モモンガ・コンプレックス 『 わたしたちは、そろっている。』関わり合っていようがいまいが、わたしたちはそこにいる。

10月24、25日、池袋のシアターイーストにてモモンガ・コンプレックスの公演「わたしたちは、そろっている。」が上演された。
「ゆらぎ」、「うつろい」、「きざし」の3本となっている。
劇場に入ると”客席”はない。一つの空間に幾つかのブースがある。劇場内に6つ、ロビーに1つ。そこで、ある人は紙コップを並べていたり、また、他のブースではカーテン越しに洗髪しているかのような仕草をしている。また、ある人は体操のようなことをしていたり。観客は自由に回遊する形をとる。つまり、同じ公演でも自分がどこにいるかによって見え方や見えるものが異なる。それぞれがバラバラに何かをしている、音楽が流れる。歌手が登場し、オペラ風の歌も披露される。

部屋の中でダンスをする者もいる。少し離れたところに立って見ると、回遊している観客すらも景色の一部となって溶け込んでいる。つまり、自分自身もそこに存在し、その空間の”存在者”になっている。そして時々、部屋を俯瞰的に覗き込んだりしてみる。リアルにそこに人がいることを実感する。「ミュージカル的ダンス・パフォーマンス」と銘打っているが、ジャズのように演奏者がアイコンタクトを取りながらやり取りし、音楽が生まれるのとはだいぶ異なる。

それぞれのパフォーマーはお互いが見えている状況ではないからだ。それでも不思議な一体感もある。同じ空間を共有しているということ、同じ音楽を聴いているということ。あたかも地球上にいる生物全てがそこに存在し、お互いに関わり合っていなくても、”そこに居る”という共通項がある。回遊している観客はこの空間を自由に感じ、自由に観る。そしてそれぞれが感じたことが真実だ。

「ゆらぎ」を拝見したが、回遊して居るとブースのガラスに観客が写り込み、それが”作品”の一部にも見えて不思議な印象、それにだんだんと慣れてくると、ちょっと離れて全体を俯瞰して観る。劇場全体が一つの世界にも見え、それぞれの部屋でそれぞれがやって居ることが、つながりはないのだが、どこかで調和が取れて居るような感じになる。「ゆらぎ」の意味は観客それぞれが思えば良いのだと、解釈は無用。歌は8曲、最後の『かんきのうた』は祝祭的なニュアンスで、気分が晴れやかに。”演劇はこういうもの”という概念にとらわれない、そしてなんとなく『わたしたちは、そろっている。』の意味も見えてくる。観客も含めて『そろっている。』ような、そんな感じの1時間であった。

[モモンガ・コンプレックス(出演)]
白神ももこと、衣裳デザインや保育士、イラストレーター、バリスタなど、それぞれに異なる職能を持つ多彩なパフォーマーで構成される「ダンス・パフォーマンス的グループ」。
2005年に活動を開始、日常生活の中の些細な出来事、個人史、小さな願望から着想したダンス作品を発表する。シンプルでくだらないことの中に本質を見出し、親しみやすさと人生のぬかるみを共存させた作品群は、コンテンポラリー・ダンス界でもひときわ異彩を放つ。

[白神ももこ(振付・演出)]
桜美林大学文学部総合文化学科卒業後、「モモンガ・コンプレックス」を結成、全作品の構成・振付・演出を担当。無意味、無駄を積極的に取り込み、ユニークで豊穣な身体、空間を立ち上げる。フェスティバル/トーキョーではF/Tモブ(12)の振付、F/T14『春の祭典』の総合演出・振付を手がけている。近作に、キラリ☆ふじみダンスカフェ『幻想曲』(コンセプト・ディレクション/20)、モモンガ・コンプレックス『となりの誰か、向こうの何か。』(19)など。富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ芸術監督。

<スタッフ>
振付・演出:白神ももこ
出演:臼井梨恵、北川 結、仁科 幸、塙 睦美、夕田智恵、白神ももこ(以上、モモンガ・コンプレックス)
西井夕紀子、神田さやか、Yuima Enya、内海正考
音楽監督:西井夕紀子
舞台美術:佐々木文美(快快)
舞台監督:櫻井健太郎
舞台監督助手:松谷香穂
音響:星野大輔、今⾥愛((株)エスエフシー)
照明:中山奈美
映像:ワタナベカズキ
衣裳:臼井梨恵
衣裳進行:小山つかさ
宣伝美術:一野 篤
楽曲収録:
<演奏>
あだち麗三郎、宮坂洋生、Fumie (FALSETTOS)、Ingel (FALSETTOS)、Miuko (FALSETTOS)
<レコーディングエンジニア>
片岡 敬
<楽曲提供>
Miuko (FALSETTOS)
記録写真:三浦麻旅子
協力:藤田有紀彦、重岡佐都子、加藤典子
参考文献:岩波文庫『対訳 ブレイク詩集 イギリス詩人選(4)』(松島正一 編)
制作:萩谷早枝子
主催:フェスティバル/トーキョー
文:高 浩美