしようとするが、その行動と表情は虚しさに満ちている。

アシメントリーな舞台セット、ネットをイメージさせる音、ピアノの旋律、不安定な雰囲気を醸し出す。人と人とのつながり、SNSの友達を増やすことに終始する人々がいるが、それはリアルではなく、FAKE。この物語もSNSで繋がって、コミュニケーションを取ろうとするが、所詮ネット上でのこと。そのことに気づいたからなのかは定かではないが、リアルに会おうと行動に出る。そこで見える景色は?そういった人々とどうしようもない心に傷を負った主人公が多重に織り成す心の旅。その旅路の果ては・・・・・決して暗くはないし、だからといってはっきりとしたハッピーエンドなどにもならない。しかし、重くならない、どこかにほのかな光が垣間見える。ほんのちょっとのわずかなことでどんなに救われるか、スプーン一杯の水があれば、ちょっとは乾いた心が潤う。そんな心の変化とかすかな希望。スプーン一杯の水、それはどんなものだったのか、それは登場人物によって異なるし、観客の解釈も多様になる。たっぷりではない、ほんの少し。そこにこの戯曲の真髄がある。

【概要】
タイトル:ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル ~スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ~
作:キアラ・アレグリア・ヒュディス
翻訳・演出:G2
出演:尾上右近 篠井英介 南沢奈央 葛山信吾 鈴木壮麻 村川絵梨 / 陰山 泰
場所:紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
日程:7月6日(金)~7月22日(日)
大阪公演:8月4日(土) サンケイホールブリーゼ
後援:TOKYO FM
協力:松竹株式会社
企画・製作:株式会社パルコ
公式サイト:http://www.parco-play.com/

文:Hiromi Koh

撮影:引地信彦